▼ 2.追憶
テントの幌をめくると、海面に反射した太陽の光がアルミンの瞳を刺した。不意打ちの眩しさに目を細めたが、それでもアルミンはたっぷりと海を眺め、大きく潮のにおいを吸い込む。
「おうアルミン、朝メシ出来てたぜ。さっさと食っちまえよ」
ライフル銃を肩にかけながらそう言ったのはジャンだった。側にいたサシャは「今朝のスープも絶品でしたよ」と付け加える。
「おはよう2人とも、早いね」
「俺らは今日、一旦壁内だ。引継ぎがあるからな」
「そっか。そうだったね」
最初の調査船がパラディ島へと到着してから。
海の側には野営地が張られ、調査兵団はこのテントに在中し続けている。巨人化の能力を持っているエレンとアルミンは調査船を迎え撃つ為に必ずいなくてはならないが、ジャン達兵士は交代で壁内に戻ることもある。
食事を作っているのは一番奥のオープンタープだ。最近では最初の調査船に乗っていたニコロが先陣を切って、料理係を務めている。
「おはよう。僕にも朝食を貰えるかな?」
調理器具が並ぶ簡易キッチンで右往左往しているニコロ。ちょうど朝食時分であるので、食事を貰いに来る兵士が多い。
「アルミン、悪いな。少しそこで待っててもらえるか?」
「あ……うん。何か手伝うことは?」
「いや、すぐ済む」
そこ、と言われたアルミンは空いているテーブルに視線を移した。ちょうど人気の無い端の方に、食事を終えたらしいリヴァイが紅茶を傾けて座っている。
「兵長、おはようございます」
「ああ」
失礼しますと言いながら、アルミンは遠慮がちにリヴァイの隣の隣……一つ分椅子を空けて腰かけた。
「珍しい……ですね。リヴァイ兵長がここで食事を……」
「そうだな。今朝方ハンジの奴に叩き起こされた。また調査船が来るかもしれねぇって話だ」
「そうなんですか」
ふいに気まずい沈黙が訪れる。マーレからの調査船が来るのはもちろん初めてのことではないが、どうしても身構えてしまうのだ。
「待たせたな、アルミン」
丁度良いタイミングで、トレーに朝食を乗せて2人の向かい側に現れたニコロ。アルミンは「ありがとう」と言いながら、朝食を受け取った。
(リヴァイ兵長……と、ニコロ)
珍しい取り合わせの3人だ。
特にこのまま無言で朝食を終えてもなんら問題は無い。しかしアルミンは、今朝方見た夢の事を思い出した。今ここで夢の話題を持ち出すのがいいかもしれない。上への報告も、マーレの人間にそれを訪ねることも、同時に出来る状況だ。
「……ねぇニコロ、少し質問してもいいかな」
「なんだ?忙しいから手短に頼むよ」
「うん……あの、マーレの人がしてる腕章ってさ、子供もみんなしてるものなの?」
ああ、とニコロは合点のいったような表情。すかさずリヴァイは「ベルトルトの記憶か?」とアルミンに訊ねた。
「はい。多分、彼の記憶の……夢みたいなものを見て」
「マーレに住むエルディア人はみんなしてるよ。それをしておかなければ、罰せられる」
「そうなんだ……報告するかどうか微妙な夢ではあるんですけど、腕章をつけた子供が、銃を抱えている風景が見えて。遠くから、ぼんやり見ている感じで……」
リヴァイは黙って紅茶を傾ける。アルミンの話しの続きを、待っている風だった。
「腕章つけて銃を抱えてるって……多分、戦士候補生じゃないか?普通の子供は銃なんか持たない」
「ああ……じゃあ、あれはやっぱりアニと……ナマエさん、だったのかな?」
疑問符のアルミンに、ニコロは顔をしかめる。
「なんでアルミンがナマエさんのこと知ってるんだ?」
「え?ニコロも知ってるの?」
「知ってるも何も、あの人は割と有名人だよ。今何してるか知らないけど……」
