Dearly Blue

 02.鳥海ユイT

 カズ君を捜した次の日。彼は実にあっさりと私たちの前に姿を現した。
 まだ人が疎らな教室で鞄の中身を広げていると、カズ君が私の机の前に来たのを、蛍光灯の光が彼の影で遮られたことでやっと気づいた。
 彼は気まずそうに私から視線を外しながら、よお、と片手を上げる。

「昨日は心配かけて悪かったな。俺を捜してたってバンたちから聞いた」
「気にしないで良いよ〜。好きでしたことだし、バン君たちと仲直り出来たみたいで良かったね」
「別に、喧嘩してた訳じゃねえよ」
「そうなの?」
「そうなんだよ」

 そういうことらしい。
 しばらく軽いやりとりをしてカズ君の様子を探ってみたけれど、特に変なところはないようだった。
 落ち込んだ様子もないので、バン君やアミちゃんたちの話から色々と想像していたのだけれども、思っていたほどではなかったようでほっとする。本当に良かった。

「新しいLBXはもう決まった?」
「まだ。ピンと来るものがなくてさ。今は店長のカスタマイズしてくれたグラディエーターを使ってる。扱い辛いけど、さすが店長がカスタマイズしてくれたLBXなだけあるぜ! キタジマでまたバトルしてくれよ、ユイ」
「うん。次は引き分けまでいけるように頑張るね」
「そこは勝てるように頑張れよ」

 カズ君の呆れたような言葉に私は困ったような顔をしてしまう。
 自分の実力は私自身が一番分かっているつもりで、だから、つい弱気な発言が口をついて出てしまう。
 勝ちたいとは思っているけれども、勝てるとは到底思ってはいないのだ。

「カズ君、次のLBXが決まってないなら、市販品をカスタマイズし直してみるのはどうかな?」
「ティンカー・ベルみたいにか? オーバーホールとか部品のフルスクラッチとか面倒だろ」
「それを言ったら自作LBXの醍醐味の半分以上がなくなっちゃうよ」

 自作LBXにおいて、それを言われたらおしまいである。
 私はそうは言うものの、ティンカー・ベルは元々は私の機体じゃない。
 知り合いがカスタマイズした機体を譲ってもらって、店長やアミちゃんと一緒にチューンアップしたものなので、自作というには実は私が手を出した部分はかなり少ない。

「まあ、考えておくさ。そろそろ授業始まるぜ」

 カズ君はそう言うと、私の席から離れて自分の席に着いた。人が疎らだった教室は俄かに騒がしくなっている。
 ホームルームでは今週末に総理就任パレードがあるので、それに対しての注意事項がいくつか読み上げられる。
 「羽目を外し過ぎないように」という、先生のその言葉に私たちは間延びした返事をする。
 休み前のどこか浮き足だった雰囲気は、そのぐらいで霧散することはなかったけれども、その日は何事もなく放課後を迎えた。



 転校生が来るという噂がまことしやかに囁かれ始めたのは、確かまだ休み明けの気怠い空気が抜け切らない朝だったと思う。
 噂の出所は詳しく調べる程複雑でもなく、隣のクラスのリュウ君が職員室で盗み聞きしたという話を得意げに話していたという、言ってしまえばそれほど面白みのないものだ。
 この時期に転校生というのは珍しい。
 いや、転校生というもの自体が学校生活をしているとかなり珍しいのだけれども、それでもやっぱり春先でも何でもないこの時期に転校生というのは唐突過ぎるような気がした。
 隣のクラスだから、後でアミちゃんに聞いてみよう。
 そう考えつつ一時間目の授業範囲をざっと見直していると、唐突に教室の窓硝子がガタガタと大きく震え出す。それからあまり聞いたことのない重低音が遠くから微かに聞こえ出した。
 戦闘機だ、と白昼夢でも見ているんじゃないかというような現実感の薄い言葉が、教室中に響き渡って、私は窓の方を見た。
 戦闘機だった。
 最初に戦闘機だ、と叫んだ誰かは正しかった。
 それは紛れもなく戦闘機で学校に一直線に突っ込んで来る。
 このままではまず間違いなくぶつかってしまうだろうけれども、逃げようとするよりも速く戦闘機は学校に接近すると、その図体に似合わない軽い動きでベランダに横付けした。そして、その横付けされた戦闘機のハッチが開くと、中から私たちと同じ年ぐらいの男の子が姿を現わす。
 すぐにベランダに下りてしまったので、その姿をしっかり見ることは出来なかった。

