山本の小さな、後悔の溜息が、その場に消えた。
スクアーロが、自身を救おうとした山本を、逆に助けた。
彼は「剣士としての誇り」を守ったに過ぎないのだから、助けたという表現は間違いかもしれない。
青い顔でモニターを見つめるツナ。
悔しさと後味の悪さに、俯く獄寺。
みちるは、頭が真っ白で、何も考えられなかった。
スクアーロは、山本を殺そうとしていたのだ。
だけど、それでも。
山本が救おうとしていたその人が、今、自分たちの目の前で……
リボーンもディーノも、何も言わなかった。
しかし、彼らはどっぷりとマフィアの世界の人間だ。
ツナや山本らが心に受けた衝撃に比べれば、いくらか耐えられるものなのかもしれない。
程なくして、アクアリオンから山本が戻ってきた。
ディーノが山本に「よくやったな」と声をかけた。
山本は、口許だけわずかに形を変えて答えた。
笑いたかったのかもしれない。
ツナも獄寺も、何も言わなかった。
みちるは、しょぼけた目で山本の相貌を見上げた。
しかしその視線が、みちるのものと交わることはなかった。
そのまま山本は、冷え切ったような表情で、すっとみちるの横を無言で通り過ぎた。
「………、」
どんなに痛めつけられたって笑っていた。
どんなに殺されそうになっても、刀の刃をスクアーロに向けることはなかった。
スクアーロはそれを「ナメている」と評した。
違うんだよ、そうじゃない。
山本くんは、誰よりも優しくて、誰よりも負けず嫌いなだけなんだ。
誰よりも相手を憎むことをしないっていう、そういう人なんだよ。
「…人殺しじゃ…、ないっ……!!」
擦れてぐしゃぐしゃの声で、みちるは小さく叫んだ。
涙は、落ちなかった。
* * *
翌朝、みちるは頭痛にうなされベッドの上で跳ね起きた。
波のようにみちるの脳を蝕む痛み。みちるは荒い呼吸を繰り返しながら、胸を押さえた。
「っはぁ、はぁ…ッ、………はぁ…」
…わたしはこの痛みを知っている。
確か、みーくんという少年に、骸が憑依していたときのことだ。
彼に出会って、彼を追いかけるその瞬間に至るまで、わたしはこんな風に頭痛に襲われていた。
そしてひとつ、わからないことがある。
ズキズキと痛む頭痛は、みちるがこの世界に迷い込んだそのときからあったのだ。
しかし、なんとなく、本当になんとなくとしか言えないのだが…
(これ……、ちがう)
今までみちるが苦しめられていたのは、遠い世界からじりじりと、追ってくるように襲ってくる痛み。
今しがた訪れた痛みは、そうじゃない。
わたしのこの脳をガンガンと打ち付けるような、そんなリアルな痛み。
「……うぅっ…」
みちるはベッドの上で、泣き出しそうな痛みに耐えながら、素早く右腕の包帯を解いた。
昨日の放課後、雲雀につけられた無数の鬱血痕が、生々しく残っている。
みちるはうっと息を喉に詰まらせた。そ、そういえば、わたし、雲雀さんにこれを…!
勝手に熱くなる身体を落ち着かせながら、ちゃんと見つめた。
痣の下にある、事故の傷跡を。
「……もう、消えちゃう…」
左手の親指で、するりと傷跡をなぞってみた。
もう間もなく、この傷は視認できなくなるだろう。それほどまでに、完治といえる状態だった。
これが、完全に治ったら?
みちるの右腕の傷は、二年近くずっと、治らなかった。
それは、その傷跡が、みちるが元いた世界で負った痕跡だから。――おそらく。
その傷が、治るということは…
みちるの身体と精神が、同一人物の者になるということ、ではないだろうか。
みちるの傷が治るその世界へ、その身体へ、みちるの精神が、還るということ。
この世界に元々いた千崎みちるという存在の身体へ、正しい持ち主の精神が、還るということ。
「……う……っ…」
みちるは、ベッドにもう一度潜り込んだ。声も出さずに、泣いた。
こんなに涙は熱いのに。
こんなに息が苦しいのに。
それなのに、この身体は、わたしのものじゃ、ないっていうの?
頭痛も、
腕の傷も、
全部背負う。背負いたい。
それがなければ、わたしはきっとこの世界では生きていけない。
今わたしは、こんなに頭が痛いのに。
痛みを感じているのは、他でもない、このわたしなのに。
それなのに、この痛みは、“この世界のみちる”さんのものなの?
どうして…?
だって、わたしの身体じゃないんでしょう?
ねぇ。
みちるさん。
応えて、ください。
わたしは、ここにいてはいけないんですか?
(――――……)
応えが。
あったように、感じた。
誰かが、一瞬だけ、
「…!」
わたしに、話しかけたような、そんな気がした。
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