自室のカードキーと毛布を受け取り、みちるはジャンニーニにお礼を言って作戦室を出ようと踵を返した。

「千崎様。何かお困りのことがあれば言ってくださいね」
「ありがとうございます。ジャンニーニさんも、無理しないでくださいね」
「みちる姉、エレベーターまでの行き方わかる?」
「大丈夫だよ、ありがとう!」

笑顔と明るい声音でみちるは答えた。
モニターの前に座したリボーンも相変わらずの読めない表情で、去っていくみちるの背中を見送った。

「元気になったみたいでよかった」

フゥ太が安心した様子で呟くと、リボーンは「何か話したのか?」と問いかけた。

「んーん、なんだか自信なくしちゃってたから、みちる姉の知りたいことを聞いて、僕ができる範囲で教えてあげたんだけど」
「みちるが卑屈なのはいつものことだ。まぁ、察しはつくけどな。一人だけ違う場所にいたんだからな」
「けど、来た時よりすっきりしたお顔でしたね。疲れもあったんでしょうが……」

「みちるの奴、入江正一の名前を出したら泣きそうになってたな。何か聞いたか?」

リボーンの直球の質問に、フゥ太は肩を竦めた。

「やっぱり鋭いね。気付いてたんだ」
「気付かねえ奴がいるか。ダメツナでもわかるぞ」
「あはは……えっと、みちる姉のほうから話してくれたよ。入江さんは、幼なじみなんだって」



みちるはつとめて穏やかに、未来に飛ばされる直前の正一との邂逅を、フゥ太に話した。
あの時出会った14歳の彼は、様子がおかしかった。
山本やハルたちに10年バズーカを放ち、逃げ去った背中を追った先で見たその表情は、苦悩と迷いに満ちていた。
みちるが思い出の中の優しい彼を思い返す度、そんなことをするはずがないと、自分自身に訴え続けた。
それでも目の前で、彼は行動を起こしていた。その事実と、苦しそうに歪んだ表情とが、みちるの心を揺さぶり続けた。
考える暇もなく飛ばされた10年後の世界で、彼は敵ファミリーの幹部として、ボンゴレファミリーの前に立ち塞がっていた。

「……スパイ、だったんだ……」

みちるはフゥ太から、ボンゴレファミリーの掴んだ正一の行動について、そしてリボーンたちと共有していた彼自身が語った真実の話を聞いた。
みちるは笑うとも悲しむともとれない表情で、ぽつりと、そう言った。

フゥ太は悩んだ。
よかったね、なのか。大丈夫?なのか。今のみちるが入江正一に向けている感情を、フゥ太は図りかねている。

両目を潤ませながら、みちるはフゥ太を見た。

「…正くんのやったことで、沢田くんたちみんなが怪我をした。すごく苦しんだ。……だけど、10年後の沢田くんや雲雀さんも、計画に関わっていたんだよね」
「……そうみたい」
「想像もしないくらい大きな問題が、世界に起こってる。……あんまりピンとこないけど、でも、よっぽどのことだよね。だってみんな、もう巻き込まれてひどい目に遭ってるのに、そうせざるを得なかったんだから」

きっと、わたしなんかには止めようのないことなのだ。
だったらわたしが自分のことでうじうじ悩んでいたって仕方がない。ちっぽけなことだ。頭では理解できる。

「……みんなが無事でよかった。でも同じくらい、正くんが生きててよかった…って、思うの……」

それはもしかしたら、今彼が、味方だとわかったからかもしれない。
そのくらい、わが身可愛さを優先した、身勝手な感情かもしれない。

「あの頃の優しい正くんのままで、本当に嬉しい、ホッとした……って思う…」

みちるはとつとつと、言葉を切りながら、話し続けた。

「でも……同じくらい悲しいの。……おかしいかな。……だって正くんは10年もずっと…白蘭の世界征服を阻止するために…、」

涙に濡れた声で、悲痛が滲む表情で、それでいてみちるは、涙を流してはいなかった。

「悩んで、行動して、誰にも理解されないまま、……やりたくもないことを……、たまたま知ってしまっただけなのに、自分を責めて、……死んじゃうかもしれないのに、」

みちるがこの時代にやって来て、これから相対するのは、その10年の時間を経てきた入江正一だ。
ひとつひとつ、彼に対する感情を言葉にしながら、みちるは思い知るようだった。
勝手な想像でしかない、ひとつも具体的ではない、ただ言葉にしただけの“彼の苦労”を、みちるは自分勝手にも憂う。
浅はかでどうしようもない。薄っぺらだと自覚している。それでも、自分の心に秘めるだけは耐えきれなかった。それすらも自分の弱さだと、みちるは叫びだしたい気持ちだった。

「……10年も、いろんなことを我慢して……っ、たった、一人で………」

――わたしだったら、耐えられない。
みちるはそう言葉を結んだ。

耐えられなかったらどうするのか。そんなのわかり切っているだろう。
フゥ太は唇を噛み締め下を向いたままのみちるの表情を見て、泣いたほうが楽だろうにと、考えていた。

泣いて、相手の痛みを理解したような気持ちになって、誰かわたしを救ってほしいと喚き散らして。
そうしたら自分は彼女の涙を拭いて、慰めて、彼女の心を救った恩人に、ヒーローになれるのに。
みちるはそうしないし、おそらく、入江正一もそうだったのだろう。
みちるの言う10年間、歯を食いしばって自分の命を賭してきたのだろう。

誰かに聞いてほしい、理解してほしい。そういう気持ちを、正一も持っていたのかもしれない。
みちるを見ていると、きっとそうなのだろうとフゥ太は思う。

「まだ戦いは続くけど……、入江さんは、もう一人じゃないよ」

フゥ太は一言、それだけ言った。



* * *



自分と正一は、似たところがあると勝手に考えていた。
我ながら短慮だと思う。みちるは自室のベッドに腰かけながら、しみじみとそう痛感していた。
正一は自分なんかよりずっと覚悟も行動力もある人間だと、フゥ太の話を聞いて思い知らされた気分だ。

また、悩みが増えてしまった。
正一と顔を合わせる日も近いだろう。彼は24歳で、自分は14歳ではあるけれど。

(何を話せばいいんだろう。正くんは10年前のことを覚えているのかな……)

この時代の正一は、10年バズーカの砲弾に当たってみちるが目の前から消えた日を、10年前の記憶として持っているのだろうか。
あの日以来、正一はみちると会っていないのだろうか。
ツナや獄寺の時の事例と同じなら、10年前に、24歳のみちるが飛ばされているとは考えにくい。
14歳の正一は、何を支えに日々を送っていただろうか。
学校は楽しかっただろうか。

わたしなんかが彼の前に現れて……彼は、嬉しいと思うだろうか。

(もう一人じゃない、……そんなこと、わたしがどの口で言えるの)

――なんの力にもなれないのに。
そう考えて、堂々巡りに嫌気がさしたみちるは、身体をベッドに横たえた。
一人じゃない。ディーノさんだっている、これからまた修行して強くなる。悪いことばかりじゃない。

自分一人だけ真っ暗な穴の中から出ないつもりか。そんなつもりはない、そう思っているのに。


(もう、わたしも、一人の時間はおしまい。……大丈夫、みんながいるから、すぐに元気になる)


一人じゃ全然笑えない。
だって笑顔を見てもらいたい相手が、傍にいないんだもの。


また光の中へ連れていってくれる仲間が、今はもう傍にいる。わたしにも、正くんにも。
……なのにどうして、こんなにも涙が溢れるんだろう。

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