STORY | ナノ

▽ ひだまり


 どうしてこうなった。
 ソルは今、自分のこの状況にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「いってらっしゃい!」
「楽しんでこいよな!」
 目の前で満面の笑みを浮かべてエルフェルトとシンが元気よく手を振っている。一緒にいるラムレザルは大人しいものの、その左手はこちらに向かって小さく振られていた。
 それに対してソルの隣にいるディズィーが、よろしくね、と微笑んで手を振り返した。そしてその少女のような愛らしい笑みをソルに向ける。
「お父さん。行きましょう」
 声も心なしかいつもよりも弾んで聞こえた。聞かずともこれから起こることが楽しみで仕方ない、といった様子なのがよく分かる。
 どうしてこうなった。ソルは頭を抱えた。



 明日はイリュリア連王国第一連王、カイ=キスクの誕生日である。
 そのことから首都イリュリアでは今月に入ってからというもの街のそこかしこで誕生日に向けて国民による準備やら仕入れなどが行われ、いつも以上の活気を見せていた。ここ一週間くらい前からその賑わいは大きくなっており、いかにカイが国民から愛されているのかが窺い知れる。首都ならまだしも、カイの統治地域のみならず統治外であるイリュリア連王国の一部地域でも誕生日記念と称して商人や住民がやりくりしているというのだから恐ろしい。国が決めたイベントではないというのにこの力の入れよう。圧倒的な支持率は伊達ではないということか。一説によればカイの誕生際を行事の一環として作るべきではないかという話が以前出たことがあるという。祝勝会と日が近く、準備が間に合わないからという理由で結局その話はなくなったようだが、ここまでくるともはや宗教だ。第一連王の誕生日なのだから、と煽り立てる商人や企業の策略の可能性も否めないが、どちらにせよ本気でカイに対して信仰心にも似た感情を抱いている国民によって助長されているものであり、一人の人間を、まるで過去の偉人を神聖視し、奉りあげているようなその様が、ソルには狂気に見えた。
「カイさん、本当にたくさんの方にお祝いされているんですね」
 隣を歩くディズィーが、どこかそわそわした様子でぽつりと呟いた。クロッシェをかぶり、髪を下の方で軽く結わえた彼女の表情はソルからは見えないが、街の様子が新鮮に映っているわけではなさそうだった。第一連王に即位してからというものこの国民による祝い事は例外を除いて毎年行われているため、街の中に出るまでなくともその雰囲気自体は既に分かりきっているのだろう。
「カイさんのお誕生日が喜ばれているのはとても嬉しいのですけど、身内の人がこんなにも大きく祝福されているのはなんだか不思議な感覚です」
「だろうな。今を生きてる人間がこんな大規模で祝われるなんざ滅多にねぇ。世界広しといえどカイぐらいのもんだ」
 皮肉めいた口調のソルに、凄いですね、とどこか遠くを見るようにディズィーは人々が集まっている方を眺めた。まるでテレビの画面越しに映るイベントやら有名人を見るかのような視線だ。口で言うのは簡単だが、あまり実感がないらしい。無理もない。国民にとってカイは希望そのものであり遥か遠くの存在だ。高嶺の花というのも憚れるほどに。しかしディズィーにとっては身近な存在どころか最愛の夫なのである。テレビ等でカイを見る機会はいくらでもあるだろうが、自身の出生を鑑みて外の世界とあまり関わりを持たない彼女にこの光景を理解しろという方が難しい。
 物珍しそうに街を観察するディズィーに、ソルは呆れ混じりの溜め息を吐く。なぜ自分は今、こんなところで実の娘と出歩いているのだろうか。

 ことの始まりは数日前、イリュリアに身をおいていたシンから連絡が来たところから始まる。
 大袈裟なくらい慌てた様子のシンが、とにかく早くこちらに来てほしいと連絡を寄越したのだ。なにがあった、今はどうしている、あれこれ問いただしたにも関わらずシンは、マジでヤベェだのハプニングがラッシュなんだってだの、勢いに任せて話すばかりで結局なにがあったのかは一切語らなかったのだ。
 怪しいとは思った。いつものシンならば混乱はしてもきちんとこちらの話は聞くし、ちぐはぐにでも事件の内容を話すだろう。しかしこの時のシンはソルの言葉を遮ってまで自身の気持ちを吐くばかりだった。まるでその話題を拒絶するかのように。一方的に。だが馬鹿が付くほど素直で正直なシンが嘘を吐いてまでソルを呼び出す理由は一体なんだろうか?
