無垢色の祭壇 | ナノ


▼ 5.壁の中へ

ナマエがパラディへと上陸した頃

ジークの部屋にはピークとガリアードが集まっていた。特に用事があったわけではない。ジークらも翌日からは長く他国へと向けてマーレを発つ。その前に、同じ任務に当たる3人はささやかな休憩と称して、ジークの部屋で珈琲を飲んでいたのだ。

話題は大抵が戦況のことや任務にまつわることばかり。実際休憩になっているのか定かでは無いが、室内に流れる空気は穏やかだ。

「もう少し飲むかい?」

空になったガリアードのカップを見て、部屋の主であるジークが尋ねる。

「すみません。頂きます……」

ガリアードはカップを差し出し、ジークは宙で、フラスコからカップへと珈琲を注ぐ。

「あっ」

ガリアードがカップを引き戻すのと、ジークがフラスコを引き戻すタイミングが一寸ずれた。ジークも「おっと」と口に出したが、フラスコから零れた珈琲は近くにあった書類の上に零れる。

「何やってるの、ポッコ」

側のソファに突っ伏していたピークは、くすくすと笑いながら呟く。

「うっせぇな。ちょっと手が滑っちまったんだって……」

「はいはい。先に拭こうね……あー、真っ黒」

「すみません……」

ジークから手拭きを受け取り、ガリアードは珈琲まみれになった書類を持ち上げる。

「その書類」

ちょうどピークの視界に入った「ナマエ」という文字。

「ああ、それはナマエちゃんの報告書だな」

「古い物のようですね」

「へぇ?」

ガリアードは書類を窓に透かすと、文字が見えないかと目を凝らした。

「どうしてその報告書がここに?」

「ん?ナマエちゃんが最初に任務に就いた時のやつでね。あんまりにも面白いから、読み物として貰ってきた」

「いいんですか……それは」

半ば呆れたようにガリアードが言うと、ジークは楽し気に肩をすくめる。

「いいのいいの」

「その頃の方が……よく働いてましたね、ナマエ」

ぽつん、と呟くピーク。どういう意味だ?とガリアードがピークの方に視線を向けると、ピークは黙って、ガリアードが持ってた書類を奪い取った。

「今頃ナマエは上陸出来たでしょうか……私達が行って、あんな状態だったのに。無事に帰って来れるとは思いません」

「あんな状態?何かあったのか……?」

話しが掴めないガリアードは、不思議そうにピークとジークの顔を見比べる。

「今回の作戦に、先の状況は考慮されなかったんでしょうか」

「……仕方ない。壁内の事情に詳しい人が行った方が、勝率が上がるからね」

「野球じゃないんですから……」

ピークのふんわりとしたツッコミに、ジークは愛想を零すかのようにして笑った。

部屋の中はしんと静かになる。窓からは肌寒い風が吹く。揺れる梢が、さよならを告げるように震えていた。

「ジーク戦士長」

「なんだい?ピークちゃん」

「その報告書、頂いても構いませんか」

なんでそんなもの、と言いかけたけれど、ガリアードは黙ってカップを傾けた。ピークは相変わらず、ソファの上に伸びている。

「いいよ。持っていくといい」

「どうも」

ピークは起き上がり、やっと人間らしく腰かける。書類を手に取ると、少しだけ笑った。

***

ナマエが渡された着替えは、サシャのものだった。

「ありがとうアルミン。彼女にもお礼を伝えてくれる?」

そう言ってナマエは、サシャのズボンだけをアルミンに手渡した。ズボンにはき替えるのは何かと面倒なので、上だけを着替えたのだ。

「ええ……あの、ズボンは?」

「サイズが合わなかったの。ジャンがお水を持ってきてくれたし、今は上だけ替えられたら十分よ」

「そうですか」

ほっとしたように、アルミンは微笑む。

調査船からは乗船していた兵達が全員降ろされ、一行は壁内の収容所へと向かって移動していた。先ほどまであった喧噪は無い。エレンも巨人化を解いて、テントに戻って休んでいる頃だ。

