チルチルミチル | ナノ


▼ 14.名前が付いた日

それはケニーが、リヴァイの元から去ってしばらくが経った頃。

階段を踏んだ瞬間「地上うえに行くのか?」と声がかかり、ケニーは振り返った。そこには以前一度だけ、情報提供を依頼した男が立っていた。クシェルを探す際に金で情報を買った相手だった。

「人間やっぱり、お天道様の陽を浴びなきゃあ、なあ?」

「お前がそれを言うのかよ、ケニー」

ははは、と男は冷やかしたような笑い声を上げる。

「要件はなんだ?」

ケニーは少しだけ声のトーンを落とした。あまり、機嫌が良いとは言えなかった。

「あんた確か、アッカーマン姓の人間を探してたろ?」

「それは……もう、いい」

「そうかい。もう一階層下の競りで、今日出るらしいけどな。アッカーマンの親戚とかなんとかの子供がさ」

「ああ?笑えねぇ冗談だな」

まさかリヴァイのことじゃないだろうな、とケニーは顔をしかめる。

「冗談じゃねぇさ。行ってみるかい?案内料は貰うけどよ」

「どうせお前さんの顔が無いと入れないとこなんだろ」

ケニーは男に僅かなチップを支払い、上りかけた階段を降りた。地下街の競りは無秩序なようだが、その肥溜めの中には肥溜めなりの秩序が存在した。そこで売られる人間の先を辿れば、地上の権力者に繋がる。どちらも下手をすれば危うい立場の人間ばかりが集まるからだ。

競りの会場は、部外者が入れないようにしてある一角にあった。屋外(といっても地下なのだが)の、廃材を積んで作ったかのようなステージが誂えてある。今日競りにかけられる子供達は、その上に点々と並んでいた。

ケニー達はその会場を見下ろせる建物の上にいた。少し遠目ではあったが、ケニーには男が言っている子供がどの子であるか、一目でわかった。1人だけ、印象的な黒髪の少女だった。

「右から2番目のやつか」

「そうだ。母親が東洋人で、毛色の珍しい人種ばかりを狙う奴らに捕まった。母親に姉妹がいるらしいが、その姉妹の旦那がアッカーマン姓の男らしいぞ」

「詳しいな」

「母親姉妹の方は純潔の東洋人だ。今は地上うえの南の方に住んでるらしいが……そっちもそのうち狙われるだろうな」

分家の方か、とケニーは思い出した。親交はなかったが遠縁の親戚がいることは、祖父に聞いたことがあった。

「始まったな」

野次のような掛け声が飛び交っていた。売人の男が最初の金額を提示し、ステージ前に集まった連中が口々に金額を提示して手を挙げている。

最初の子供はすぐに売れてしまった。

「ほら、始まったぞ。行くなら今だぜ?」

男は挑発的にケニーを見ていた。ここでケニーが決め手になるような金額を支払えば、この男にも紹介料が入るのだろう。

「しかしなぁ……法外な値段じゃねぇか」

「面白い冗談だケニー。ここに法があってたまるかよ!」

「はっ。その通りだな」

一瞬、会場が静まり返った。1人の男が手を挙げ、そこで決められようとしている所だった。

「あのクソジジイ、貴族の使いっぱしりにしちゃあ、小汚ねぇ身なりだな」

「ああ。あの男は一階層上の娼館の主人だよ」

「娼館?」

怪訝な顔をするケニーに、男はため息を吐きながら会場の方を見やった。

「あそこの主人は懐の肥えた貴族のパイプがあるのさ。娼館の地下で上玉をこしらえて、倍額にして売ってやがる」

「面倒くせぇことしやがって……」

黒髪の少女の買い手は、娼館の主人で決まったようだった。両手を縛られた少女は、その手綱の先を娼館の主人に渡されている。よく見ると体はいつかのリヴァイを思わせるような痩せ方をしていて、目も虚ろだった。きっと母親と離されたのは最近の話しではない。ここに来るまでにもいくつかの過程があったはずだ。

