無垢色の祭壇 | ナノ


▼ 3.その日、

その日、リヴァイは。

徹夜の状態で朝を迎えた。決して昨日アルミンと話したことを気にして、眠れなかったわけでは無い。会議の都合で昨日はリヴァイも壁内へと戻り、夜中、海岸の野営地へと帰還してそのまま朝を迎えたのだ。

「リヴァイの隈が無くなる日って来るのかな。巨人がいなくなったのが先だったね」

そう言ってリヴァイを出迎えたのはハンジで、こちらもまた徹夜に近い状態だ。なのにどうしてか、ハンジの顔に疲れは見られない。

「くだらない冗談を言う暇があったら手を動かせ。そっちの書類も明日中には仕上げなきゃならねぇ」

「わかってるさ。ああ、リヴァイ昨夜食事はとったかい?そろそろニコロの朝食が出来る頃だ。行っておいでよ」

「……ああ」

食事へ向かう途中、104期の面々とも顔を合わせる。今日は全員が海岸の方へ揃っていた。皆それぞれ、いつものようにリヴァイに朝の挨拶を口にする。アルミンだけは、ほんの少しだけ気まずそうに。

倒すべき巨人がいなくなっても、リヴァイの毎日は忙しない。壁内外の状況は安定しない。それでも「いつもの」と言える瞬間が、それなりに訪れるようになった。先の──ウォールマリアを奪還する以前のような、壁外調査は無いのだ。

ナマエに返事のつもりで綴じた本をイェレナに託してから、もう数カ月が経っていた。返事は未だに来ない。そうそう簡単に、この本のやり取りは出来無いのだろう。

彼女の中でリヴァイのことは完結したのかもしれない。リヴァイは、そう思うようになっていた。それならそれでもいい。彼女が、ナマエが当たり前に生きていれば。リヴァイが今送る生活に等しいような「いつもの」毎日が、ナマエにもあるのなら。そうしてそんな繰り返す毎日の中で、ふとリヴァイのことを思い出してくれれば。

ナマエから贈られた本のページ、ヴェロナの街のつぎはぎの物語は、纏めていつもリヴァイの胸ポケットの中にあった。10ページに満たないほどの短い手紙。ナマエがいつか、どこかで死んでいったとしても。リヴァイがこのページの束を捨てる日は死ぬまで来ないだろう。ナマエの存在は、透明にリヴァイの日常に浸透している。

そして今日も、そんないつもの一日が始まるはずだった。

***

その日、ナマエは。

日の出前に目を覚ました。狭い船内で、ぎりぎりナマエが横になれるサイズの2段ベッド……物置きに近いそこから起き上がると、同室である諜報部の2人も起こした。

予定では、今日の昼前にパラディ島が目視出来る距離にまで近付くのだ。

「朝食はしっかり摂っておいてね。上陸してしまえば、いつ食事が出来るかわからないから……」

部屋を出る前にナマエが声をかけると、2人は寝ぼけ眼をこすりながら「了解しました」と呟く。

洗面所で髪を整え、顔を洗い、着替えを済ませた。小型の銃は太腿の内側に、ベルトを使って固定する。ズボンであると逆に目立ってしまうので、ひざ丈のタイトスカートを穿く。ジャケットは軍の物なので、左手にはちゃんとマーレの腕章をつけて。

(よし、これで……)

いいだろう、と洗面所を出ようとした刹那、髪を降ろしたままの自身の姿が鏡越しに映る。途端に、リヴァイのことが思い浮かんだ。

『その流した髪に誘われる野郎共が目障りでならねぇ。しっかりくくっておけ』

そう言われたのは、いつだっただろう。ナマエは少しだけ動きを止め、スカートのポケットを漁る。髪留めがひとつあったので、シニヨンに結い上げた。

船室に戻ると、狭い中で膝頭をぶつけ合いながら、諜報部の2人が朝食を摂っていた。簡易の缶詰などだ。

「ナマエさん、これを見てもらえますか」

若い青年がそう言って、海図を開いた。

「どうしたの?」

「さっき船長に話しを聞いてきたのですが、潮流の関係で当初の到着地点がずれるそうです」

「え……」

ナマエはすかさず、自身の荷物の中にあった地図を開く。パラディ島の、マーレが現状で把握している土地の地図だ。それを海図を見合わせる。

「この位置だと……もしかしたら見つかりやすいかもしれない」

「ええ。僕もそう思って、船長に進言はしたのですが」

「船長は島の都合より海の都合を読むものね……」

当初は入り江になっている、船を隠せそうな地点を目指していたのだ。しかし潮流が変わり、そこに静かに船を着けるには困難な状況らしい。現在船長が目指しているのは「楽園送り」にする際、マーレがよく船を着ける位置だ。