 万が一のことも考えたソルは、現在特に急ぎの様がなかったこともあって、ファイヤーホイールMk.llを稼働させイリュリアまでやって来たのだ。
 しかし屋敷まで来てみればどうだ。慌てるどころか満面の笑みを浮かべたシンとエルフェルトが玄関で待ち構えており、そのまま言いくるめられてディズィーと出掛けることになったのだ。どうしてこうなった。
 明日はカイの誕生日である。ディズィー曰くプレゼントになにを贈ろうか迷っていたがなかなか決まらず、アイデアを得るためにも街を見回りに行きたいのだそうだ。それならばシンでもいいだろうに。そう言えば、オレ達は留守番当番だから、とそれらしい答えを返されてしまった。留守ならラムレザルやエルフェルトに任せればいいだろう。とは言わせてもらえず、気付けば変装をしたディズィーと仲良く屋敷の外だ。手際と段取りがよすぎる。その要領をもう少し別のところで活かしてほしい。
 しかしディズィーに違和感を感じるのは何故だろうか。街に出たいと言い出したのは彼女だというのに、どこかそわそわして落ち着かない。街の様子に当てられて、という風には見えない。そもそも街に出る理由が、彼女らしくないように思えた。
「お父さんはカイさんのお誕生日はいつもなにかお祝いしたりするんですか? カイさんのお誕生日の時いつも見かけませんけど…」
 私の知らないところで会ってたりするのかしら、ときょとんとして首を傾げた。ソルは頭を抱えた。つまり逢い引きしているのかと言いたいのだろうか。きょとんとして聞くような内容じゃない。しかしそうじゃないと首を横に振れないのもまた事実なのがソルの頭を悩ませる。
「…いらねぇだろ。今更」
「あら。でも私、お父さんからよくお土産が届くと聞いたことがありますけど…。カイさんどれも大切に保管してるみたい。それに昔、迷っている私にカイさんならなんでも喜んでくれるって言ったのはお父さんですよ?」
 街を見渡していた赤の瞳がこちらを見上げる。小さく微笑んだ彼女の表情はどこかいたずら心を感じさせる。なんで覚えてやがる。ソルは顔をしかめた。
 まだカイとディズィーが結ばれていない、カイが警察機構に就いており、ディズィーもジェリーフィッシュ快賊団の一人だった頃の話だ。
 二人が交流を始めたばかりだっただろうか。賞金稼ぎとしてギアを探し回っていたソルの下に突然ディズィーがやってきたのだ。突っぱねてやろうと考えていたソルだったが、なにやら深刻な表情をした彼女を見て、話だけは聞いてやろうと思った。それだけだったはずだ。
 カイさんのお誕生日になにを贈ればいいのか分からないんです。彼女は言った。この時点で深刻な表情の理由を察してしまいすぐにでもここから離れたくなった記憶がある。
 カイにはいつも凄くお世話になっているし、大切な友達だから感謝の気持ちを込めた恩返しがしたい。しかしまだ交流を始めてさほど時間が経っていなかったのと、自身がギアだから、迷惑になってしまうのではないかと悩んでいたそうだ。悩んだ末、それでも渡したいと思ったディズィーは、ディズィーの知っている人物の中で一番カイと関わりのあるソルに相談しに来たのだという。何故自分が一番関わりがあると思ったのか。問うてみれば、度々カイからソルの話を聞いており、カイの口から出てくる人物は圧倒的にソルが多かったそうだ。一体なにを話しているというのか。呆れ返ったソルは、当時そのカイからディズィーを喜ばせたい一身で何度も毒味役やらなんやら協力させられていたので、どうせあいつのことだからなんでも喜ぶだろ、とディズィーに言い切ったのだった。なんでこいつらわざわざこっちを巻き込んでくるんだ。そううんざりしていたのを覚えている。
「昔は昔だ。それに俺とテメェは違う」
「そうですね。違います。でも私達は今、同じひだまりの傍にいるんですよ」