「なんだ、あれ……」
「あの子が転校生なのかな」
「マジかよ。戦闘機登校とは恐れ入るぜ」

 いつの間にか私の席の近くに来ていたカズ君と顔を見合わせてしまう。戦闘機登校とは、世界中の転校生史を紐解いても、そうお目にかかれるものではないだろう。
 転校生史なるものがこの世に存在するかどうかは分からないけれども。

 お昼休みになると、私は隣のクラスのバン君たちに会いに行くというカズ君に付いて行って、件の転校生を見に行くことにした。
 バン君たちのクラスには、私みたいな人たちが群がっているかなと思ったけれども、教室は静かなもので、もう転校生に対する熱は冷めてしまっているようだった。

「へえ、海道ジンっていうのか、あの転校生。俺らの教室からも見えてたぜ、戦闘機登校」
「なんか変わっててさ、クールっていうか……先生が自己紹介しろって言っても『別に話すことはありません』なんて言うし、休み時間にリュウが話しかけても完全無視。ねえ、バン」
「え、う、うん」

 バン君は気もそぞろにアミちゃんに頷き返した。アミちゃんの話からすると転校初日で緊張しているのか、ただ単に私たちに興味がないのか判断しかねる。
 モテそう? と、クラスの友達に聞いてきてと言われた質問をそのままアミちゃんに尋ねると、モテはしそうという回答を貰った。
 アミちゃんにしてははっきりしない答えだ。

「実際に見た方が早いと思うけど……。あ、来た」

 アミちゃんの視線が私たちの背後に向けられる。私もそれに倣って視線を移した。
 人の容姿を評価するのはあまり得意ではないのだけれども、それでもはっきりと分かるほどに海道ジン君は端正な顔立ちをしていた。確かにアミちゃんの言うように「モテはしそう」という意味がよく分かる気がする。
 一度見たら忘れられないような、夕焼けのように紅い瞳と一瞬だけ眼差しを交わし合うと、言い表し難い緊張感に襲われて指先が少し震える。
 一瞬、呼吸をすることが、出来なかった。
 見られたから見返した、それぐらいの単純な動作だったのだろう。
 彼はすぐに私から視線を外して、私たちの横を通り過ぎて行った。彼が私たちの会話が聞き取れないだろう場所まで離れたところで、アミちゃんが口を開く。

「ね? なんか声掛けにくい感じでしょう?」
「確かに。クールそうだね」

 アミちゃんの言葉に、私は思わず苦笑する。あれは多分緊張しているのではなく、単純に私たちに興味がないのだ。

「まあ、転校してきたばかりだし、そういう奴もいるさ。それより今日の放課後……」

 そこでカズ君が言い淀んだ。
 彼の何か言いづらそうな視線が私に注がれているのが分かったので、授業の準備があるからとその場を後にする。悪いなと申し訳なさそうにするカズ君に、当てられたら困るからね、と返しながら自分の教室に戻った。
 扉をくぐった途端に友達に捕まって、次の授業の準備どころではなくなってしまったのだけれども。転校生はどうだったか、と楽しそうに聞いてくる友達に、格好良かったよと素直な感想を告げると彼女は満足そうに頷いて、私も見てくるねと教室を出て行った。

 今日の放課後は予定がある。
 お父さんが今日は家にいるので、予定が入っているのはとても有り難い。私が帰ると帰った時の音が邪魔になるだろうから、遅く帰れるのに越したことはなかった。
 私の家は父子家庭だ。両親は私が小さい頃に離婚していて、離れて暮らしていたお母さんは少し前に病気で亡くなってしまった。妹もいたけれども、彼女も二年程前に交通事故で亡くなってしまっている。片親なのは寂しいでしょう、と憐れみを伴って何度となく言われたことがあったけれども、私はそう感じたことはあまりない。
 確かに寂しいけれども、もう小さい頃からずっと片親で、正直なことを言うと慣れてしまった。それに私にはまだお父さんがいるので、周りの人が心配しているよりも意外と大丈夫だったりする。
 今日は何をするんだったか、と考えながら歩いていると、歩道よりも少し下がった場所に入口がある喫茶店に辿り着く。「Blue Cats」という看板が目に入った。
 私にとって放課後の用事というのはこの「Blue Cats」という喫茶店でのお手伝いを指す。そこでマスターをしている檜山蓮さんはお父さんの知り合いで、その関係でお店のお手伝いをすることになってもう半年ぐらい経つだろうか。
 とはいえ、私は中学生で、アルバイトが出来るような年齢では勿論ない。見つかったら学校から大目玉を食らうだろうけれども、お父さんの研究を邪魔したくないという私の意志を汲んで手伝わせてくれているので、感謝してもしたりないぐらい檜山さんには感謝している。
 「Blue Cats」の扉を開けるときはいつも緊張する。
 その日は特に緊張していたような気がしたのは、多分、珍しくお店の中から檜山さん以外の声が聞こえてきたからだ。あれ、と首を傾げながら扉を開けるとお客さんが四人も来ているのが見えたので、失礼ながらも驚いてしまう。お客さん来るんだ、という感動すらある。そしてそのお客さんに私は見覚えがあった。

