みちるは、フゥ太の言葉を思い出していた。
詳しい事情を知らない京子やハルとは違う。山本の言葉の意味を、彼の痛みを、自分はもっとわかってしまう。
知りたかったことなのに、ひどく苦しい。解決策を知らないからだ。
知っていたところで、この手では彼を守ることができないからだ。

「……みちる………」

じわりと、目に熱が集まって、みちるは苦しそうに顔を背けた。
山本が自身を呼ぶ声に、みちるは返事のつもりで、ごめんねと答えた。

「平気…、ごめんね、泣き虫でごめん」
「……いや、ごめん。俺だよ。変なこと言ったよな、心配かけて、ごめんな」
「変じゃない、違う……っ、だって、勝つために、言ってくれたって、わかるよ…」

自分は、怖かったり不安だったり、堪えきれなくなったらすぐに、泣いてしまうのに。
山本は、違う。心配をかけると理解していても、決意を言葉で伝えて、約束にしてくれるのは、間違いなく自分への信頼だと、みちるは感じている。
だから笑って、信じるのがきっと正解なのに。不安が涙になって止まらない。みちるは、悔しかった。

「……俺のために、泣いてくれるんだな。みちる」

山本の声が、不思議な安堵に満ちていた。
どこか嬉しそうな色を帯びた声音に、みちるはぴたりと動きを止めた。
信じてるよと言って笑って、修行を終えた彼を勝負へ送りだす、そんな強い存在にはなれない。

「………わ、わたしは、泣き虫なだけで……」
「うん」
「……だめでしょう、なんにも、変わってない」

みんなはどんどん強くなっているのに。悔しい――。
零れる涙を袖で拭いながら、みちるはちらりと山本の表情を伺い見た。
山本は、穏やかに笑っていた。
夕焼けのようにあたたかく安心するのに、雨上がりのように静かに。
みちるはどきりと、心臓が跳ねるのを感じた。そうだ、彼は雨だ。全てを洗い流す、赦しの雨。

「駄目じゃない。みちるが泣いてても、嬉しい時や悲しい時、不安な時……それは、ちょっとずつ違うだろ」

もちろん笑顔の時だってある。怒る時だってある。
涙になる時が、多いかもしれない。でもそれは、駄目なことじゃない。

「みちるは泣いても、逃げてるんじゃない。ちゃんと俺の方、見てるだろ。すごいよ」

涙で滲んで、山本の表情がぼやける。
みちるは、泣くのを我慢できない。
それを雲雀に指摘された時、ひどく腹立たしいような、悲しいような、ごちゃ混ぜの感情に埋め尽くされた。
だが山本は、みちるの涙を否定しない。

「そ……それは、わたしが、すごいんじゃないよ」

しゃくり上げながら、みちるはぼそぼそと呟いた。
山本が「ん?」と言いながら、みちるの声を聞き逃すまいと、みちるに近づいて少しかがんだ。

「山本くんが、わたしのこと、ちゃんと見てくれようとしてるから……」

みちるは山本の言葉が嬉しくてたまらなくて、そして純粋に彼の心の大きさを尊敬して、感謝を伝えたくて、そう言った。
そして次の瞬間、はたと気付く。なんとも自意識過剰で恥ずかしい発言ではないかと。

「……、うん。確かに、そう」

山本は、少しおかしそうに、照れたように、そう言った。
まるで正解を言い当てられたかのように、山本の顔はほんのり上気しているように、みちるには思えた。
まさか辱めるつもりはなかった。というか、みちる自身も相当恥ずかしい指摘をかましてしまった。
おかしな空気が二人の間に流れていく。みちるは何にくよくよしていたかもうっかり忘れ、とうに止まってしまった涙を拭う仕草のやめどきを見失っていた。

「…なぁみちる」
「へっ、あ、なにっ……!?」

「その髪……」、と山本が切り出そうとした瞬間、みちるは背後から両肩を捕まれ、何者かに身体ごと後ろに引っ張られた。

「ひいっ!?」

みちるは驚きのあまり恐怖の滲む声を上げ、されるがままにするしかなかった。
次の瞬間には、ぽすん、と音を立てて、みちるの背中はあたたかな体温に受け止められた。
みちるは何が起こったかわからず、バクバクと激しく高鳴る心臓をどうにもできないまま、何も掴めずに不自然に固まった両手の拳をぎゅっと握りしめた。
しばらくすると、「てめえ……」という憎しみの塊のような声が頭上から降ってくるのを聞いた。

「なっ………なに…………」
「………」

両肩が痛い。
おそるおそる視線を向けると、指輪だらけの男の手が力を込めてみちるの両肩を掴んだままだ。
みちるは瞬時に合点がいき、ガチガチに固まった身体の力を緩めた。
男はみちるの変化に気付くと、ゆっくりと手を放してくれた。
みちるは同時に気付く。てめえ、は山本に向けられた言葉で、頭上の存在はみちるではなく山本に憎しみを向け続けている。

「……ごくでら、くん」

みちるのその声を聞くと、獄寺はみちるの肩から手を放した。
みちるは一歩足を踏み出し、山本と獄寺の顔が見えるよう、二人の間に立った。
獄寺は、みちるの表情を正面から見ると、ぎょっとしたように目を見開いた。

「おまえ髪、……切ったのか」
「う、うん」
「……いーんじゃねえの」

獄寺はそう言葉にした後、照れ隠しのようにぷいっと顔を逸らした。
みちるはそんな獄寺の挙動を視線で追いながら、獄寺らしい行動に、胸の中にじわりとあたたかい気持ちが広がるのを感じた。
ひとしきり泣き喚いた後に、嗚咽が落ち着き呼吸が落ち着いていく感覚に似ている。
その感覚に思い至った瞬間、まだ渇き切っていない涙が急速に、みちるのまぶたの裏側に満ちた。

「うわっ、なんで泣くんだよ!?」

急に目の前で涙を零したみちるに、獄寺は驚愕の声を上げた。
みちるも不意打ちの涙に自分で驚いていた。意外とすんなりと日常に引き戻されたかのような獄寺との再会に、ああこんなものかと、頭の片隅で直感すらしたというのに。
心では大いに動揺しているのだろうかと、みちるは自覚する。

「ご…ごめんね!大丈夫!痛くも悲しくもないから!平気!」

きっと、嬉しいんだ。みちるは、そう心に声をかけた。
止めどない大粒の涙は言葉で取り繕うよりずっと正直な感情で、だが、表情は笑顔の形にはなってくれない。
滲む視界の向こうで、獄寺が眉尻を下げて困惑しているのがわかる。
いつだってそうだ。獄寺は、みちるが泣くと「泣くなよ」と言って、どうにか慰めようとする。

「……心配かけただろ。みんな無事だから、安心しろよ」

獄寺のぶっきらぼうな優しさが、明確な声となって、みちるの脳に届く。
みちるが自分たちの身を案じていたことを察して、獄寺はそう言った。

わかってくれるのは、彼らも同じだ――みちるはそう思った。

「うん、うん……本当に、よかったよ………」

伝えたいことがまだまだたくさんある。
今日はまだ始まったばかりだ。彼らと一緒に食事をして、たくさん話をしよう。その時間があることが、みちるは嬉しいと思った。

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