STORY | ナノ

▽ 二月の付き合い方 下


辺りを確認して前にインクを振りかける。
出来た一本道を進む。途絶えたところで、もう一振り。前へ。前へ。
こんなにも心踊るバトルをするのは、いつぶりだろうか。ここに来てそんなに経ってもないし、わりと最近だろう。
しかし俺には、とうの昔に感じた。
余所事を考えている内に不意を突かれる。体が弾けたと思ったら、気が付くとはじめに目にした光景が広がった。
手元にあるマップを見る。徐々に広がりつつある、俺に交じり合わない色。
いけるか。戦況を確認して前に出る。前へ。とにかく前へ。
俺はあいつみたいに上手くなれなかった。でも前へは進める。いつか見失っていた目標が、また蘇ってきたようだった。
追い付きたい。肩を並べて、また、あの時のように。今、俺は前に突き進むしか術を知らない。



駅を背に掛けられたベンチに、襟元を仰ぎながら体を投げ出すように座る。汗が纏わりついて居心地が悪い。しかし、意外にもそれを鬱陶しいモノだとは思わなかった。
ここ、ハイカラシティでは、今日も今日とてバトルやらオシャレやら、飽きずにあちこち駆け回るインクリング達で一杯だった。俺、フチドリは、大してお気に入りな訳でもないこのベンチで、いつも通りに座っている。こんだけ賑わう街で、いつも誰かが座っているところを見かけないベンチは、見方を変えると不気味で仕方ない。俺だって滅多に座ろうとしていなかったが、あれと出会ってから、取り憑かれたように常にここに来るようになっていた。
「こんにちは」
いつの間に来ていたのか、あれが目の前に立っていた。返事をする隙も与えず隣に座る。呆れたが、もう慣れた動作だ。
噂をすればなんとやら。あれ、もとい、俺の隣にいるのは、黒い目を嬉しそうにこちらに向ける、ケイだった。
「今日も行ってたのね」
「そ。ガチとナワバリ半々くらいで」
「結果も良かったみたいね」
「まぁな。ケイは来なかったんだな」
「私は、まぁ、ブキの調整をね」
不意を突かれたようにケイは目を見開いたが、すぐにふっと笑った。相変わらずなに考えてんのか分かんねぇ奴だ。駆け引きなんてした暁には一方的に搾り取られそうな気さえするくらい。
ケイからバケットスロッシャーデコを教えられ、バレルから乗り換えて以降、負けることが少なくなった。負ける時は負けるが、前程ではない。ガチでもそれなりに最前線で活躍できるし、特に苦手なヤグラも他と引けを取らないくらいに出来るようになっていった。ナワバリでもガチでも負けは少ないし、ウデマエはB-に上がるし、今の俺はまさに絶好調だった。
「ねぇねぇ知ってる? 最近、チームが流行ってるんだって」
ケイが噂話をするようにコソコソと話題を持ち出した、が。
「知ってる。つーかそれ、だいぶ前からだと思うけど」
残念ながら俺は知っていた。というより、知らない奴の方が珍しいのではないだろうか。俺が既に知っていることにケイは少し残念そうにしていたが、それ以上になにが嬉しいのか、目を細めた。変な奴。
「そうだったのね。私のところ、テレビも新聞もないからさっき知ったのよ」
「あんたならテレビ買ってもすぐに壊しそうだしな」
「何故それを知っているの」
「マジだったのかよ...」
それでもケイは嬉しそうだった。マジでなんなんだ。テレビがないなんて、ハイカラニュースも見れないし、致命的だと思うのだが。そもそもケイは自分が不幸体質であることに気付いているのだろうか。ケイの様子からして、それはなさそうだ。ナワバリもガチも味方がいないのは自分が弱いから、と思っているくらいだし。
チーム。それは四人が一組のチームとして結成し、一緒に活動をしていくことだ。チームにはチーム内の方針があり、みんなで一緒にガチを突き進んで行くところもあれば個々で行動するところもあり、色々ある。チームが強ければ強い程注目は集まり、憧れるインクリングも多くなる。そうして流行っていったのだろう。俺がここに来た時も、何チームかが初心者を勧誘していた気がする。