母親の姉妹の、旦那となるのがアッカーマン。それはケニーから見ればもう、血の繋がりなどなかった。

けれどこの地下街という場所で、どこかリヴァイの面影を漂わせて。

(もしするなら、コイツか)

そう、ケニーは直感する。
運命なのかもしれない。あの子にとって、それはとても呪われた運命。

一種の賭けだった。もしうまくいかなければそれでいい。あの子はきっと、娼館というクシェルと同じ場所で死ぬことだけは避けられる……かもしれない。

「オイ」

小さく呟くようにして言うケニーに、男は「ん?」と眉を吊り上げた。

「お前……あいつらにいくらで雇われてる?」

「紹介料のことかい?」

「ああ、そうだ」

「……さっきのチップの3倍くらい、か」

「ならその10倍出そう」

「どういう意味だ?」

「あのガキの本当の買い手が決まったら、俺に連絡を寄越せ」

ケニーの意図する所に気付いたのか、男は怪訝な顔でケニーを睨んだ。

「面倒はご免だぜ」

「お前に迷惑はかけねえよ」

ケニーはゆっくりと歩き始めた。あの子と次に会うのは、あの子の本当の買い手が決まった時だ。

法外な金額でケニーが買うまでもない。隙をついて連れ去ればいい。あの子なら、きっと大層な貴族の買い手がつくだろう。地下から地上へ、上がるその時がチャンスだ。

「オイ」

ふと思い立ち、ケニーは振り返る。男はまだ会場の方を眺めていた。

「まだ何かあんのか?」

「あのガキに……名前はあるのか」

「そんなモン無ぇだろ。本人がもし覚えてるなら別だが」

「そうか。ならナマエって呼んでやれ」

「びた一文出さねぇくせに、名付け親気取りか?」

は、とケニーは鼻で笑う。

「どうせお前、この辺でウロチョロしてんだろ。娼館の主人も、売りモンにそこまで気は使わねぇだろうからな……普通に呼んでりゃ、それが普通になる」

「そこまで言うなら、さっきケニーが買えばよかったじゃねぇか」

「生憎俺も暇じゃねぇんだ。悪いな」

そう言うと、今度こそケニーはその場を後にした。

同じ時、一階層上の地下街でリヴァイはファーランと共に仕事の最中だった。「今日はやけに騒がしいな」というファーランに、「競りだ」とだけリヴァイは呟いた。

「……またどっかから、ガキどもが連れて来られてんのか」

2人のいる場所は地層が崩れかけた場所だった。一階層下が覗けるその場所から、ファーランはその様子が見えないかと目を凝らした。

「どいつもこいつも……クソ野郎ばっかりだ」

そう言いながら、リヴァイもファーランの隣に並んだ。視線の先には、両手を縛られた黒髪の少女が視界に入る。その髪質も痩せ方も、幼い頃のリヴァイ自身を思わせた。そんな子供ばかりなのだ、ここは。

ここでリヴァイとファーランにも出来ることなど何も無い。無秩序の中にある秩序は、ゴロツキと呼ばれる彼等にだって壊すことは難しい。この恐ろしく狭い世界は、逃げる場所など無いに等しい。

「行くぞ、ファーラン」

「……ああ」

リヴァイが立ちあがった拍子に、足元の瓦礫が一階層下へと落ちた。それはパラパラと雨のように降り注ぎ、ナマエの頭の上にも落ちた。

感情の一切を持たないまま宙を見つめていたナマエだったが、その落ちてきた小石に驚いて、視線を上に持ち上げた。一階層上の景色が覗ける隙間からは、鳥のように飛んでいく何かが見える。

ナマエの背後はまだ競りの続きの喧噪でごった返していた。そんな中「ナマエ」と名を呼ぶ男の声が聞こえる。ナマエを買った主人が「そりゃこいつの名前か?」と尋ねていた。ナマエと呼んだ男は「そうらしいぜ」と言って、どこかへ行ってしまったのだった。

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