ジャンは気を効かせて、ナマエの着替えが終わった頃合いを見てリヴァイの馬を牽いて来た。

「兵長、馬を牽いてきましたが……先に行った奴らと鉢合わせませんか?」

「俺の馬なら先にこっちが着くだろう」

「ナマエさんはどうしましょうか」

基本的に荷馬車以外では各々の馬で海辺まで来るのだ。予備の馬は無い。

「俺と一緒で構わない……そろそろ出るか」

リヴァイは手綱を受け取り、そのままあぶみへと足をかける。

「オイ、行くぞ!」

少し離れていた場所でアルミンと話しをしていたナマエは、はっとして声の方へと視線を向ける。もう出発するような雰囲気でリヴァイが馬に乗っていたので、ナマエはアルミンに挨拶をする間も無くリヴァイに駆け寄った。

「あまり顔が見えない方がいいだろう」

ナマエは黙って頷き、当たり前のように差し出された手を取って、リヴァイの前、彼と向かい合わせになるように馬に跨った。

「掴まれ」

双方がぎゅっと互いを抱きしめる。リヴァイより華奢なナマエはすんなりとその腕の中に収まる。

「兵長!えっと、ナマエさんスカートなんで……これ……」

口ごもるジャンが差し出したそれは、ブランケットだ。

「ああ……助かる」

ブランケットはナマエを包みこむように広がる。ナマエは小さく「ありがとう」と呟くと、どこか気恥ずかしそうにリヴァイの胸へと顔を埋めた。

「何かあれは早馬を出せ」

それだけ言って、リヴァイは鞍を蹴る。調査兵団の馬なので脚は早い。あっという間に遠くなったリヴァイ達を見送って、ジャンはぽつりと呟いた。

「なぁアルミン……馬の相乗りってあれであってんのか?」

「……いや?」

やっと緊張の糸が解れた少年達のため息は、リヴァイ達には届かないだろう。

颯爽と野営地を後にしたリヴァイ達は、すぐに平原へと出た。ここから壁内まではしばらくかかる。

(壁内に入るまでは……このままでいられる)

ナマエはリヴァイの胸元へと顔を押しつける。もう少し顔を上げれば、すぐにキスだって出来る距離だ。リヴァイはそんなナマエの頭を、頬摺りするように引き寄せた。会話は無い。

リヴァイの言った通り、調査船から降りた兵士らの一行を抜いて、リヴァイ達の方が先に壁内へと到着した。外門をくぐれば、馬の脚も緩くなる。

「本部へと向かう」

門近くには、シガンシナ区に住まう人達の行き交う声で溢れていた。

「わかりました……こんなに復興、したんですね」

「ああ。お前らが帰った後にな」

2人がようやく調査兵団本部に到着したのは、夜も更けた頃だった。

本部の入口や厩の周りには篝火が焚かれている。橙色が薄く淡く宵闇を照らす中、2人はリヴァイの私室へと向かう。ナマエが秘書としていた頃、リヴァイは私室の方に重要性の高い書類などを置くようにしていた。一度たりとも、私室へとナマエを招いたことはなかった。

「……入れ」

幹部棟の、執務室からは少し離れた部屋の前で。リヴァイはドアを開けてナマエを促した。

室内はあまり広くない。ベッドとクローゼット、それから窓辺にはテーブルと椅子。ナマエは落ち着かない気持ちを抑えつつ、部屋の中へと足を踏み入れた。数歩進み、窓を背にして立つ。リヴァイはドアの入口で周囲に誰もいないか、確認をしているようだった。

最近ではシガンシナ区にも調査兵が在中する建物があるし、もちろん海の方にもいなくてはならない。人手不足の本部内に、人の気配はあまり無い。それでもリヴァイは用心深く遠くの廊下の奥までを見やったあと、ゆっくりと扉を閉める。何から話すべきか──そう思いながら、ナマエの方へと振り返る。しかし。

「ごめんなさい」

90度、揺るぎない角度を定め、黒光りした銃口はリヴァイへと向いていた。ナマエの背後、窓越しの空からは星が瞬いて見える。夜のコントラストはじわりと視界に広がっていく。一つの決断の輪郭を浮き彫りにするのか、溶かしていくのか。まだ、リヴァイにはわからなかった。

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