「ユイじゃない! なんでここに?」
「あれ? なんでユイがここにいるんだ?」
「みんなこそ、どうしてここに?」

 「Blue Cats」の店内にいたのは、バン君たちだったから、私は余計に驚いてしまう。誰も質問に答えることなく疑問を口にするので、私が現れた途端に現場は混乱を極めた。
 私の頭の上には無数のはてなが浮かんでいるに違いない。
 お互いに指を差し合って、「なんで」と「どうして」を繰り返すものだから段々と収拾が付かなくなる。誰か助けて。

「ユイの親父さんと俺が知り合いでな、少し店を手伝ってもらってるんだ」

 見兼ねた檜山さんが助け舟を出してくれる。そうそう、と私もそれに頷いた。正確に言うと、私はこの喫茶店を手伝っている訳ではないのだけども、それを言っていいのか判断に迷う。

「丁度いい、ユイ。地下を案内してやれ」
「え、良いんですか?」
「アングラビシダスにバンたちも参加するからな。問題ない」

 私が言うべきかどうか迷っていたことを、檜山さんは簡単に了承してしまう。
 アングラビシダスというのは、この地下で行われている非公式なLBXバトルの大会のことだ。アンリミテッドレギュレーションに則ったルール無用、何でもありというのが売りの大会で、正直バン君たちが出るような大会ではないと断言出来る。
 それだけに本当に良いのだろうか、と檜山さんを伺ってみるけれども、彼は素知らぬ顔で洗い終わったカップを拭くばかりで、何も答えてはくれなかった。椅子に腰掛けている宇崎さんも何も言わないということは、つまりは本当のことなのだろう。
 それならば、と私は三人を少しばかり堅い造りの扉の前に案内してスイッチを押した。扉の先には終わりの見えない階段があって、ここを下りるのはいつも少し怖い。
 地下へと続く階段を降りる間に、檜山さんのお手伝いをしていることを三人に説明する。私は運営サイドとして、大会の参加者のデータ管理や会場整備などを手伝っているのだ。要は雑用係なのだけれども、時間を潰すには丁度良いし、他の人のLBXも見ることが出来るのでここでの手伝いを私はとても気に入っている。

「こんな所でやるなんて、いかにも闇の大会って感じよね」
「でも、なんで『Blue Cats』の地下なんですか?」
「……いずれ分かるさ」

 私たちの後ろを歩く宇崎さんが意味ありげに呟く。なるほど、とその一言で檜山さんが秘密にしていることをなんとなく理解する。
 口を滑らせないようにしなければ。私に先に聞かれていたら危なかった。

「こんなところ手伝ってたら親父さんが心配するぞ」
「大丈夫だよ。お父さんには言ってないから」
「……悪ガキめ」

 カズ君の言葉に私は思わず、えへへ、と間抜けな声を出してしまう。もしもの時は口裏を合わせてね、と言うのも忘れなかった。しかし、悪ガキというのは、聞き捨てならない言葉を言われてしまった。父親思いな子と言って欲しいものである。むむっと少しばかり眉間に皺を寄せていると、階段の終わりが見えてくる。
 荒波のような、統一感のない騒ぎ声が聞こえてきた。アングラビシダスの会場は大会がない時は、スパーリングバトルが出来るように開放されている。ここを取り仕切っている人とアングラビシダスという大会の性質上、普段からここにはちょっと厳つい人たちがよく集まっている。あまり治安が良い場所ではない。私は大会以外では人があまりいない時間に立ち入ることが多いので、自然と体が強張ってしまう。
 今日は一段と盛り上がっているようで、健康的とは言い難い叫び声の数々は、ジオラマを置いてあるバトルスペースに向けて放たれていた。そして、その中心にいる人物には見覚えがあった。

「あれは……海道ジン!」
「LBXには興味なさそうにしてたのに……」

 バン君の視線を追って下を見ると、彼の言うように、海道ジン君がそこにいた。三体のLBXを相手に彼はたった一人で挑んでいて、場の雰囲気に怯んだ様子もなくバトルに身を投じるその姿はかなり場馴れしたふうがある。