「フチドリはチームを組もうとは思わないの?」
うーん、と伸びをしてケイは聞いた。なんか、返事は分かり切ってるから大して聞く気もないような態度で。そりゃ決まってるけど、はじめから諦められると腹が立つ。俺は足を組み直して、頬杖をついた。
「作るわけねぇだろ。馴れ合いなんか嫌いだ。それにあんただけでもう手一杯だしな」
嫌味たっぷりで言ってやった。もちろん嫌味たっぷりの笑顔付きで。これで少しはケイも堪えんだろ。そう言わんばかりに。しかし、違った。面食らうのはこちらの方だった。
「そう。そうね。私もそうだわ」
全く疑いのない笑みをケイは向けていた。
「私も、フチドリがいればチームは作らなくてもいいわ」
ケイが近寄ってくる。威圧感を感じるのは気のせいだろうか。
「私、フチドリと一緒にいられるだけでいいの」
さらっと言いやがったこいつ。
一つの穢れもない満面の笑み。縮まっていく距離。吐き出し続ける言葉達...。
本当にこいつ、意味が分からない。この女には羞恥心はないのか。なんでこんな、こんな。
「テメーはどんだけ小っ恥ずかしいこと言えば気が済むんだああああ!!」
気が付けば発狂していた。顔が熱い。火が吹くくらい熱い。なんでこいつのせいでこんな目に合わねばならないのだ。
しかし、わずか数秒。はっとして口を閉じる。ケイは、羞恥心はないかもしれない。が、こういうことにはとことん後ろ向きなのだ。案の定、ケイは俺が反応するよりも早く、顔を悲しそうに歪ませていた。
「ごめんなさい。私、言いすぎたわ。気持ちの押し付けって、よく分かっているはずなのに」
始まってしまった。俺は頭を抱える。こういうものは放っておけばいいだけの話なのだが、ケイのこの表情は、いつ見せられても慣れない。
「私、あなたの足手まといだけはなりたくないの。だから...」
「ち、ちが、分かったから! ああそうだケイ、最近ファッションも流行ってるよな!」
慌てて口を次いで出た言葉は、まぁ酷いものだった。ファッションて。ハイカラシティに来る奴がバトル以外に求めるもう一つの要素だろうに。事実、ケイはあの表情を止め、心底呆れた黒い目をこちらに向ける。なんで俺がこんな目に。
「フチドリ、知らなかったの...?」
呆れた目が同情の目に変わる。心底解せない。
「だからそんな上下で季節外れなものなのね。いい加減に買ってるんじゃ後ろ指指されちゃうよ」
「うっせーな。こちとらこんな格好する理由があんだよ。つーか、あんたが言えたことじゃないだろ!」
喪服女に言われてしまった。確かにサンバイザーにエゾッコパーカーとトレッキングプロなんて、季節外れと言われてもおかしくないだろう。しかもパーカーはアズキ。呆れる程の冬仕様だった。
「へぇ。理由。なんなのかしらね〜」
「鬱陶しい。そんな顔しても言わねぇからな」
「私はギア重視よ」
「聞いてねぇよ」
一目見ただけで分かるしな。
揃えるのに苦労したわ、とケイは自慢するように上着を見せ付けてきた。ケイのことだ。きっと長いこと揃わなかったに違いない。むしろ揃えたこと自体が奇跡に近いのではないだろうか。イカ型端末に視線を落とし、ケイの情報を見た。上から下までギアは揃っているようだ。目を疑った。目を擦って、もう一度視線を落とす。この女、不幸体質が一週回って偽ブランドに仕上げている...。
「でもお陰で他のフクを着ようとは思わないのよね。勿体無いし」
「別にいいんじゃねぇか? C帯ならそんな考えなくてもいいだろうし、ナワバリでだって好き勝手着ればいいだろ」
「駄目よ。少しでも力になれた方がいいじゃない」
「しかしハイカラシティに来たんだから、多少身なりは考えた方がいいだろ」
しつこくファッションを問う俺に途端にケイは目付きを鋭くした。先程の威圧感なんてまるでなかったかのように息苦しくなる。正直、恐怖。
