- ナノ -

06

11月


学園祭で浮足立った学生も吹く風の冷たさに
落ち着きを取り戻しつつあった頃、
交換したままになっていた連絡先から
メッセージが届いた。


その内容はとても簡潔で、


【今日の晩、電話してもええ?】


とだけ記されていた。


ちょうど2限目を終えて食堂に向かう
人の波に乗っていたところだったので、
友人に一声かけてから離脱した私は
そのメッセージに


【20時くらいやったらええよ】


と返信した。



その日の19時55分頃、
メッセージの主から電話がかかってきた。


夕食を食べ終え、部屋でレポート用の資料を
整理していた私は3コール目でその電話に出る。


「……相変わらずちょっと早めに
電話かけてくるとこ、全然変わらんな」


「第一声がそれか。愛想ないな」


声だけならどちらかわからない。


でも今の私の連絡先を知っているのは
治だけだ。


「お疲れ様でしたー」


「待て待て、ちゃんと用事あんねん」


慌てて要件を伝えようとする治に
思わず笑みがこぼれる。


「わかってるよ、じょーだん」


「お前、ほんまに中身は変わらんな」


「中身はってことは外見は変わった?」


「まぁ、ええわ」


「話そらすな」


治が電話の向こうで笑う気配がする。


「まあ、用事言うか、飲みのお誘いや」


「あ、飲めるようになったんや。
成人おめでとう」


「事のついでみたいに言うなや」



事のついで、


それなら私も聞いてみたいことがあった。



「例のお誕生日会はしたん?」


「いや、関東組が忙しいから年明けに
やることになった」


「そうなんや。
……まさか飲みのお誘いってそれ?」


「お前どうせ誘ってもけぇへんやろ?
それとは別で俺が苗字とサシで
飲みたいねん」


「……どういう意図で?」


「友達と飲みに行くのに意図もくそも
あるかい」


「治は飲みに行く友達も彼女もおらんの?」


「余計なお世話や。
それよかいつやったら行ける?」


「まだ行くこと自体に回答してへんねんけど」


「でも来るやろ?」



正直、こうやって素の自分をさらけ出して
人と話すのは久しぶりだ。


ここまでの会話で自分が思っている以上に
声が弾んでいるのがわかる。


「……一番早くて今週末。その次やと12月の
第二土曜やな。時間は18時以降」


「意外と忙しいんやな。ほな今週末で」


また店決まったら連絡するわ


そう言って治は電話を切った。



翌日には集合時間と場所がメールで届いており
その仕事の速さに少し驚いた。





金曜日


集合場所は治と私の家のちょうど中間にある
主要駅の改札前だった。


電車の都合で待ち合わせ時間より10分早く
着いたのだが、改札前にはすでに治が
待っていた。


「お疲れ、治。早いやん」


改札を抜けて治に駆け寄りながら声をかける。


「5分前集合が体から抜けきらんねん」


「体育会系の性やな」


「苗字もはよ来たから結果オーライや」


行こか、そう言って治は私の背中を
ぱんと叩いた。


お店は駅から歩いてすぐのこじんまりした
大衆居酒屋で、店内には手書きのメニューが
ずらりと並んでいた。


奥の座敷に通されて、小さなテーブルに
治と向かい合わせで座る。


掘りごたつになっていないので、正座を
崩した様な格好になって少し窮屈だ。


今日は、スカートじゃなくてよかった。


「ビールでええか?」


メニューを見る前に治はそう私に聞いてくるが
ええよと返した。


「なんか食いたいもんあるか?」


「治の食べたいもん頼んで。
私それ横からつまむわ」


「わかった」


すんませーん、と店員さんを呼び、
テキパキと注文をする治の姿は
約2年の空白を感じさせるには十分だった。


すぐに運ばれたビールを各々手に取り、


かんぱーい、成人おめでとー


と緩く声をかけあって喉に流し込む。


肌寒い季節とはいえ、やはりビールは
キンキンに冷えたものに限る。


「苗字はいける口なん?」


治がビールと一緒に届けられた枝豆を
口に運びつつ、私に聞いてくる。


「どうやろ、嫌いではないよ。
まだ潰れる程、飲んだことないけどな」


そう言いながらまたジョッキを傾ける。


「治は?まだ飲めるようになってから
日も浅いやん?」


「苗字もそんなに変わらんやろ?」


「まあな」


「俺は毎晩親父と晩酌やな」


「なんかオッサンじみてんな」


フフッと笑いながら治は枝豆に手を伸ばす。


私も少し食欲が出てきた。


「治、だし巻きたまご食べたい」


「ちゃんと頼んどるから待っとき」


「はーい」




3杯目の生ビールを飲みながら、
治と昔ばなしに花を咲かせる。


「苗字、ネタ帳持ってたやん?