「俺達はなるべく早く船を降りた方がよくないだろうか」

「そうね……2人共泳ぎは得意?」

ナマエが尋ねると、2人は曖昧に頷く。

「私も似たようなものだけど……海図通りであれば、この地点からは西に潮流矢符が向いてるから。もう少ししたら降りましょう」

「潮の流れとオールで……陸地まで行けるでしょうか」

「行かなきゃ始まらないからね」

動いている船から降りるのは危険極まりないが、3人の任務はあくまで極秘任務。隠密に行動するに越した事は無い。

甲板からナマエを乗せた状態でボートを降ろした。他の2人は海面に近い位置の窓より、浮き輪をつけて海へと飛び込んでくる。ナマエはボートからアンカーを降ろして、2人の到着を待った。

軍艦と違って、粗末な木製のボートだ。航跡で余計に波は荒く揺れる。ゆらゆらと、波に併せてナマエの視界も上下する。島はもうすぐだ。帰ってきてしまった、という焦燥がナマエを襲う。程なくすると、浮輪をつけた2人がボートへと乗り込んで来た。3人は交代でオールを手にして、陸地を目指す。

海上では視覚の距離感が曖昧になりがちだ。しかしナマエ達を乗せていた軍艦は、すでに陸地に近付いていた。

「あっちは無事に到着出来たかな……」

オールを漕ぎながら、諜報部の1人が呟いた瞬間だった。耳をつんざくような音と共に、空へと光が走る。まるで、地上と空とを繋ぐ柱のような激しい光。

「パラディ島の巨人!」

一番に気付いたのはナマエだ。薄っすらと巨人の影も見える。どう見ても超大型巨人ではなかったので、おそらく巨人はエレンだ。

「飛び込んで!このボートもすぐに見つかる!」

2人は一瞬だけ狼狽えたが、考える間も無く海に飛び込んだ。まだ陸地までは、結構な距離がある。

ナマエも海へと飛び込む。海水の冷たさは瞬時に全身の肌を刺し、ぎゅっと肺を絞めつけた。すぐに海面へ顔を出したが、目も沁みるし、視界はぼやける。

「ぐずぐず出来無い……早く移動しなきゃ」

マーレは海上戦を得意としていないので、海洋訓練は陸上の訓練に比べるとずっと簡単なものだ。それでも3人は、なんとか岸辺まで辿り着いた。ちょうどトロスト区の外門より向かって西寄りの入り江だ。入り組んだ岩場で、姿を隠すのにも適している。

「はぁっ……諜報部は、特例で泳ぎの訓練も追加してもらいましょう」

青年の方がそう言ったので、ナマエは「そうね」と言いながら海から体を引き上げた。他の2人も同様に海から上がる。

「どこかで服を乾かさなきゃ……さすがにこれじゃあ」

──カチャリ

岩場に寄せる波の音に紛れ、ナマエの鼓膜の奥へ小さく響く音。2人は、ナマエの目の前でジャケットの裾を絞っている。

ナマエは息を飲み、ゆっくりと両手を挙げた。

「……ナマエさん?」

「大人しく、私と同じように」

両手を持ち上げたまま、振り返る。全身に鳥肌が立つ。予感が、する。

***

西から昇った太陽は、まだてっぺんには至らない。時刻は正午前。

少し離れた海上では、エレンが持ち上げた調査船から、マーレの兵士達が上陸して周囲は喧噪に包まれていた。合間に、波の音が響く。

リヴァイは持っていたライフル銃をスライドさせ、空の薬莢を飛ばした。もう一度、ナマエの耳にはカチャリという音が届く。

ナマエ達よりも少し目線が上の岩場に、リヴァイの姿はあった。

リヴァイは視線の先、彼女が振り返るよりも早く、それがナマエだと認識した。

「ナマエ」

「リヴァイ兵長」

張り詰めた空気が、2人を中心に周囲の兵にも伝わっていた。双方が固唾を呑んで動けなかった。

その日、2人は再び出会ったのだ。

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