「言ってるでしょう。私はこれで良いと。何回もウニに注ぎ込んで厳選したギアなのよ? 思い入れがあるの。それに、今更、わ、私なんかが...」
徐々に声が小さくなる。またもや俺は面を食らった。今日何回目だろうか。とにかくケイといると疲れることは身に染みて理解した。
ケイは、みるみる内に顔を赤くした。それはもう先程の俺と同じくらい。それから黒い瞳をきょろきょろとさせて。そう、つまり、ケイは今、恥ずかしがっているのだ。あの大胆さはなんだったのか。まず、なににそんなに照れているんだ。こいつの羞恥のつぼが分からない。
沈黙が流れる。ケイの顔は赤いまま。疑問しか頭に浮かばない俺は、なにを口にすれば良いか全く分からなくなっていた。
「...私、帰るわね」
沈黙を破ったのはケイだった。ベンチから立ち上がり、振り向かず歩き出す。またね、と雑踏に紛れる程の小さな声で。別になにかをしてくれたわけでもないのに、取り残された気分になる。なんだかデジャヴ。全く意味が分からなかった。あそこまでギアにこだわるのも、ああやって赤くなる理由も。まぁ、ギアにこだわるのはインクリングによって言えることだが。
ケイが嫌がるなら無理押しはしない方が良い。ファッションなんて、言ってしまえばおまけなのだ。ひたすら強さを求めるなら、センスなんて切り捨てる。そういうものだろう。でも、勿体無いとは思う。まだ後戻りも出来る俺達のウデマエなら、出来ることを出来るだけする。それが一番だと思う。そこで、俺は一つ驚いた。不思議だった。ちょっと前なら考えもしなかったことだ。後戻りしかない。前に進めない。自棄になっていた少し前の自分。誰かの為に行動する奴はただの偽善者。味方を考えたバトルなんて馴れ合い。そんなことばかり考えていた。それもこれも、ケイのお陰だろう。こんな数週間で、こんなにも。気に入らない。でも、嫌ではなった。
ベンチから立ち上がり、帰ろうとした時だった。フク屋に貼られているとある貼り紙に目が留まった。―――これだ。バケデコに出会えたのも、またこんな気持ちになれたのも、全てケイのお陰。ならばなにか返さなければ。フレンドとしてフェアじゃない。
「ちょっとだけだぞ。偽善者になりきるなんて、これきりだ」
自嘲の笑みを浮かべて、また歩き出す。一応この前、チャージャーの練習もしてたんだ。少しくらい頑張れば、いけるはず。小さな確信を、胸に秘めて。



息を吐いて座り込む。背から伝わる冷たさがやけに恋しく感じた。陰にもなっているし、今首元から流れる汗も、きっとすぐに気にならなくなるだろう。
ハイカラシティ。賑わう街とうって変わって人気のない路地裏。誰一人としていないここは、小さな動作も大きな音となって響いた。
右手首をぐるぐると回す。普段使うと思われていたそこは案外朽ちるのが早かった。今思えばバレルもバケデコも腕を使うブキだった。バケデコを使っていて腕を痛めたことがなかったのはバレルを使っていたからこそだろう。今更ながら少しバレルに感謝した。それ以外もまぁ、一応お礼は言っておく。
フク屋であの貼り紙を見てから一週間程経った。ようやく目的の"モノ"を手に入れた俺は、纏わりつく汗から逃げる為路地裏に来ていた。その貼り紙の内容というのは所謂「チャージャーチャレンジ」。チャージャーを使ってお題を達成すれば豪華賞品が貰える。ある種の大会のようなものだった。ちなみに断っておくが、俺自身が賞品が欲しくて参加したのではない。断じて違う。絶対に違う。誰に言い訳をしているのだろうか。虚しくなってきた。
チャージャーの練習は一時期していたし、大丈夫だと思っていたが、的外れだった。完全に上級者向け。手こずっても一日で出来ると高を括っていたので、二、三日経ってもクリア出来なかった時は流石に焦った。諦めていった参加者が多数いた中、毎日毎日ずっと参加し続けるイカ。しかも目付きが悪く態度も悪い奴が必死に賞品を手にする為にチャージャー片手に突撃していく姿は酷く滑稽だろう。ようやくクリアし、賞品を渡してきた主催者の表情は完全に引きつっていた。それに対してガン飛ばしてやった記憶がある。
