▼ 12.虚空に淀む
ハンジの仮説では、ロッド=レイスの領地にある教会にエレンとヒストリアがいるだろうということだった。
巨人化をするには巨人化能力を持った者を食べる。そうして巨人の能力は継承されるーーーまだ憶測の域ではあったが、ロッド=レイスはおそらくその為にエレンを捕えた。
「早く……行かなくちゃ」
小さくそう呟いたナマエの隣に、リヴァイが馬を並走させる。
「ナマエ」
低いけれど、よく通る声のトーンだった。
「はい?」
「この間ストヘスで……奴は俺に向かって刺客を放ったと言いやがったが。そりゃあ、お前のことで間違いねぇな?」
それまで口々に言葉を交わしていた他の面々も、一瞬口を噤んだ。
「……ナマエはスパイだったんですか?!」
「ちっ、違うよ!」
ちょうど後ろを走っていたサシャに、ナマエは慌てて振り返って睨んだ。サシャの隣のジャンとコニーも、少しだけ驚いた表情でナマエを見ている。
「違う。ナマエはスパイじゃない」
落ち着いた声でミカサが言い放った。それに続くように、リヴァイは「ああ」と頷く。
「スパイじゃねぇことはわかっている。そもそも、本当に憲兵のスパイだったら卒業目前に憲兵に捕まるなんざ、間抜けなことはできねぇだろ……」
後ろ3人が「ああ、そうか」と頷く。すぐに解かれた誤解にほっとしつつも、ナマエはリヴァイの方を見た。
「……何が、聞きたいんですか」
「奴がお前をここに寄越した理由だ」
「それは……私にもわかりません。ずっと、そうです。どうしてあの時ケニーが私を迎えに来たのか、それすらもわかりません。それよりも……リヴァイ兵長も、ケニーを知っていたんですね?」
じっとナマエの瞳を見つめるリヴァイ。ふいとそれを逸らし、彼は前を向きながら呟くように言った。
「お前と同じだ。ガキの頃、奴と暮らしていた」
「それって……」
「俺にとってもケニーが何者かはわからん。ただ俺もお前も、奴となんらかの血縁関係があるとすれば……俺達はなんなんだろうな」
最後の言葉は、ナマエ以外の耳には届いていないようだった。
「みんな、一旦ここで止まってくれ!マルロとヒッチに道を聞いてもらう」
先頭を走っていたハンジが振り返り、全員にそう声をかけた。教会まで近付いたが、この先に詳しい地図は無い。憲兵の制服を着た2人は民家を訪ね、詳しい道順を尋ねた。
「ナマエ、一旦馬から降りろ。他の奴らもだ」
リヴァイの号令で、ハンジを初め104期兵達は荷馬車の上に集まる。リヴァイはナマエにだけでなく、全員に言って聞かせる必要があったからだ。ケニーのことを。
切り裂きケニー。
そう呼ばれた彼の強さをリヴァイは誰よりも知っている。今から行く先に、彼がどういう風に待ち構えているのか予想は出来ない。出来る限りのケニーの特徴を伝え、リヴァイは全員に注意するよう促した。
そしてリヴァイが、もう一つ気になった事。
アッカーマンの姓を持つミカサの存在だ。もしかしたら親戚なのかもしれない。ナマエと、リヴァイの。しかしミカサの両親は、詳しい事を何もミカサには伝えてないようだった。
「お前達……ある日突然、力に目覚めたような感覚を経験したことはあるか」
そう問いかけられたミカサは、静かに「あります」と呟いた。ナマエは少しだけミカサを見上げて、首を横に振った。
「ケニー=アッカーマンにもその瞬間があったそうだ。ある時……突然バカみてぇな力が体中から湧いてきて……何をどうすればいいかわかるんだ。その瞬間が、俺にもあった」
ちょうどその時、道を尋ねていたヒッチとマルロが戻って来た。リヴァイが腰を上げたので、全員出発の準備に切り替える。
「ナマエ」
どこか心ここにあらずな彼女を呼び止めたのはコニー。その名が呼ばれて、リヴァイは視線の端だけで振り返る。
「なぁ……俺よくわかんねぇけどさ。大丈夫なのかよ」
