外出の許可が下りた。
――正確に言えば、「ディーノの信頼する部下と共に、近くの市場へ買い出しに行く」程度なら、許可しても良いという内容だ。
未来に来てから11日目の昼食後、みちると入れ替わりで広間に現れたディーノが、彼女へそう告げた。

「みちるも生活に必要なものがあるんじゃないかと思ってさ」

何不自由なく生活をしている風のみちるは、ディーノのその言葉に大層驚いた。
未来に飛ばされた時、みちるは並中の制服姿で、通学鞄は探しても見つからなかった。10年バズーカの被弾対象から外れてしまったのだろうか。
今、みちるが身に着けているのは、10年後の彼女のクローゼットから拝借したワンピースだ。袖が少し余ってしまう。

「あ、ありがとうございます。けど外は危険なんじゃ」
「みちるは、ちゃんとそれがわかってるから、許可するんだ。絶対にあいつらから離れるなよ」

ディーノが指し示す先を振り返ると、彼の腹心の部下であるガブリエーレとマルコが笑って手を上げた。

「小さな市場だからな。うちの使用人もよく買い物に行ってる。差し迫った危険はないだろう」
「だけどわたし……」

外には出てみたい。それは本心だ。
だが、生活に必要なものは全て、世話役の使用人たちに用意してもらっている。十分すぎるほどに。
衣服も食事も、身だしなみに必要な物品も、眠れない夜のホットミルクも、快適な寝具も。

ディーノはそんなみちるの心情を察し、ぽんと肩に手を置いた。

「食事して顔を洗って寝る、それで生きてはいけるさ。でも、足りないよ。せっかくのイタリアだろ?ちょっと遊んでこい」
「……わたし、お金、持ってないですし……」
「なんだ、そんなことか。いいよ、出世払いな。10年後のみちるが帰ってきたら請求してやるから」

ディーノの悪戯っ子のような笑みに、みちるはつられて笑った。
未来のわたし、ごめんね。そう心で呟くと、みちるはお礼を述べ「支度してきます」と告げると、ディーノの横をすり抜け廊下に駆けていった。
ディーノの背後でロマーリオがからからと笑った。

「ボス、珍しくモテそうなことするじゃねえか。誰かになんか言われたのか?」
「まぁな。みちるには内緒な。やっぱり、女性のメイドから見たら、ちょっと哀れみてーでな……」

借り物の住まいに借り物の召し物。
本来ここに在ったはずの24歳の千崎みちるの笑顔は、いつも明るく快活で、キャバッローネ邸の中でひとつの太陽のように、明るい輝きを放っていた。
突然現れた瓜二つの小さな少女は、笑顔のかたちこそ同じであっても、その内に秘めたものはまるで違っていた。

「シニョリーナ、何か困ったことはありませんか?」

24歳のみちると同い年で、仲良くおしゃべりをする仲であったメイドの一人であるイザベラは、若返ったみちるを見かける度に優しくそう声をかけた。
みちるは決まって首を横に振り、「大丈夫です。いつもありがとうございます」と言って、笑顔を浮かべた。
その笑顔も借り物のようだと、イザベラは感じていた。

キャバッローネファミリーの頂点に立つ10代目ボス、ディーノは、部下や周囲の人々の尊敬を集めるひとかどの人物でありながら、その人々のどんな小さな声でも聞きたいと考えていた。
一介の使用人がディーノに言葉を届けることができるのは、彼の気さくな人柄と地道な信頼関係の構築の成果である。
「最近、みちるはどうだ?」とディーノがイザベラに尋ねると、イザベラは眉尻を下げて不満そうに口を開いた。

「今、市場の一本抜けた先のカフェで流行っているホットチョコレートのこと、ボスはご存知ですか?」
「え?いや、知らん。すまん」
「もう!ボスがそんなだから、シニョリーナが退屈そうにしてるんですよ」

