- ナノ -

07

治と飲んだ夜、駅で解散して帰ろうとした私を
治は家まで送ってくれた。


帰る道中、治は角名の事について
特に詮索もせず、
かと言って場を盛り上げるような
アホみたいな話もせず、
ただ黙ってそばにいた。


私はこれまで誰にも言わずに閉じ込めていた角名への想いを人に話してしまったという後悔と、
いつか溢れ出してしまう前に吐き出せたことに
少し安心して、妙に冷静だった。


寒さで空気が澄んでいるせいか、いつもは
街灯に照らされその輪郭がぼんやりとしていた
家までの暗い夜道が、くっきりと目に映る。


家の前に着いたので、治にお礼を言おうと
その顔を見上げる。


「治、今日はありがとう。家まで送ってもらって。……話も聞いてくれて」


治は、おん、と言って私の頭にぽんと右手を置く。


それ、よく角名にされたな


一度、鍵の壊れた箱は、ちょっとした出来事をいとも簡単に角名との思い出につなげてしまう。


全然、あかんやん。忘れてへんやん。


なんだか笑けてきた。


「次は年明けやな」


治は私の頭に置いた手を引っ込めて、寒っ、と言いながらそのまま上着のポケットへつっこんだ。


「良いお年を」


私がそう言うと、


「気ィ早いな」


と言って、治は笑った。





年が明けた。


年末まで課題のレポート作成に追われていた私は休みに入るなり風邪を引いてしまった。


ベッドの中で友人から届いた新年の挨拶メッセージに目を通しつつ、返事は体調が良くなってからにしようと決めて重たい瞼を閉じる。


夢をみた。


私はまだ高校生で、教室で侑と治、
銀と、そして角名と話をしていた。


いつものように、アホみたいな話をして、
双子がお互いを罵り合うのを銀がなだめて
角名がその様子をスマホで撮影する。


私は、そんな何気ない日常が嬉しくて
涙が出てくる。


角名が私に気がついて、


「苗字、笑ってよ」


そう言って私の頭にぽんっと手を置く。


嬉しいのに涙が止まらなくて、なかなか
うまく笑えない私に、角名は大丈夫だよ
と言って笑う。


角名の笑う顔を見ていたらホッとして
自然と笑みがこぼれた。


目が覚めた。


よかった


角名、笑ってた。





三箇日を過ぎて、ようやく体調が戻ってきたのでメッセージを返しつつ、来月には始まる試験勉強に時間を費やした。


成人式の日、早朝から近所の美容院で着付けと
髪をセットしてもらい、式が始まるまでの数時間をただひたすら待つという苦行を乗り越え、やっとの思いで成人式を乗り切った私は、地元の旧友たちとの挨拶もそこそこに家へたどり着いた。


ようやく楽な部屋着に着替えてベッドへ
潜り込んだところで、スマホから着信を
知らせる音が鳴り響いたが、襲い来る
睡魔に抗えず、そのまま眠ってしまった。


目が覚めると部屋は真っ暗で、
スマホの通知ランプが点滅している。


そういえば、寝落ちする前に電話がかかって
きていたなということを思い出し、
スマホを手に取ってロックを解除する。


そこには治から着信があったことが
表示されていた。


まだぼんやりする頭で、そのまま折り返して
電話をかけると、もしもし、という治の声とともに賑やかな雑音が耳に入る。


「ごめん、治。電話くれたのに
出られへんかった」


開口一番にそう言うと、治は


「明けましておめでとう」


と言った。


そういえば、風邪で寝込んでいたので
新年の挨拶もメッセージも送って
いなかったことを思い出し、慌てて


「明けましておめでとう」


と返した。


治の笑う声と、遠くから、

治ぅ、彼女からか?

と言う声と、

えー!嫌や!誰なん!

と言う女の子たちの声が聞こえる。


「治、今もしかして宴会中なん?
それやったらまた明日にでもかけ直すわ」


と言うと、治は


「ええねん、ちょっと待って」


そう言ってザワザワとしていたところから
移動したようだ。

周りが静かになって、治の声がよく聞こえる。


「苗字は同窓会とか無いん?」


「あったけど今日振り袖着るのに朝3時
起きやったから断ってん。
年明けに風邪も引いてたから」


「せやったん。それは大変やったな。
お疲れさん」


「うん、ありがとう。
……侑もそこにおるん?」


「おるけど席だいぶ離れとるから
苗字から電話きてることは
バレてへんで」



私の気持ちを見透かしたようにそう言う。


「そっか」



少しほっとした。



まだ、侑と話ができるほど、
私の中では高校時代の思い出と
折り合いが付いていない。



「電話かけてくれたんって新年の挨拶?」


そう尋ねると、治はいや、
そう言って話し始める。


「こないだまで東京に春高見に行ってたから、
苗字にお土産買うてきてん」


「そうなん?お土産とか別に良かったのに」

「それはまぁええやん、でな?今週の金曜日、学校の帰りに会われへん?」

「ええけど、また飲みに行くん?」


試験が近い。
できることなら週末は勉強がしたい。


私の声色から察したのか、治は


「いや、茶ぁするだけにしとこ。俺もちょっと忙しいし」


また連絡するわ、そう言って治は
電話を切った。




前回の飲み会のときとは打って変わり、
今回の集合場所の連絡が来たのは
約束の一日前だった。


明日、治が新大阪で外部研修を受けるので
駅構内にあるカフェで17時30分に
待ち合わせ、ということになった。


もしかしたら時間に遅れるかもしれんから、
そのときは先にコーヒーなりなんなり飲んどいて


治からのメッセージはそう締めくくられていた。


翌日


大学の図書館にある自習室でテスト勉強を
しながら、この週末の勉強に役立ちそうな
資料を集め、17時には新大阪へ着くように
学校を出た。


待ち合わせ場所のカフェには予定通り、
17時に着いたが治はまだ来ていなかった。


帰宅ラッシュより少し早い時間のせいか、
新幹線改札口の横にあるこのカフェは
空いていた。


私は二人掛けのこじんまりしたテーブル席で
ロイヤルミルクティーを飲みながら
治が来るのを待つことにした。


手持ち無沙汰なので、図書館でまとめた資料に
目を通す。


どれくらい時間が経ったのか、
気がつくとまわりの席はほぼ人で埋まっていた。


治まだかな


なんとなく居心地の悪さを感じ始めたその時、


お待たせ、


声をかけられた。


その声を聞いて、
私は息を吸う事を忘れてしまった。


治とはちがう。


でもその声はよく知っている。


聞きたくて、

聞きたくなくて

会いたくて、

会いたくなくて


焦がれるように想っていたその人が
私の目の前の席に座った。


「久しぶり、名前」


そこには角名が居た。