隣に置いた紙袋を見て、あとはギアを厳選するだけ、と計画を進めようとしたところで、はっとした。そうだ。ギアを厳選するとは言ったものの、まずは自身が身に着けて一つ一つギアを開いていかなければならない。誤算だった。こんなもの、俺自身身に着けたくないし、それをプレゼントにするって、どうなのだろうか。
大きく溜息を吐いた。折り畳んだ膝が視線の先に映る。どうしたものか。脳筋はこういうことさえ先に頭が追い付かないものか。深く反省していると、ふいに足音が近付いていることに気が付いた。小気味良く響く靴音。その音は丁度俺の前でぴたりと止んだ。...変な奴が来た。寝ているふりをしてやり過ごすか。そう決め込んだ時、丁度その方面から聞き覚えのある声が聞こえた。
「...フチドリ」
えらく儚げに響いた声。顔を上げると、そこにはケイが立っていた。表情はかなり暗い。あの時のように、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「なんつー顔してんだよ。あんたらしくない」
「ずっと、あなたを見なかったの。ナワバリにも、ガチにもいないから、不安で不安で仕方なくて」
そういえば、ここ一週間お題達成の為にそんなに表に出ていなかったことに気が付いた。フレンドの情報なんてバトル以外分からないだろうし、家も教えていなければイカで賑わうハイカラシティで目的の一人を見付け出すなんて困難。消息不明と化すのもおかしくなかった。しかし、ケイがここまで取り乱す必要はあるのだろうか。里帰りしてて、バトルに飽きてしまって、そうやって突然目にしなくなるフレンドなんてそう珍しくないはずなのに。
安心したのか、ケイは俺の隣にどかりと座り込んだ。いつもと同じ。ただ違うのは、軋む木の音が無機質な石の音に変わったことだけだ。
「フチドリを見なくなって、私、また失礼なこと言っちゃったかなって。これで嫌われたらって、凄く不安だったのよ」
「失礼って、ファッションのことか? あんなん俺がしつこく勧めてただけだろ。嫌なもん嫌だって言ってあたり前だ」
「違うのよ。嫌なのではなくて、自信がないの」
ケイが膝を抱えて顔を埋める。その耳は赤い。俺はあえて視線を逸らした。
「今まで、強くなる為にギアもようやく揃えて、ずっとこれなのに。それを突然変えちゃうなんて、おかしいでしょう。他の子達みたいにキラキラしてるわけでもないし。みんなそんな誰かの顔を一回見ただけで覚えてるわけがないのは知っているわ。でも、後ろ指指されたら...怖くて堪らないの」
弱々しくケイが言う。なんていうか、インクリングらしくない、と思った。ほとんどみんな、誰かに見られるなんて考えてないだろう。自分が着たいものを着る。ただそれだけ。それに大体みんな同じ顔だし。これはメタ発言すぎたか。
しかし、どう返せばいいのかが分からない。少し前に友の前から逃げ出したようなインクリングだ。そんなもの、見つけられるはずないわけで。でも、言いたいことはある。ならば、それをそのまま伝えてしまえば良い。俺はケイに向き直った。脳筋野郎にはそんな手の込んだ台詞なんて、吐き出せるはずがない。
「馬鹿」
こつん、とケイの頭を小突いた。ケイは驚いてこちらを見る。
「ケイは俺のなんなんだ」
「フレンドでしょう」
「そうだ。フレンドだ。ケイは俺を護衛して、俺はケイを守るのが役目だろ。バトルだけじゃねぇ。こっちでもだ。そんなあんたが、俺を信じなくてどうする」
「それって...」
「もっと自分に自信を持て。なんか言う奴は俺がぶちのめしてやる。俺達はハイカラシティに来たんだぜ? 興味のあることやってみたいこと、やっとかなきゃ損だろ」
