慣れてしまえばなんてことはない、フゥ太は笑顔でそう繰り返す。
ボンゴレの地下アジトは、その名の通り地下に向け階層が広がっており、公共の施設を避けて建設されたため、不思議な形に広がっているらしい。
エレベーターがまっすぐ最下層まで通じていない場所もあり、初見のみちるはとても案内なしには歩けそうになかった。

「とりあえず、地下6階と7階への行き方がわかれば大丈夫。隣はハル姉たちの部屋だからね」

近代的な扉をいくつも通り抜け、みちるの居室があるという地下7階へと辿り着いた。
大食堂、小食堂、食糧庫のある階層に、女性陣の寝室があてがわれている。

「ここがみちる姉の部屋。今は開いてるけど、鍵はカード式だから、後でジャンニーニにもらってね」

手慣れた様子で、フゥ太は居室の扉を開けると、みちるを中に招き入れた。
こじんまりとした机とクローゼット、簡素なベッドが置かれただけのシンプルな部屋だった。

「後で毛布を持ってくるね」
「大丈夫、自分で運ぶよ。ありがとう、フゥ太くん。何から何まで……」

にこりと笑顔を浮かべ、みちるは自分よりずっと背の高いフゥ太の顔を見上げた。
フゥ太はそれに応えるように、ゆったりと微笑んだ。

「……京子ちゃんとハルちゃんは、落ち込んだりしなかった?」

みちるの問いかけに、フゥ太は笑みを崩さずに答えた。

「いろいろあったけど、最近は元気。いつも美味しいご飯を作って、ツナ兄たちを支えてくれてるよ」
「……そっか。よかった」
「実は二人とも、あんまり知らないんだ。過去に来ちゃったことや、みんなが戦ってることは理解してるけど、真相、っていうのかな。そういうのは、伝えてないはず」

みちるは言葉を発しようと口を開きかけ、しばらく固まった後、力なく「そうなんだ……」と呟いた。
わかる、ような気がする。
それを京子たちに伝えないツナたちの心情も、彼らを責めずただ献身的にサポートをする彼女たちの葛藤も。
ディーノが何度も口にした、大切な存在に心配をかけたくないという健気な想い。そこに深く根差す、お互いへの信頼も。

「………」

聞きたいことがたくさんあるのに、みちるは押し黙って、何も言葉にできないでいた。

自分が心の中で言い淀む言葉は、信頼とか献身とか、そんな美しい感情からではない。
何度考えても、これは保身だ。入江正一に対して、どうしていいかわからない気持ちが行ったり来たりしている。
イタリアで出会った不思議な少女、あくあのことだってそうだ。危険性があったかわからない邂逅の事実をディーノに伝えなかったことは、後ろめたさからに他ならない。
どっちに転ぶかわからないのであれば、話すべきだったのではないか。そんな感情を、今も胸に秘め続けている。

「あのね、みちる姉」

フゥ太がそっと、みちるの傍らに立った。

「みちる姉が望むかどうかは別にして、ツナ兄やみんながマフィアだってこと、知ってるでしょ。ミルフィオーレのことも、入江正一のことも」
「……、うん」
「じゃあ、ツナ兄たちは、みちる姉には甘えられるってことだね。他のみんなに内緒にしてることも、弱音も悩みも、みちる姉ならわかってくれる」

フゥ太の言葉を全て聞いた後、みちるは震える唇で言葉を紡いだ。

「……ううん、わかんないよ、受け止められない。何か不用意な言葉で傷つけちゃうかもしれないって、…わたしはいつも、怖いって思う」
「じゃあ、これから僕とたくさん話そう?みんなが帰ってくるまで、みちる姉が不安じゃなくなるように、練習をしようよ」
「練習…?」
「わからないのは、誰だって不安さ。みちる姉が知りたいこと、僕ができる範囲で教えるよ。さ、お茶入れるから行こ」

するりと自然にフゥ太に手を引かれたみちるは、つんのめりそうになりながら、前を歩くフゥ太についていった。
あたたかい手だった。

「みちる姉はやっぱり優しいね。みんなを傷つけたくなくて怖がってるんだ」
「そ、そんなことないよ……ただ弱虫で、ぶきっちょなだけで……」

フゥ太はふふふと上品に笑った。
振り返って微笑んだ彼の瞳は、慈しみに満ちて、それでいて大人だった。
みちるが未来で過ごしたほんの二十日足らずの期間を凌駕する、目の前のフゥ太の10年の経験の中にはきっと、大切な人の喪失を乗り越えた笑顔があるのだろう。
みちるは胸が締め付けられるような心地だった。乗り越えても、そうでなくても、人は前を向くしかないのだ。フゥ太の笑顔からは、どこかそう感じさせた。

「僕に、“不安だ”って教えてくれてありがとう。ずっと甘えるばっかりだったみちる姉が、今度は僕に甘えてくれたのが、僕、嬉しいんだ」

みちるは、フゥ太の笑顔を見て、ディーノにかけられた言葉を思い出していた。
相手を幸せにするために、安心してもらうために、笑うのだと。
イタリアで過ごした一人きりの時間に、何度も考えたことだ。
今までツナや獄寺や山本から、みんなから、たくさんのあたたかい気持ちをもらった。
仲間になって、楽しい日々を過ごして、かけがえのない絆を結んだ。
恩返しをしたいと考えつつ、そのやり方がわからなかった。

「……わたし…なんにもできないけど、みんなの傍にいていいかなぁ……」

迷惑をかけてしまうかもしれない。
いくら決意したって、上手く笑えない時のほうがきっと多い。

「何もしなくてもいいよ。泣いたって怒ったっていいよ。傍にいたいんなら、一緒にいようよ。大好きなんだから」

ずっと会いたかった。
姿が見えなくなって心配だったから。
最初はそれだけだったのに、シンプルに考えづらくなっていったのは、今がいつも通りの日常と呼べなくなっているからかもしれない。
戦うことでしか道が開けない、それを知ってしまったら、自分の役割など、居場所などないように感じてしまう。
だがみちるは、京子やハルの役割を否定することなど出来はしない。
ここにいる誰にとっても、大切な仲間だと確信があるから。

「僕は、いてほしいって思うよ」

きっとフゥ太も、みちるに対して大切な仲間だからと言ってくれるに違いない。
だったら自分が言える言葉はひとつだけだと、みちるはやっと、顔を上げた。

「ありがとう。……わたしができることを、ちゃんと見つけるね」

だって、見つけたいから。ちゃんと前を向いて、自分が心から笑顔になるために。

慰めの言葉はありがたいけど、わたしが欲しいのはそれじゃない。
みんなの笑顔のために笑いたいけど、見返りのためにやるんじゃない。

わたしはわたしのできることで、ちゃんとみんなの隣に並びたいのだ。

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