チルチルミチル | ナノ


▼ 10.熟れた傷跡

リヴァイが自室(ナマエは旧調査兵団本部のリヴァイの部屋に運ばれていた)から食堂へ戻ると、そこにはエレンだけが座っていた。リヴァイの姿に気付いたエレンは「あ」と声を出して立ち上がる。

「他の奴らはどうした」

「一旦本部の方に戻りました。ミカサのやつが、ナマエの荷物も取って来るとかで」

「そうか」

ふぅ、とため息を吐きながらリヴァイは椅子に腰かける。エレンはテーブルの上のポットから、一杯の紅茶を注いでリヴァイの前に差し出した。

「ナマエ、どうでしたか」

「動揺するだろうな。そりゃあ……」

「アニのことは」

しん、と空気が静まり返る。リヴァイはティーカップの淵に指を掛けた。

「仲が良かったのか。そいつと、ナマエは」

「仲が……というより、ナマエは全員とうまくやってました。アニみてーな無口なやつも、ナマエには懐柔されちまうっていうか」

そうか、と返事をするようにリヴァイが紅茶をすする。

「いや、違う……仲が、良かったです。だからナマエは殺されなかった」

「だろうな。ナマエも、それで自責の念にかられてる。自分だけが助かっちまったってな。まぁ、そんな感情を抱いたところで、クソの足しにもなりゃしねえが」

「そう……ですね」

誰しもが、傷だらけだ。
癒えることなく広がっていく傷跡。複雑に絡み合う感情は、それを舐め合うことすら許してはくれない。

「あの、ミカサが戻ってきたらナマエの所へ行かせても構いませんか?あいつ、まだナマエとは会ってなくて……」

「ああ。好きにしろ」

窓からは薄紫の空が見えた。日の入りの時刻だった。もう一度太陽を見る頃には、作戦は始まっている。遠くで、何かを焼く匂いがする。少しだけ顔をしかめて、リヴァイはまた紅茶に口をつけた。

***

翌日ーーー

ナマエが食堂に顔を出すと、そこにはエレンに変装したジャンの姿があった。数日ぶり、しかもジャン達の間では死んだことになっていたナマエからの開口一番は。

「そりゃないわ」

「っるせえな!おい、ナマエ!てめぇ、散々人に心配かけといてそれかよ!」

「心配は……かけてごめん。うん、でもそれ」

ジャンから視線を逸らし、ナマエはぷふっと吹きだして笑う。

「しょうがねえだろ。アルミン先生からのご指名なんだよ」

「今日はこっち旧調査兵団本部から一緒に出るんだっけ?」

「ああ。もうすぐエルヴィン団長達も到着するはずだ」

ちょうど外から、馬車や馬を止める喧噪が聞こえてきた。

「……お前、どう思う」

扉の外へ様子を見に行こうとしたナマエに、ジャンは零すように問いかけた。

「どうって……何が?」

「アニのことだよ」

つきん、と胸の奥が痛むような感覚。

「……わからないよ。でも、だから今日、この作戦があるんでしょ?」

「そう、だよな」

遠くからリヴァイの声で、ナマエを呼ぶ声が響く。ナマエは「今行きます!」と声を上げると、ジャンに振り返りもせずに駆けだした。小さなその背中を見送りながらジャンは「ぶれねぇよな、お前ら」と小さく呟いたのだった。

***

作戦は第一次、第二次と二段構えで用意されていた。第一次作戦はエレン、アルミン、ミカサがうまくアニを地下道に誘導できたらそれで完了だ。しかしそれが出来なかった場合、最悪のーーーアニが巨人化をしてしまった場合は、エレンも巨人になってアニを捕獲する第二次作戦に移行する。