「なんだ……あのLBX」

 夜のような深い色をしたナイトフレームのその機体は、ジオラマの中で悠然と立っていた。見たことない機体だ。アキレスとは違うけれども、バランスの取れた重量感を感じられると共に、端々に私の知らない機構があるのが見てとれる。

「三対一!?」
「危ない!」

 アミちゃんの叫びとは反対に、海道ジン君のLBXは相手のLBXの攻撃を一撃も受けることなくかわしていく。追い詰められているようにも見えるし、余裕を持った動きのようにも見えて、ここからどう攻撃に転じるのか分からなくなる。岩を背に追い詰められた海道ジン君のLBXは相手のLBXの攻撃を持っていた武器を盾に、それから自身の機体を支えるために使うと空中に跳ね上がり、一気に攻撃に移る。
 次の瞬間には、三体のLBXの首が同時に跳ねられていた。一瞬の出来事に思わず息を呑む。

「あいつ、初めから三体同時に倒すつもりだったんだ。海道ジン、まさかこれほどまでのプレイヤーだったなんて……」

 三体同時破壊なんて、やれと言われたところでそう簡単に出来ることじゃない。そもそも単純に数が多ければ戦力に違いが出てくる訳で、プレイヤーの思考や実力によっては見た目以上の差が容易に発生するのがLBXバトルなのだ。対多数の場合、明らかに不利なのは数の少ない側で、力押しでは当然のことながらジリ貧になる。数の差を埋めるには機体性能だけでは補えない総合的なLBXプレイヤーとしての実力が求められる。それだけに今のバトルで海道ジン君が相当な実力者であることが分かるし、それに応えられるだけの機体性能があのLBXにはあるというのも簡単に理解出来た。
 だからこそ、私は海道ジン君が次のアングラビシダスに出るということを悔しそうに悪態をついた相手のLBXプレイヤーの一人が言った時に、驚きもしたし怖くもなった。この会場にいる人たちの中で果たして何人が彼の動きに付いていけるだろうか。バン君たちですらどこまで太刀打ち出来るのだろうか。出場すると決めた以上、バン君たちが欠場するとはとても思えなかったけれども、アングラビシダスで彼らのLBXが壊れるのを見たくはなかった。

 海道ジン君がバトルの場から下りたのを見送った後、私たちは「Blue Cats」を後にした。手伝いがあるから来たのだけれども、檜山さんにバン君たちの出場登録をするように言われただけで、それもすぐに終わってしまった。終わりましたと何とも忍びない気持ちで檜山さんに言うと、「たまには早く帰って父親を安心させてやれ」と言われてしまった。突然そんなことを言われると、檜山さんの手伝いを時間潰しの当てにしてきた身としては、とても困ってしまう。
 でも、確かに、そう言われると、ここ何日かずっと遅い時間に家に帰っているので、そろそろお父さんが心配をし始めても良いような気がしてきた。

「じゃあ、私たちと一緒に帰る? キタジマにもちょっと寄っていこうって話してるんだけど」
「うん、行く!」
「元気が良いなあ」

 アミちゃんからのお誘いに元気に返事をする私に、バン君が苦笑する。キタジマに寄っていけば時間も上手く調節できるだろうし、アミちゃんからの誘いはとても嬉しかった。
 キタジマに行けば、開催まであと一週間しかないアングラビシダスに向けて、店長による特訓が始まった。私も特訓に貢献できればと思うのだけれども、LBXバトルは少しも強くないので、バン君たちに尋ねられたのもあって、アングラビシダスについての話をした。とは言っても、やっぱり私はアングラビシダスに出たことがないので、バトルは私の主観混じりの拙い説明になってしまう。
 だからだろう。明日は私も特訓に参加すると勢いに任せて言ってしまった。よろしくね、とアミちゃんたちに嬉しそうに言ってもらえたから、私も明日からはキタジマに一緒に行くことになった。みんなと別れた後、そのことを思い出して、なんだか嬉しくなってしまう。同時に、追いつかなければ、と背後から忍び寄ってくる形のない焦燥感に体の端から焼かれていくような感覚に陥る。
 急き立てられるように、少し緊張しながら家路を辿る。太陽がまだ少し高い位置にある時間に家に帰るのは、本当に久しぶりだった。家に着く頃もまだ陽の光によって出来た濃い影がアスファルトを這って、私を追いかけて来ていた。


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