 ディズィーはまた遠くを見つめた。街はあちこちで人だかりが出来ており、その賑わいは衰えてはいない。しかしソルとディズィーがいるところだけは人がいなかった。同じ街の中で、人々とそう離れてはいないというのに。まるで自分達だけ切り離されているようだ。それもそうだろう。この場所を選んで進んでいたのは、他でもない自分の意思なのだから。
「すみません。無理強いしてるみたいな言い方になってしまいました。でもカイさん、昔からお父さんには色々もらっていると、何度も言ってました。生きるべき道も、進むことの険しさも。だから今更だなんて、ないんですよ。貴方も私も、もう一人じゃないんだもの」
 ディズィーがそっと手を伸ばす。日に照らされた手のひらが光をそっと包んだ。いつかの頃、彼女が望めど掴めずにいた光だ。
「日陰はひんやりしていてとても寒いです。寒くて、孤独で、だから日向にいる人達がとても眩しく見えて。人肌が恋しくなって手を伸ばしたいのに、日陰と日向の境界線がそれを許してくれませんでした。でも日向がこちらを照らしてくれると、境界線が曖昧になって日陰も暖かくなるんです。日向のお陰で、私は人の温もりの柔らかさを知りました。私はもう、寒くなんかない。貴方はどうですか?」
 包んだ手のひらをもう一度開いてディズィーは微笑んだ。
 ソルは言葉を詰まらせた。ディズィーの言いたいことがはっきりと分かるからだ。分からないはずがない。彼らは同じだったからだ。そして彼らに暖かさを与えたのも、全てとある人物に直結しているからで。
 いつかの頃、巻き込みすぎたんじゃないか、と語りかけるカイの表情を思い出す。巻き込んだのはどちらだ。ソルは小さく舌打ちをした。
「説教くせぇところはアイツに似てきたな」
「私達、夫婦ですから」
「…俺はこの光景が嫌いだ」
「はい」
「宗教じみたこの光景がな。まるで神、いや、死人の扱いだ。人間の扱いじゃねぇ。だがアイツはこの祝福を喜んで受け入れるだろうよ」
「そうですね。カイさんが心から笑顔になれるのなら、私も好きでいられます」
「なら俺はその教徒の意思から背くまでだ。アイツがどう思おうがな。誕生日だかなんだか知らねぇが、望むならいくらだって祝ってやる。俺のやり方でな。アイツの手を引く為にわざわざ光に出向く必要もねぇ。光にいることだけが救われるわけじゃねぇからだ。ただ俺は、俺の道を行く」
「そう、私達は同じでなくても、支え合うことはできる。守りましょう。これからも。それぞれの場所で、あの人のことを」
 赤と赤の瞳が交差する。ソルはそれを肯定も、否定もしなかった。それだけでじゅうぶんだった。ディズィーはくすりと笑う。気にしないようにしていた変装用のクロッシェがこの時ばかりはソルの心を重くさせた。
 日向も影も、本来ならばこのような形で生物を隔てるものではなかった。隔てることになった原因は、そもそも、あの時。
「ふふ、私達、気付けばカイさんの話ばかりしてますね」
「…テメェが一方的に語るだけだ」
「そうですか? でもよかった。晴れて」
「あ?」
「お父さん、街に出てからずっと難しい顔をしていたんですよ。気付きませんでした? …あっ、お父さん。あれ」
 こてんと小首を傾げるディズィーだったが、ぱっと顔を上げると、先の方へ目を向けた。つられてソルもそちらを見る。
 二人の視線の先。そこには人だかりができていた。人だかりといっても子どもばかりだが、その子どもの群れの中にピエロのような格好をした大人が立っていて、手先を器用に動かして細長い風船を捻ったり結んだりしている。出来上がりと言わんばかりに子どもにその風船を渡そうとしては、子どもが手を伸ばした瞬間に引っ込めてまた捻り始めるのだからじれったい。
 あれ、バルーンアートですよね、とどこか嬉しそうにディズィーが口を開いた。あまり見たことがないのだろうか。お菓子を与えられた子どものように瞳をきらきらと輝かせている。何故バルーンアートだと知っているのか。見たことがあるのか。そう尋ねればどうせあいつの名前が出てくるのだろう。想像に容易かった。もっとも、バルーンアートでここまで表情を明るくするディズィーはこれまでの境遇を察するにはじゅうぶんで。大人のする表情にしては、あまりにも幼い。