ナマエの配置は第一次作戦中はリヴァイと共にエレン(に扮したジャン)の護送にあたり、第二次作戦からはハンジ班の方に合流することになっていた。

「第一次捕獲でうまくいくといいですね……」

馬車内の沈黙に耐え兼ね、ナマエは静かに口を開いた。馬車内はエルヴィン、リヴァイ、ナマエの3人。ジャンの乗る馬車は前を行っている。

「第一次作戦は、あってないようなものだろう」

エルヴィンの悲観的観測にナマエはしゅんと眉を落とした。

「ナマエの方は、その後調子は?」

今日は首の絞め跡が目立たないよう、ナマエは耳のあたりで2つに分けて髪を結っていた。おでこにはまだ包帯が巻いてある。

「もうフラつきもないですし、全然大丈夫です」

「そうか……リヴァイ、は」

ちらり、とエルヴィンはリヴァイに視線を送る。

「嫌味か?」

「いや、君達は本当にいつもいいコンビだね。怪我するタイミングまで一緒だとは」

「こんな時に言う冗談にしては、ひとつも気が利いてねえなエルヴィン」

ははは、とエルヴィンの乾いた笑い声だけが馬車内に響いた。ナマエが申し訳なさそうに首をすくめていると、馬車が小さな衝撃を伴って停止した。

「検問か」

窓のカーテンを少しだけずらして、リヴァイは外を覗き見る。

「ああ、この書類を提示しなければならない」

「貸せ。俺が行ってくる」

「私が行きましょうか?」

提示する書類は証明書のようなものだ。ナマエが行ってもリヴァイが行っても特段不便は無い。

「いい。お前はそこに座ってろ」

少し機嫌が悪そうにリヴァイは言い捨てる。ナマエが「はい」と言ってまた腰かけると、リヴァイは馬車を降りて行った。

「……リヴァイはまだ、ナマエが憲兵を見ると不安になるんじゃないかと思っているようだ」

「そんな、まさか」

「ん?何か立て込んでいるね」

エルヴィンもカーテンの隙間から、少しだけ外を覗き見る。門番の要領が悪いらしく、数台の馬車が立ち往生していた。エルヴィンの視線に気付いたリヴァイは、肩をすくめて首を横に振っていた。

「少し、かかりそうだな」

「時間は大丈夫でしょうか」

「まだ余裕はあるはずだ。慌てるのはよくない」

ナマエもこっそりとカーテンから外を覗き見る。ジャンの乗っている馬車も見えた。

「時間潰しに、昔話でもしてあげようか」

「へ?」

何を突然、とナマエが視線をエルヴィンに移すと、目の前のエルヴィンはにこにこと余裕そうな笑みを浮かべて手を組んでいた。

「リヴァイが調査兵団に入ってきた時の話しは聞いているかい?」

「……そういえば、聞いたことありません。地下街にいて、それからそのまま調査兵団に入ってきたのはなんとなく」

「そうか。リヴァイを調査兵団に引き抜いたのは、私なんだ」

え、とナマエは丸く目を見開いた。

「リヴァイは地下街で立体起動を使っていた。その技術を見込んでね」

「……そうだったんですか」

こんな時、どんな表情で話しを聞くのが正解かナマエは計りかねた。きっとリヴァイは、ナマエに聞かれたくなかった話しのはずだ。彼からこの話を聞いたことはまるで無い。

「まぁ、色々あってね。リヴァイは私を殺そうとしていた」

「ええ?!そんな、嘘です」

「これが本当なんだ。嘘だと思うならミケあたりにも聞いてみるといい。しかし彼は、巨人と戦うことを選んでくれた。私達とともに、調査兵団としてだ」

話の意図が掴めなかった。何故今、エルヴィンはこんな話しをナマエにしているのか。

「リヴァイは調査兵団に入る時、大切なものを失った。それでも今は、人類最強と名高い兵士長だ。彼は私が見込んだ通り、戦い続けてくれるだろう」

ぞくりと背筋が冷たくなる。この感覚を、なんと呼称すればいいだろう。

ナマエは何か、エルヴィンに申し渡された気分になった。調査兵団としての心臓を捧げることとはまた違う。ナマエ自身の、覚悟のような。

「……私が、まだ不安そうに見えましたか?」

「そういうわけではないよ。ただ、珍しく2人きりになったからね」

そう言って、エルヴィンはまた柔らかな笑みを浮かべる。

「多分……エルヴィン団長の意図する所とは違うと思うんですけれど」

「なんだい?」

「リヴァイ兵長にとって、エルヴィン団長は大切で、信頼している人なんですね」

慎重に、言葉を選んだ。

「妬けるかい?」

「妬いちゃいます」

ふふ、とナマエも笑う。エルヴィンも茶化した口調で「ナマエには到底敵わないよ」と笑った。ちょうどその時、馬車の扉が開く。

「ようやく通れるぞ」

むすっとした表情のリヴァイ。反して、中の2人は朗らかに笑っていて。

「……何楽しそうにしてやがる」

「なんでもない。さ、行こうか」

「もうストヘス区ですね」

少しだけ不思議そうにリヴァイはナマエの隣に腰かける。作戦が、始まろうとしていた。

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