探偵Mスコープに出す言うて書いてたやつ。
あれまだあんの?」


「あほ治!人の黒歴史大声で言うな!」


「お前のほうが声でかいわっ」


アルコールがいい感じに回ってきて
声も気持ちも大きくなる。


あー、たのし


そう言いながら、治がまたビールを注文する。


「なぁ、苗字」


「ん?何」


「苗字が急に連絡先変えて音信不通になったんは
やっぱり角名が原因か?」



急に核心を突かれて、誤魔化すことも
反応することもできず私は黙ってしまう。



「図星か」



治は空になったジョッキを傾けて
ビールまだかなと呟いた。


「……角名に、なんか聞いたん?」


「いや、なんも。ただ夏に会った時に、
苗字の名前が出てきてからあいつ
ちょっと様子が変やった」




そんな話は聞きたくなかった。




角名には、私の事なんて忘れて
バレーしながら笑っていてほしかった。




やっぱりあの日、
あんな我儘きいてもらわなきゃよかった。




「お待たせしましたー。生ビールです!」


治の注文したビールを運んできた店員さんが
ついでに空いた食器やグラスを下げる間、
私達は無言だった。


店員さんが席を離れたあと、運ばれてきた
ビールには手を付けず、治がまた話し出す。


「苗字は角名のこと、好きやったんやろ?」


治の顔を見ず、返事もせず、私は俯いていた。


「角名もだいぶ苗字のこと想とったみたいやで」


「やめて!」


顔を上げて話の続きを拒絶した。



少しだけ悲しそうな顔をして、
治は私の顔をじっと見ている。



「……なんでなん?」



絞り出すように治は私に問いかける。



「……私は、大した人間ちゃうし、
角名を支えられるような器も度胸もないねん。
そのくせ寂しがりやから、もし角名が私の
気持ちに答えてくれたとしても、
いつか角名の邪魔になってまう
……それだけは、死んでもしたくない」



もう泣きそうだ。



私は膝を抱えて涙がこぼれそうになるのを
必死でこらえる。



「……その様子やと、まだ角名のこと
好きなんやな。苗字は」



治はため息をつき、店員さんに
おしぼりとお茶を持ってきてもらえるよう
お願いして、少しぬるくなったであろう
ビールに口をつけた。





12月に入り、インカレも終わって
街中にクリスマスの気配が色濃くなってきた
ところに治から電話がかかってきた。



「おう、角名。元気しとったか?」


「ぼちぼち。そっちは?」


「あいも変わらずや」


そういえば年明けにこっちに来るんだったな。


てっきり侑から連絡が来るものだと思いこんでいたが、あいつ治に押し付けたのか?
なんて考えていた。


「今、時間大丈夫か?」


「え、そんな長くなんの?」


「多分な」


「……大丈夫だけど……何?」


「苗字の事や」



その名前を聞いて、どくんっと
心臓が高鳴った。


「角名?」


「ん、何でもない。
それより苗字と連絡取れたの?」


「おん。9月にな、苗字の大学に乗り込んでん」


そんな前から動いていたのか?


治の意外な行動に少し驚いていると、
そのまま話は続いた。


「しばらく待っとったらあいつの知り合いが
声かけてくれてな、会えたわ」


「そっか、元気そうだった?苗字」

「えぇ女になっとったわ。びっくりした」


治が苗字に対してにそんなふうに
表現するなんて。


動揺を隠そうと、少しからかうように
俺は振る舞う。


「えぇー?ほんとに?写真とかないの?」


「写真はないけど連絡先は聞いた」


「え、そうなんだ。やるじゃん、治。
俺にも教えてよ」


すると治は、しばらく黙ったあと、
妙に真剣な声で話し始めた。


「角名、お前苗字の事どう思ってるん?」


「何だよ、薮から棒に」


「これは真面目な話や。別に侑と酒の肴に
するわけちゃうし、お前の本音が聞きたいねん」


「何なの、治。まさか苗字に再会して
好きになっちゃったの?」


「……角名」



あ、これはほんとにマジなやつだ。



「苗字が音信不通になった理由、
角名やったらわかるやろ?」


「……原因はわかるけど……理由までは
わかんねぇ」


「あいつな、お前の事まだめっちゃ好きなくせに
自分は角名を支えられるような器ちゃうし、
バレーの邪魔になる言うてんねん。
……ほんまアホやろ?」




なんだよ、それ



俺がこの2年近く、どんな思いで
過ごしてきたか。



すぐに顔を見れなくても、声だけでも、
メッセージの一文だけでもよかった。



ただそこに居て、お互いを想っているという
事実があるだけでも俺は随分救われたのに。




「……バカだね、相変わらず。苗字は」


「俺から言わせてもらうんやったら
お前もやで、角名」


「うるせーよ」