「何が?」
「何がって……その切り裂きケニーって、お前のオヤジみたいなもんじゃねぇのか?一緒に暮らしてたって」
「……違うよ。何言ってるのコニー」
「お前がさぁ、訓練兵になる前どんなだったかも知らねぇけど。入団してからしばらくのナマエは、なんか寂しそうにしてたぞ」
なぁ、と同意を求める様にコニーはサシャの方を向いた。サシャも頷きながら「しばらくナマエのご飯は私が食べていましたしね」と呟く。
コニーの口調に悪意は無い。憶測でしかない情報の中で、それでもコニーは心配したのだ。覚悟を決めるのはここにいる全員が同じ。けれどそこに私情があるのならば、それは格段に難易度が上がる。
「違うってば!ケニーはお父さんなんかじゃない!私はっ……ちゃんと命令に従える!今一番大事なのはエレン達でしょ?もしケニーがそれを邪魔するなら、私は殺せる!」
「落ち着けよ。自分で取り乱してるぞ、お前……」
ナマエの頭の上に軽く手を置くジャン。珍しく激昂する彼女に、逆にジャンは冷静になっていた。
「らしくないよナマエ。リヴァイ兵長も、さっき彼には気を付けるよう言っていたんだから……彼だけを殺しに行くっていう任務じゃない」
アルミンの言葉に、ナマエははっとしてリヴァイの方を見た。馬に手をかけながら、リヴァイもナマエの方を見ている。
「ごめん……ちょっと、動揺したみたい。一緒に、暮らしてた人だから。でもそんな人が、急に敵になったりすることもあるよね」
思い出したかのようにナマエは首元に触れた。ライナー達のことを言っているのだと、見ていたコニーらはすぐに気が付いた。そんな相手と戦うことの、連続だ。
「怒鳴ってごめんねコニー。心配してくれてありがとう。でも、もう大丈夫」
顔は無表情だったが、口調はいつものナマエだった。それだけ言うと、ナマエは振り返りもせずにリヴァイの隣の馬に駆け寄った。
***
暗闇の中、松明の灯りを頼りに馬を走らせる。
教会まであと少しという所で、ナマエはリヴァイの隣に馬をつけた。
「あの戸籍を調べた時から……気付いていたんですか?」
リヴァイの部屋で見つけたナマエの戸籍。そこにはケニーの名が書いてあった。リヴァイはその時、ケニーの姓を知らなかったけれど。
「いや……最初にお前が調査兵団に来た時、お前の影にケニーがいるような気はしていた」
頭に疑問符を浮かべ、ナマエは押し黙った。
「奴の姓を知ったのは俺もさっきが初めてだ。だから……確信になったのも、さっきだ」
「実は……私達は兄妹だった、とかいう展開は無いですよね」
「さぁな。ケニーに節操がなかったら在り得る」
「もしそうだったら、ケニーにとどめを刺すのは私です」
「その心意気は悪くねぇが……目的はエレン達の奪還だからな」
リヴァイがそう呟くと、ナマエの後ろを走っていたミカサが念を押すように「そうだ」と声を上げた。
「ミカサ……」
ナマエが振り返ると、彼女は頷いて見せる。そこでようやく、ナマエは少しだけ頬を緩めて微笑むことが出来た。
「リヴァイ兵長……ケニーは私を、リヴァイ兵長の所へ厄介払いしたんでしょうか」
「俺はそうかと思っていた。ナマエ、この話はこれで終いだ」
「はい」
行く手にはうっすらと教会らしき建物の輪郭が浮かんでいる。ナマエは少しの間だけ、リヴァイの横顔を見つめた。そうすることで、天秤にかけるように。
(でも……もし、彼の最期に触れる時が来るとしたら。その時だけは少しだけ、素直になることを許してください)
ナマエは心の中で呟いた。リヴァイに向けた請いだったのかどうかはわからない。ただ奇しくも、一同が踏み込んだその場は祈りを捧げる場所だった。
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