イザベラがぷりぷりと捲し立てると、ディーノは勢いに負けてハンズアップしながらも、なんとかその本意を聞きだそうとした。

「んっ?な、なんだかわからんが、みちるは退屈そうなのか?」
「彼女、こちらに来た時着ていた服しか持っていないでしょう。最初は遠慮して、自室のクローゼットすら開けない様子でした」

さすがに着る服がないのは本人にとっても周囲にとっても困る。
イザベラの助言で未来の自分の衣服に袖を通し、その他の持ち物にも手を触れるようになったものの、どこか他人行儀な様子なのだという。

「私はタイムスリップの経験はありませんが、14歳だったことはあります。だからこれだけは確かです」

イザベラは続けた。無礼で申し訳ありませんが、と枕言葉をつけながら。

「流行のホットチョコレートは飲みたいし、可愛いハンドバッグは欲しい。大きなお屋敷は三日で飽きますが、美しい街並みや石畳、快晴の青い空は何度見ても最上のものです」

ディーノは目をまるくして、床を磨くモップを片手に胸を張るイザベラを見つめた。
未来のみちるが彼女と仲良くしているのは、視界の端で見かけたことがある。
その程度の認識だったはずなのに、今彼女の口唇が紡いだ言葉は、まるでみちるの心根そのものなのではないかと、錯覚した。

「参ったな。みちるの言葉かと思った」

ディーノが肩を竦めて苦笑いを浮かべると、イザベラは勝気そうな表情で、悪戯っぽく舌を出して笑った。
みちるとは似ていないが愛らしい少女だ。「ハンドバッグが欲しいのは、シニョリーナではなく私ですが」と言葉を続けた。



* * *



みちる嬢、どちらへ?と尋ねる言葉に、みちるは「靴が欲しいです」と答えた。
学校指定の制服の足元は、硬いローファーである。
未来のみちるの靴は、残念ながらサイズが合わなかった。
外に出るつもりも、周囲が出させるつもりもなかった生活の中で、靴を新調する予定はなかったが、未来のみちるのクローゼットの中にある華やかな洋服に合わせるにはローファーは少々不釣り合いだ。
今日の買い物で日本へ向かう準備をしても良いかもしれない、こんなチャンスはもうないかもしれないから。

「あと、ホットチョコレート!ディーノさんにお土産を!」

みちるのきらきらと輝く瞳に、マルコは優しく微笑んだ。

「自分の買い物より嬉しそうにするんだな」
「えっ……そうですか?」
「土産か。いいなぁ、ボス、慕われてんなぁ」
「マルコさんたちだって、ディーノさんの一番の部下でしょう?」

みちるはそう尋ね首を傾げた。ガブリエーレとマルコは顔を見合わせ、ガハハと豪快に笑い合った。

「そうだなぁ、ボスの大切なお姫さんの護衛任務だしなぁ!」
「よっしゃ、じゃあ久しぶりに美味い酒でも買って行ってやろうか」

よくわからないが、なんだか急に楽しそうだ。
みちるは笑顔のまま、盛り上がるおじさん二人の背中を見つめた。

誰かに贈る品を考えるのは楽しいものだ。
贈られた品は宝物だし、自分のためにギフトを選んでくれたその人の時間を、尊く思う。

正一からもらったクッキーは食べてしまったが、水色のリボンは、みちるの宝物になった。
綺麗に洗った空き瓶は小物入れになり、リボンはそのままちょうちょの形で瓶に結ばれている。
あの黒曜センターの思い出の日から数年後、両親に買ってもらったシュシュは、水色のリボンの形をしている。

(…何か欲しいな、ヘアアクセ……)

小さな露店が立ち並ぶ市場は活気があり、穏やかな雰囲気だ。
買いたいものを頭に思い浮かべながら、ガブリエーレとマルコの背中を見失わぬ様、みちるは歩を進めた。

 | 

≪back
- ナノ -