▼ 13.月と太陽は出会わない
地下は冷たかった。
しばらくアニを見つめていたナマエだったが、リヴァイの「もういいか?」という声がして、まるで氷漬けの眠り姫のような彼女に背を向けた。
「……頭の中、ぐっちゃぐちゃです」
「だろうな。俺もだ」
怪我をして、リヴァイも少し参っているのかもしれない。疲れを帯びた表情でため息を吐いていた。見張りの兵に挨拶をし、ナマエはリヴァイと2人でその地下牢を出た。馬車に乗り込み、向かい合う形で席に着く。リヴァイは窓の淵に肘をもたれ、カーテンの隙間から外を眺めた。
「明日起きたら、巨人なんていなくなってればいいのに」
「そりゃエレンも含むのか」
きっちりとカーテンを閉め、じとり、と睨むような視線がナマエを刺した。
「いえ……少し問題の着眼点を、変えなければいけなくなりましたね」
「そのようだな。どうも……」
話し続きに、リヴァイはナマエの首元に手を伸ばした。
「目立ちますか?やっぱり」
「ああ、目立つな。目にするたびに腹が立つ」
「……私の同期の中に、いるのでしょうか」
今回のアニ捕獲作戦に参加したエレン、ミカサ、アルミン、ジャンを除いた104期生は、ウォールローゼ・南区に隔離されていた。そしてリヴァイはまだナマエに告げていなかったが、ナマエ以外の捕獲班メンバーは、ライナーとベルトルトがナマエを殺そうとした人物であり、アニと同じく巨人化できる人間なのではと疑っていた。
ハンジが104期生の戸籍を調べ直している。その正解が出るのも遠くはないはずだ。
「誰であれ……まず俺に削がれる」
ふふ、とナマエは表情を緩めた。
「相手がリヴァイ兵長じゃ、逃げられませんね。そいつ」
「当たり前だ。俺よりも先に、お前にこんな痕つけやがって」
小さな舌打ちと共に、リヴァイは再びナマエの首筋をなぞる。
「……冗談ですよね?」
「半分な」
ゆっくりと首筋を往復していたリヴァイの手は、ふわりとナマエの髪をすいて、また窓際へとおさまった。ナマエはリヴァイの手が離れた首筋を、自分の両手で包み込んだ。こんな時なのに、彼が離れるのが切ない。馬車はちょうど、調査兵団本部の門をくぐっている所だった。
「さっきまで、死と隣合わせだったせいでしょうか」
ぽつり、と零すようにナマエは呟く。リヴァイは黙って、視線だけをナマエに移して次の言葉を待った。
「……リヴァイに、滅茶苦茶にされたい」
これがこんな状況下でなければ、リヴァイも。
なけなしのジョークのセンスを掻き集めて、彼女を悦ばせるような返答が出来たかもしれない。けれど今は。
「現状から逃げるな」
少し落とした声のトーンで、リヴァイは呟いた。
「……すみません、弱気になってました」
ああ、と低い声で呟いて、リヴァイはナマエの頭にてのひらを乗せた。
「また、今度だ」
「はい」
少し困った様に笑って、ナマエはリヴァイを見上げた。馬車が止まる。逃げ出したかった「現状」に、戻る時間だった。
***
ナマエが1人、一旦女子寮に戻ろうと中庭を横切っていると、男子寮の脇にある洗濯場へ向かうミカサを見つけた。
「ナマエ、帰っていたの」
ミカサの手にはボロボロになったエレンの服。
「エレン、目は覚めた?」
「一度だけ。またすぐに、眠ってしまった。そっちは?」
「アニは……簡単には目覚めてはくれなさそうだね。アルミン達は?」
「リヴァイ兵士長が帰ってきたら会議をするとかで、行ってしまった」
「そっか」
ミカサの足並みに合わせて、ナマエも一緒に洗濯場へと入った。ポンプの水をくみ上げるミカサの隣に、ナマエは座り込んだ。
「あの人の怪我は、私のせいだ」
あの人、が一瞬ナマエにはわからなかったが、すぐにリヴァイの事だと察した。
「そうなの?」
こくりと頷いて、ミカサは黙り込んだ。何か言いたげに、言葉を選んでいるようだった。
「……謝りたい、とか?」
恐る恐るナマエが尋ねると、ミカサはエレンの服をぎゅっと握りしめる。
「でも、ごめんなさいと言うのも、違う気がする」
「そうだね。難しいね、こういう時に選ぶ言葉って」
ミカサはまたこくんと頷いた。エレンの服を洗濯しているせいもあるのだろうか。今日は一段とミカサが可愛らしく見える。
「それに、ナマエを手籠めにしたあいつを許せない気持ちもある」
「それは誤解だよ……」
ミカサから手籠めという単語が出てくることにもナマエは驚いた。
「ナマエは」
「ん?」
「大丈夫?」
何に対してーーー
それはもう、今の現状全てにおいてなんだろうけれど。
「ミカサと同じ。戦うしかないって感じだよ。アニのことも、あの壁の巨人のことも……わからないことだらけだし」
ナマエは心の中で、リヴァイのためにもと付け加えた。
リヴァイが怪我をしているなら、彼のフォローが出来るくらいに戦いたい。彼が進むべき道へ一緒に進みたい。リヴァイに従っていれば迷うことは、もう無い。事実上、ナマエはリヴァイのものだ。それがわかればきっと、怖い事はもう、無い。
(……あ)
その時、ナマエは気が付いた。
エルヴィンがストヘス区へ入る前にナマエに昔話を聞かせた意味が。
「ナマエ?」
「……なんでも無いよ。洗濯、終わった?」
「ええ」
ミカサが洗濯物を手に立ち上がる。ナマエも一緒に、腰を上げた。
(次に時間が出来たら、自分から言おう)
エルヴィン団長に。余計な心配を掛けないように。
しかしこの後、ナマエがエレンの部屋で雑談をしていると急な報せが飛び込んで来る。そしてナマエがエルヴィンと呑気な話しが出来るようになるまでには、しばしの時間を要する事となるのだった。
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