ケイの目が見開く。そして、ゆっくり、ゆっくりと笑顔に変わっていった。納得してくれたみたいだった。良かった。ケイは口を開くことはなかったが、なにを考えているのか、嬉しそうに頷いている。なんだか気恥ずかしくなって、俺はまた視線を逸らした。そうして沈黙が続く。それを破ったのはケイだった。
「ところでフチドリ。ずっと気になっていたのだけれど、その紙袋はどうしたの。買い物?」
不思議そうに覗くケイ。しかし俺はそれを阻止した。中身が見えないように。それまでの速度、まさに俊足。俺の心臓はこれまでにないくらい忙しくなる。
「な、なんでもねぇよ! 見んな!」
「そんなこと言われちゃうと気になるじゃない。私達、フレンドなんでしょ?」
ケイは意地悪そうな顔をして、わざとフレンドを強調して言った。こいつ、フレンドをダシにしやがったな。そんなケイの視線が痛くて、俺は堪らず自白することにした。
「あぁもう分かったよ。ほら、これ」
「これって、イカパッチン?」
俺が差し出したのは、白色が特徴のイカパッチン。チャージャーチャレンジで手に入れた賞品の一つだ。
「あんた、オシャレ嫌がってたようだから、本当にさりげない物だったらいいかなぁって思ってさ」
「それで、一週間いなかったの?」
「そう。で、今からギア厳選しようとしたけど、そしたら俺が一度身に着けないと駄目だろ? だからどーしようか迷ってたんだ」
ギア厳選してないとあんたは尚更嫌だろ、と一言加えて。でもこういったおちゃらけたもの、部屋に置いておいてもゴミになるだけだ。今までの苦労も水の泡となるが、まぁケイもファッションについて納得してくれたようだし、結果オーライ。これで良かった気もする。
「それ、頂いてもいいかしら」
「は? ギアなんも開いてねぇやつだぞ。いいのかよ」
「いいのよ。むしろ、ちょうだい」
早く早く、とおねだりするかのように手を出すケイに、イカパッチンを渡す。ケイはテニスバンドを外し、丁度こめかみ辺りにイカパッチンを当てる。それからなにも映さない端末を見る。しばらくして、顔を上げたケイは、喜びそのものだった。
「ありがとう。私、とても嬉しいわ」
「そりゃどーも。さっきまで着けてたギアはどうすんだ。折角揃ったんだろ」
「いいの。だってフチドリから頂いたモノだもの。この子も頑張って育てていくわ」
屈託のない笑顔でそう言い放った。育てるなんて、かなり時間掛かるだろうに。心の中で毒付ける。今もだが、ケイはよく嬉しそうにこちらを見る。なんだか気恥ずかしくなる。それから誤魔化すように毒付くのは、もう癖になっていた。似合うかしら、と色んな角度で見せてくるケイをいい加減にあしらう。喜んでくれているみたいで、良かった。
一通りはしゃぎ終えたケイを促して、路地裏から出る。影が漂う場所から日の差す街へ。ふと、今気が付いたかのようにケイが口を開いた。
「フッチー」
「誰がフッチーだ」
「お友達って、あだ名を付けるものらしいわよ。だからフッチー」
なんなんだその傍迷惑な決め事は。しかもなんとも言えないネーミングセンス。全力で遠慮したいものだが、当の本人は満足そうだ。ここで茶々を入れるとまたケイは悲しそうにするのだろう。それだけは避けたくて、もうなにも言う気にもなれなかった。この女に弱みを握られた気がする。無自覚だろうが。なんだかやるせない気持ちになった。
「その決まり事を遂行するならケイはどんなのになるんだろうな」
「安心して。もうケイがあだ名のようなものよ」
「なんだよそれ」
拍子抜けた声、まではいかないが、かなり怪訝な顔をして言った。ケイは不意打ちが得意らしい。
「本名ではないの。ケイは偽名よ」
「なんで」
ケイは明後日の方向を見た。表情は伺えないが、多分先程の笑顔は消えている。
「いつか、言うわ。それまで待ってもらえないかしら」
いつもの賑わう街に向かっているはずなのに、ケイの声は力強く、よく耳に聞こえた。まるでこれ以上踏み込んでくるなと、壁を作られたように感じた。返事もしないまま、更に賑わいの増す中へ。なにも言わないままに足を進めていく。少し気まずい。別に知られたくないものなんて、一つや二つ誰しもあるだろうに。それに気を使ってしまっているような。そういう沈黙。俺自身は、全くそのつもりはないつもりだが。