「欲しいか?」
「そんな。私もう子どもじゃないですよ」
「俺からすればテメェもまだまだガキだ」
「ふふ、じゃあ今日はお父さんに甘えていてもいいですか?」
「それが狙いか」
「えっ?」
 目を丸くしてディズィーはソルを見上げた。どうやら当たっていたらしい。
「本当の目的はなんだ」
「き、気付いてたんですか?」
「夫婦だからなんだとか言ったのはどこのどいつだ? アイツほどじゃねぇがテメェも大概分かりやすい」
「…すみません。嘘を吐いてしまって。本当はもうプレゼントはできてるんです」
 少し頬を赤く染め、ばつが悪そうに俯いた。
 だろうな、とソルは心の中で呟いた。今までいくら二人の交流に陰ながら付き合わされてきたと思っているのだろうか。それにカイに限らずとも、シンやヴァレンタイン姉妹も誕生日に手作りのなにかを贈られていたようだし、今までの出来事やシン達の証言を照らし合わせれば大体予想はできた。相手がカイならば尚更である。どこか落ち着きがないディズィーの様子も気になってはいたが、一番の違和感の原因がこれだった。そう思うに至る根拠もやはりカイが絡むのだと思うとなんとも言えない気持ちになる。
「あの子達と話していた時、たまたまお父さんと出掛けたことがないって話になって。今日はおうちのことは任せて二人で楽しんできてって、押されてしまって。凄くやる気満々だったから断れなかったんです」
 項垂れるディズィーにソルは大きな溜め息を吐いた。
 あたふたするディズィーを押し込んであの三人──主にシンとエルフェルトがあれやこれやと計画を立てていく様が目に浮かんだ。家を出る時のラムレザルの様子を見るに、ラムレザルも反対はしなかったのだろう。あのシンが考える計画だ。安易なものに違いないと断言できる。その安易な計画に騙されたのは紛れもなくソル自身なのだが。しかし、もしラムレザルが二人に賛成していたというのなら、下手な作戦には苦言を呈するだろう。案外シンのあのあからさまな電話は、ひとの心理を利用したラムレザルの案なのかもしれない。
 ソルは足を止めると身を翻した。そのまま去っていこうとするソルに、ディズィーは慌てて止めた。
「あの、どこに?」
「わざわざアイツらに付き合う必要なんざねぇ。戻るぞ」
「ま、待ってください! 良ければ、もう少しだけ、見て回りませんか…?」
 懇願するように手を組んでディズィーは顔を歪める。
 控えめな、悲しそうにも見える表情だった。シン達の企みに押し込まれたディズィーだが、本気で止めなかったのは、ディズィー自身もソルと一緒に出掛けてみたいと思ったからかもしれない。でなければ、ソルと出掛けたことがない、なんて話題も出さないだろう。しかしディズィーはソルのことを知っている。ソルが誰かと仲良く出掛けてくれるようなひとではないことは分かっていたのだ。ならばこの表情は、ソルに対する申し訳なさからなのか、それとも予想通り、一緒に出歩くことに対して拒絶されてしまったからか。どちらにせよ、子が親にするような顔ではない。
「…少しだけだぞ」
「…!」
「どうした? ぼーっとしてるなら置いてくぞ」
「は、はいっ! 行きます。一緒に…!」
 ディズィーの表情がぱぁっと明るくなる。先に進んでいこうとするソルに駆け寄った。
 これが彼女なりの歩み寄りなのだろう。ディズィーからソルに対する、彼女にとっての家族に対する歩み寄り。随分可愛らしいものだ。勝負を仕掛けてくるよりもずっと。ソルは皮肉めいた笑みをこぼしては、現在進行形で明日の誕生日を祝われている男の姿が思い浮かんでくる事実に頭を抱えた。



2019/11/19



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