こっちだよ、とみちるの手を引くあくあに、みちるは焦燥感を抱えたままついていった。
時折振り返って可愛らしい笑顔を向けられるたび、チクリと心臓が痛んだ。
彼女は何者なのだろうか。
彼女が口にした「大丈夫」の真相とはなんなのだろうか。
まだ、二人で行動を始めてからさほど時間は経っていない。
この手を振り解くまで、まだもう少しだけ、大丈夫だろう。
そんな根拠のない言い訳は、みちるのどくどくと素早く打つ心臓を落ち着けてはくれない。
それでも、みちるの存在を確認するように振り返るあくあに、不安な気持ちを悟られたくはなかった。
それは、お供のマルコとガブリエーレから離れてしまった自分に対するなけなしの勇気なのか、出会ったばかりのあくあへの強がりなのか、みちるには判断がつかなかった。

「あ、ここだ、着いたよ!」

あくあが足を止めた。
気もそぞろに、自らの爪先に視線を落としていたみちるは、あくあのその言葉にはっとして顔を上げた。

「可愛いでしょう」

ガラスの向こうの照明が、陳列されたカラフルなアクセサリーに反射してきらきらと輝いていた。
先刻みちるが見つけた雑貨店のアクセサリーとは趣が違う。あえて悪い言い方をするならば、目の前のそれらは先刻のそれよりもチープに見えた。
それでも、この世界から10年の月日を置いてけぼりにしてしまった14歳のみちるからしたら、十分に年相応というものだ。

「………」

ときめきに心臓が疼く。
はしゃいでいる暇なんてない。呑気にアクセサリーを吟味している余裕などない。
頭では理解しているのに、心がついてこなかった。平和ボケしていたのだと、みちるは後から気付くことになる。

「みちるちゃん、気に入った?」

うきうきと嬉しそうにみちるに尋ねるあくあが、どんなアクセサリーよりもきらめく瞳をしていた。

「…はい……」

紅潮する頬と弾んだ声音は、誰にも隠しようがなかった。
みちるの表情をあくあはじっと見つめ、この日一番の笑顔を浮かべた。




「海はマーレ。星はステラ。花はフィオーレ」

雑貨店のオーナーと思しき中年の女性は、接客をする気がないのか、あくあとみちるに寄ってくることはなかった。
天体や星や花といった、自然をモチーフにしたペンダントトップに熱視線を向けるみちるの様子を見て、あくあは指でそれらを指し示し、ひとつひとつ、イタリア語の単語を挙げていった。

「それから、水はアクア」

あくあの流れるようなピンク色のロングヘアや胸元に光るネックレスは、水や木々のような自然というよりは、甘いキャンディを連想させた。
アクア。元々は水を意味するラテン語なのだと、あくあは言葉を続けた。

「ネックレスが欲しいの?どんなの?」
「……いえ、髪留めが欲しいと思ってました」
「何色が好き?」

あくあの深い赤の瞳がみちるをまっすぐに見つめてくる。
髪や目の色に反して、顔立ちは東洋人のそれだ。
時間が経つにつれ警戒心が薄れ、よくよく顔を見るようになってから、みちるは気が付いた。

「水色……」

ぽつりと迷いなく、みちるは答えた。
ずっと警戒心の膜を張ったまま、未知の土地と孤独への怯えに震えていた少女が、初めて迷いなく言葉を紡いだ。
あくあは純粋に驚き、そして次の瞬間には嬉しいと思った。
同時に、目の前のみちるという少女が、想像よりもずっと意思と勇気を胸に秘めている可能性に気付いた。

「水色だね!知的だし、かわいいし、あなたにとっても似合う」

シャワーのように注がれるあくあの好意的な優しさの源流は、いったいなんなのだろう。
みちるは居心地の良さを感じながらも、彼女にどう報いたら良いのか、考えもつかずにいた。



結局みちるは、あくあによって、エスニックな花の模様のヴェネチアンガラスを埋め込んだバレッタを、贈られてしまった。
店主に怪訝な顔を向けられながらも、「プレゼントさせてほしいの!」とぐいぐい迫ってくるあくあへの遠慮として必死に食い下がったのだが、最終的には根負けしてしまった。

あくあに促され、先に店外に出たみちるは、足元を見つめふうと息を吐き出した。
背後の木の扉に視線を向けると、小窓の向こう、カウンターの中の店主の正面に立つあくあの姿が目に映る。

「…………」

胸の内側のざわざわが消えない。
素性の知れない、出会ったばかりの少女に、ここまで良くしてもらっているこの状況が不可解で仕方がない。
心を許したつもりはない。だが、気を抜いた瞬間はあった。
今のところ実害はないが、このままではいけない。一刻も早く彼女と別れ、マルコたちと合流しなければならない。

「お待たせしてごめんね。はい、どうぞ」

程なくしてあくあが扉を開けて、みちるの隣に並んだ。
大きな目でじっとみちるの両目を見つめ、迷いのない所作でみちるの胸の前に小さな紙袋を下げて寄越した。
みちるの胸中の焦燥など知らぬ、あくあの美しい笑顔に、みちるはひどく喉の詰まる感情を覚えた。
手が、声が震えぬように。
動揺を悟られぬように。
本当はもっと伝えるべきことがあるはずなのに、紡ぐ言葉は感謝のみで、その手はあくあのプレゼントを受け取る形にしか動かせない。
話し合って、気持ちを誤解なく伝え合って、時に傷つけ合ってしまったとしても、理解し合うことで良い関係を長く続けていく。
そんな友情を育むには、二人はまだ時間が足りなさ過ぎた。

「ありがとうございます、大切に、します」

たとえ今、自分の心に嘘をついても、目の前のあくあを傷つけたくはなかった。
彼女が優しいことだけは、わかったつもりになっていた。それだけは確かだった。それだけしか、知らなかった。

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