▼ 9.正解のない答え合わせ
壁外調査から帰還してすぐ。雑多とする厩の端で、クリスタがユミルに肩を抱かれながら泣いていた。
「クリスタ、どうした」
連れ立って馬を繋いでいたライナーとベルトルトは、不思議そうに声を掛ける。クリスタはそれに答えようとしたが、嗚咽が止まらずにふるふると首を横に振った。見兼ねたユミルが口を開く。
「ナマエが、死んじまったらしい」
「……まさか」
一瞬の間を置いてから、ライナーは目を見開いた。彼の背後で青い顔になっているベルトルト。ユミルは、いささか励ますような素振りでベルトルトの肩を2つ叩いた。
「ユミル、誰からそれを聞いたんだい?」
「ミカサだよ。リヴァイ兵長に助けられたはいいが、すぐに息を引き取ったってさ……まぁ、長年の想い人の腕の中が最後だったんだ。巨人の口の中で死んでいった奴らよりは、幸せだっただろうよ」
ライナーは口に手を当てて「そうか」とだけ呟いた。クリスタの泣き声が、響く。
「元気出せよクリスタ。ナマエだけじゃねーだろ?死んでいったのは」
ぽんぽん、とユミルは小さな頭に手を置いた。
「でもっ……ナマエが死んじゃうなんて、思わなくて」
涙でいっぱいの瞳で、クリスタは同意を求める様にライナーとベルトルトを見上げる。彼等はそれぞれに「そうだな」と小さく呟いただけだった。
***
「ドングリと一緒にしないで」
「アニ」
「どうしよう」
「悪く思うなよ」
「手料理……」
ーーー線の様な景色。ああ、巨人に投げ飛ばされると景色はこんな風に見えるんだ。ダメだ、体勢を変えないと。立体起動装置を!
どしん、と衝撃を受けたような気がしたが、思っていた衝撃は来なかった。目を、覚ましただけだったのだ。
「ナマエ、大丈夫?」
心配そうに覗き込んでくる青い瞳。
「……アルミン?」
「僕がわかる?大丈夫?」
ナマエはきょろきょろと目だけを動かして、周囲を見渡した。
「あれ……巨人は?」
「もう帰還してきたんだよ。ナマエは、丸2日も眠っていたんだ」
「そうなの?」
アルミンは優しく微笑むと、立ち上がって「喉かわいているだろう?」とサイドテーブルの水差しに手を伸ばした。
「他のみんなは?!」
慌てたように体を起こしたナマエに驚いて、アルミンはその手を止める。
「みんなっていうのが……どこまでかはわからないけれど。死者は数えきれない」
「そう……なの」
「ナマエが生きてるのは奇跡だって、エレンも言ってたよ。リヴァイ兵長の他の班の人達もみんな……」
口ごもるアルミンに、ナマエは目を見開いた。
「僕たち新兵は無事だった。一番重症なのが、ナマエだ」
今にも泣き出しそうなナマエを励ますように、アルミンはナマエの肩に手を置いた。俯いたナマエの長い髪の間から、沁みだす様に涙が見える。
「ナマエは怪我もしているし、このままゆっくりしてもらいたいんだけれど」
「……何か、あるの?」
言いだし辛そうなアルミン。ナマエは目元をこすって、視線を上げた。
「うん。女型の巨人の正体に目星をつけたから……明日、捕獲作戦を決行するんだ」
「え?」
その時、入口の方でかたんと物音が響いた。
「アルミン、例の話しは」
低い声が部屋に響いて、アルミンとナマエは同時にそちらに視線を移した。腕を組んだリヴァイが、入口に立っている。
「……いえ、まだです」
「そうか」
リヴァイはアルミンとは反対側のベッドに腰かけた。
「今帰って来たんですか?」
どこかへ出かけていたらしいリヴァイ。アルミンがそう尋ねると、リヴァイは「ああ」と頷いた。
「女型の正体も……だが、さっさとお前を殺そうとした犯人も見つけねぇとな」
リヴァイが唐突に口にした意味が理解できずに、ナマエは「え?」とアルミンを見やった。
「私は女型と戦って……」
「違うんだナマエ。これを見て」
アルミンはナマエの首元が映るように鏡を差し出した。
「痣?」
「うん。それは、巨人と戦って付くような痕じゃないよね」
明らかに、誰かに絞められたような。
「兵団の中に、お前を殺そうとした人間がいる。理由は……定かではないが」
「リヴァイ兵長がナマエを助けた時には、すでにあったらしいんだ。何か覚えはないかい?」
ナマエはもう一度鏡の中に視線を落とすと、ゆっくりと首を横に振った。
「いくつか手は打ってあるが、問題は明日だ」
「はい。ナマエは目が覚めたので、予定通りリヴァイ兵長と?」
「ああ」
「わかりました。じゃあ僕はもう一度、エレンの様子を見に行ってきます。ナマエ、またね」
アルミンが部屋から出ると、リヴァイは少しだけナマエに近付いた。
「大丈夫か」
「……よく、わからなくて」
「考える時間と、悲しみに浸る時間とやらをくれてやりたい所だが……そうもいかなくてな」
「いえ。わかってます」
ナマエの視線は定まらない。
寝覚めに聞くにしては、情報量が多すぎだった。しかしナマエは一番に、頭に思い浮かんだ人の名を口にした。
「ペトラさん達は」
「全員……女型にやられた」
ナマエはぐ、とシーツを握りしめた。
(泣きたい。泣いて抱きしめてもらいたい。でも、今それをするのは違う)
最期にペトラ達と会ったのはいつだっただろう。結局、彼女には何も話せないままで終わってしまった。
「お前は……よく、生きていたな」
「自分でも不思議です。絶対に、死んだと思いました」
「女型の正体を聞いたか?」
「いいえ。やっぱりあの巨人も、エレンみたく……?」
「その結論に至った。お前らの同期の、アニ=レオンハートがそうだろうと」
泳がせていた視線を止めて、ナマエは真っ直ぐとリヴァイを見上げた。
「今、なんて?」
「知っている奴か。今は憲兵団に所属している奴だ」
一瞬で、胃液が逆流してくるような感覚に襲われた。気持ち悪くて体が震える。両手を口に当て、吐き出してしまいそうなのをナマエは必死に堪えた。
「何か思い当たる節があるか」
今のリヴァイは、上官としての顔をしているリヴァイだ。
「私が生きているのが……或は」
女型に掴まれた時の記憶を手繰り寄せる。
あの時感じた違和感、どうしてナマエは握り潰されなかったのか。ギードはいとも容易く潰されてしまったのに。ナマエはワイヤーに突っ込んだ。それから、それから。
口を開こうとしたが、また吐き気に襲われる。口元を覆い、ナマエはベッドに突っ伏した。リヴァイはその華奢な背中に手を伸ばそうとしたが、寸での所で手を止め、拳を作ってから引っ込めた。どんな言葉も、今は慰めにはならないだろうと思ったからだ。そして今、ナマエにもリヴァイにも休む時間など無い。
「……明日は一緒に来てもらう。お前が殺される可能性がある以上、ここで1人にしとくわけにはいかねえからな」
「わかって……ます。何か思いだしたら、すぐ報告します……」
「ああ」
ナマエの顔を見ないようにして、リヴァイは部屋を出た。後ろでに扉を閉めると、戸を背にして少しだけ耳をそばだてる。扉越しに聞こえてくる、押し殺した泣き声。手のひらに扉の木目が触れる。それを撫でる様にしてから、リヴァイは歩き始めた。
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