リヴァイの視線がニコロに向く。アルミンは用心深くリヴァイの様子を探りつつ、慎重に次の言葉を選んだ。
「ちょっと……知ってるんだ。でも、有名人ってどういうこと?」
「いや、あの人も戦士候補生で……もともとさ、両親が楽園送りにされたらしいんだ。だから人一倍努力してたらしい。マーレに認めてもらうためにな。結局戦士候補からは外れたけど、それでもエルディア人でありながら、それなりの地位を築いてるって噂だ。あと美人だ」
照れ臭そうに、ニコロは笑う。
あ、質問を間違えたかもしれないとアルミンは思った。
「楽園送りか……ということは、あいつの親もここにいたんだな」
「兵長」
殺したのは僕らかも──いや、でも。
しんとした、冷たい空気が3人の間に流れる。
「……俺はよく知らないけど、楽園送りにされた身内がいる家は大変らしい。不名誉だとして、エルディア人の中でも迫害される。それでこそ、戦士に名乗りを上げるくらいじゃなきゃ、挽回は出来無い」
「そう……なんだ」
アルミンがちらりとリヴァイの方を盗み見たと同時、リヴァイは立ち上がった。
「うまかった」
それだけ言うと、リヴァイは空になった皿を重ね、ニコロの方へと差し出した。
「あ、はい。そこに置いておいてもらえれば」
くるりと背を向けて、リヴァイは歩き出す。アルミンは「これ、とっておいて」とニコロに言ってから、リヴァイの背中を追いかける。
テントの群れから少し外れた、人の少ない場所まで移動した所で、アルミンは「あの」と口を開いた。
「どうしたアルミン。飯はちゃんと食え」
「あとで頂きます……余計なことかもしれないんですけれど」
「あぁ?」
本当はもうずっと、悩んでいたのだ。イェレナ達と出会ってから、アルミンの中で。
「僕は以前、兵長とナマエさんが2人でいる所をお見かけ……いや、見てはないんですけど!」
アルミンのその挙動で、リヴァイは一瞬で思い出した。
「あの時か。覗きをしてたのはお前か、アルミン」
初めて体を重ねた次の日のことだ。幹部棟屋上の物置小屋で、リヴァイはナマエを引き留めていた。今思えば、それも言い訳だったのかもしれないけれど。
「覗きじゃないです!ハンジさんに言われて兵長を探して……その」
「いや、いい。続けろ」
「はい。最近マーレの人達と色々協力して、思っていたんです。リヴァイ兵長とナマエさんも、話し合えないのかと。マーレ工兵の人達ですらが、今僕らに力を貸してくれている。だからきっとナマエさんも話せば……」
「あいつは、話す暇も惜しんで行っちまいやがった。そんな機会は無い」
「そうでしょうか……」
肩を落として、しょんぼりと項垂れるアルミン。
「変な気を遣うな。飯を食ったら、とっととハンジの所へ顔を出せ」
「あ……すみませんでした」
「いや。ありがとう、アルミン」
少しだけ、リヴァイが微笑む。
(あの時の顔みたいだ……)
国というもの以前に、リヴァイとナマエの間にはアルミンの計り知れない、そう、大人の事情があったのかもしれない。それに気付かず踏み込んでしまったことに、アルミンは少しだけ後悔した。しかしナマエの名を口にしたことは間違えではなかったと、そんな風にも思えた。
(複雑、なんだろうな。だからこそ、話し合えればいいのに)
話し合う余地があるはずなのだ。きっと。
アルミンは軽くリヴァイに敬礼を構え、ニコロの所に戻るべく踵を返した。遠くでアルミンを呼ぶ声が聞こえる。きっとハンジの声だ。朝食はいつまでとっておいてもらえるだろうかと思いながら、アルミンは声の方へと走った。
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