見慣れない通貨の単位だとしても、これがえらく高価なことくらいは理解できる。
そもそも日本の中学生の審美眼など信用に値しない。平たく言えば、『思ったより高級品で、とても手が出ない』、そういうことだった。
まぁつまりは、身の丈に合っていないという現実なのだろう。みちるはきらきらと輝くお高めなアクセサリーの鎮座する店頭を眺めながら、ふうとため息をついた。

「イザベラさんには似合うんだろうなぁ」

ぽつりと呟いた言葉は、誰にも拾われることのない独り言だ。
手入れの行き届いた髪も爪も、ひまわりのような快活な笑顔も、みちるの憧れる大人の女性の持ち物だ。

ボンゴレが危機に瀕しているこんな時に、そういう方面で卑屈になるのは間違っている。みちるはそう思い直した。
今自分に必要なのは、ふわふわのワンピースに合うヒールの高いパンプスなどではなくて、機能性重視のスニーカーのはずだ。

(呑気にこんなところにいる場合じゃない)

後ろ髪を引かれる思いで、みちるは踵を返した。
絶対にあいつらから離れるなよ――自らの身を案じての、ディーノの忠告を無下にしてはならない。
みちるはバールの方向へ速足で歩きだした。

雑貨店の前の静かな細道を抜け、大通りへと一歩を踏み出そうとした、その時。
目の前を横切っていった人影にぶつかりそうになり、みちるは慌ててその場に踏み止まった。

「Mi scusi signorina, …………」

イタリア語で発せられたおそらく自分への掛け声に、みちるは何も答えられず硬直した。
それでも、東洋人の小娘など、取るに足らない観光客だと考えて通り過ぎてくれるだろう、そう楽観していた。
だが予想外にも、目の前の人物はその場に立ち止まり、みちるの顔をまじまじと見つめている。
そんなに物珍しかっただろうか。それとも怒っているのだろうか。

「………あなた……」

続く言葉は、日本語だった。
みちるが驚いてえ、と言葉を漏らすと、その人物は躊躇なくみちるの手を取った。

「ボクと一緒に来て」

そのまま手を引かれそうになり、みちるは慌てて口を開いた。

「なっ…、こ、困ります。連れが……」

へどもどしながらも抵抗を示すが、手は繋がれたままだ。

「それに、危ないから一人で出歩くなと言われていて……」

どうやら日本語は通じるようだから、みちるは食い気味に言葉を続けた。
目の前でしっかりとみちるに目を合わせてくる人物は、みちると同年代くらいの少女だった。
ふわふわと軽やかな、鮮やかなピンク色のロングヘアに、見るからに上質な生地の白い華やかなカジュアルドレス。
まるで良家の箱入りのお嬢様のようだ。
そんな彼女に手を引かれている奇妙な現状に、危険を感じる――というほどでもないのだが、警戒はする。

「大丈夫」

砂糖菓子のような甘い声音とは裏腹に、自分より小さく、それでもしっかりと力を込めてみちるの手を握る彼女の白い手は、何か強い意志をもっているように感じる。
大丈夫って、あなたに何がわかるというの。
心臓の動悸がスピードを増し、みちるが反抗に口を開きかけたその時。

「大丈夫だよ。ボクと一緒なら安全だから」

振り返ってまっすぐみちるの両目を見つめ、目の前の彼女はにこりと笑ってそう言った。
みちるは、言葉が出てこなかった。何も言えなかった。
その言葉に安心したわけではない。何をもってそう言えるのか、納得がいかないと直感した。
なのに、会ったこともない不思議な少女の笑顔に、ひどく惹かれた。それ以上の言い訳は、みちるには思い当たらない。
この笑顔が歪んだりするところを見たくない――そんな、綱渡りのような、ギャンブルのような、どっちつかずの不安定な感情が、強引な彼女の手によって、なすがままに引っ張られてしまった。物理的にも。

「ボクはあくあ。ねえ、少しだけでいいから、一緒に遊ぼう?」

爪先をみちるのほうへ向け、いつの間にか正面に向き合ったあくあと名乗る少女は、繋いでいた手を放し、両手でみちるの両手を取った。
首を傾げながらお願いを口にする姿はとても愛らしいが、彼女のまとう雰囲気は、わがままな令嬢というよりは小さな子どものように、みちるの目には映った。
例えるならば、誰かに必要とされたいような、大切な人から突き放されることへの恐怖を、目の奥に隠しているような――。
みちるは、はいともいいえとも言えずにいた。それでも、手を振り払うこともまた、できなかった。



最初は、ひっそりと隠れ家のように佇むコーヒースタンドで、あくあはチョコレートとラズベリーのマフィンを買った。
買ってくるから、みちるちゃんは待っててね!と笑顔で捲し立てると、あくあは迷いのない足取りでドアを開けて店内に消えていった。
砂糖のたっぷり入ったカフェオレのカップをみちるに手渡しながら、「みちるちゃんは、ラズベリーとチョコどっちがいい?」と聞いた。

「あ、ありがとうございます。…じゃあ、ラズベリーを……」

にこりと笑いながら、あくあはみちるの手にマフィンの包みを握らせた。

「とっても美味しいよ、ボク、大好きなんだ」

きらきらと輝く瞳でみちるの挙動を見つめるあくあは、まるで早く食べてと催促しているようだった。
みちるはその視線から逃げるように、またその反面期待に応えるように、かさりと音を立てて包み紙を開き、その場で一口かぶりついた。

「………美味しい……」

バターの芳醇な香りと、甘酸っぱいベリーの果実がとても贅沢だ。それでいてふわふわの生地は甘すぎず、まだほんのりとあたたかい。

「でしょ!?えへへ、よかったぁ」

みちるの反応を見届けるとあくあはぱっと花のような笑顔を浮かべ、どこかほっとしたように、自分もマフィンの包み紙を剥き始めた。
みちるは黙ってそんなあくあの顔を見ていたが、手の中のマフィンをぱかっと三分の一程度の大きさに割ると、あくあの目の前に示した。

「あくあさんも、少し食べませんか?」

あくあは目を真ん丸にして、少し驚いたようにみちるの顔を見た。
みちるはどきりとした。予想していない反応だった。
もしかして、イタリアの人には馴染のない行動だっただろうか、と一瞬で不安になった。そうでなくとも、初対面で馴れ馴れしすぎたか…
だが、あくあはみるみるうちに満面の笑みになった。感動すらしている様子だ。

「本当に!?いいの?」
「は、はい」
「じゃあ、みちるちゃんも、ボクのを少しもらって!交換だね」

あくあはチョコマフィンを半分ほどに分けると、みちるが取りやすいように一歩近付いた。
「こんなにいっぱいもらうわけには」と遠慮を示すみちるに、あくあはぶんぶんと元気よく首を横に振った。

「こっちも美味しいから、あなたにいっぱい食べてほしいの」

みちるはその言葉を聞き届けると、じゃあ、と呟きながらチョコのマフィンを摘まんだ。
あくあも真似をして、みちるの手の中からラズベリーのマフィンを取り去ると、それはそれは嬉しそうに、ありがとうと感謝を述べた。


みちるがゆるく笑顔を浮かべたのを、あくあは目を少し細めて、見つめていた。

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