偽名など、そう珍しくはない。明らかに偽名だろって奴は何人と見かけるし、名前なんて申請さえすればいつだって変えることも出来る。ケイが偽名であるのも客観的に見れば普通の部類だろう。しかし、ケイが、となるとどうしても深読みしてしまう。俺以外まともにバトルする奴を見たことがないような不幸体質女だ。なにがあったっておかしくないだろう。ただの深読みに過ぎないのか、理由があるのか。それとも。
「フッチーって肌が白いのね」
一気に現実に引き戻された。その一撃は重く、思わず睨んでしまう。
「は?」
「フッチーって肌白いのね。そのパーカーだからあんまり気にしなかったけど」
ケイはいつもの笑顔でそう言った。変わらない。変わらなさすぎる。そこに変化をもたらしたのは、俺。ケイは笑顔をやめ、驚いたようにこちらを見ている。いつの間にか俺は立ち止まっていたようだ。
「フッチー、どうしたの?」
「...」
「聞こえなかったのかしら。その肌、白くて良いわね。羨ましいわ」
「うるせー! 三度も言うな! 変なとこ褒めてんじゃねぇよ!」
いきなり怒鳴り散らす俺に、ケイは更に驚いていた。突然の大声に周りのインクリングの視線が一斉に集まった。なんていうか、痛いものを見るような目で。クソウゼェ。ここがナワバリなら即キルだってのに。
驚いていたケイは、ははーんと声を出して俺を見た。まじまじと。ニヤニヤしながら。居心地の悪さに後ずさる。またもや弱点を知られてしまったらしい。もう帰りたい。
「なるほどねー。だからそんな上下で季節が違うのね」
「うっ」
「安心して。フッチー」
そんなあなたも私は大好きよ。
満面の笑み。それはもう今まで見た中で一番の。
「変なフォロー入れても嬉しくねぇよ! あーアホらし。もうここでフレンド解散だな」
「酷いわ。こんなところでフレンドをダシにするなんて」
「さっきしてたのはどこのクソリッターだったかなぁ!」
低レベルな争いだった。周りの視線は、興味を失せたように散っている。
俺の弱点、もとい嫌いなところ。肌が白いこと。昔からいくら日の強い中外を駆け回っても一向に焼けることのなかった、肌。それで近所のガキにおちょくられたものだ。お前実は女なんじゃねぇのって。いつ思い出しても腹が立つ。所詮は田舎から外に出ることさえ出来ない弱い奴らだ。もしこっちに来たとしても全力で潰す。
エゾッコパーカーアズキとトレッキングプロを着ているのは肌を露出しない為。サンサンサンバイザーを被るのは肌の白さを誤魔化す為。それを一瞬でケイに見破られてしまった。解せない。これからもそれを使ってなにかしてくるんだろうか。そう思うとかなり気が滅入る。
しかし、ケイだって同じだったのだろう。自分への自信。今の名は偽名であることも、ケイにとって知られたくなかったことではないのか。だったらこれでフェア、と思えば少しは納得できる気がする。
隣にいるケイを見る。相変わらず嬉しそうにして。ケイはそういうところがある。なにかあるごとに嬉しそうにするのだ。なんで嬉しいのか、全く理解できないが。
そういえば、似たようなことあったな。ふと思い出す。こうやって話しながら帰る友達との帰り道。今俺の隣にいるのはケイだが、きっとそう変わらないに違いない。別れ道で、惜しそうな顔をすることも。
家に着くと、サンバイザーを投げ捨ててベッドに飛び込んだ。かなり軋む音がしたが気にしなかった。きっと、明日もケイと会うだろう。明後日も、その先も。それがあたり前になっていることに驚く。しかし、これも普通なのだろう。だって、フレンドだから。そう言い訳がましいことを心に詰めて、目を瞑った。




2016/02/29



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