STORY | ナノ

▽ 十三月の向き合い方 記


「ニサカさんが倒れた!?」
 目覚ましが鳴って、目を覚ましてそれから少しだけ眠って数十分後。
 身支度も完璧。キッチンでご飯を作ってるリーダーや珍しく早起きしてるスイレン君におはようの挨拶をして、食卓を半分囲むように設置されたソファの、いつものキッチンに背を向ける位置に座った俺は、まるで天気の話でもするかのように知らされた話題に驚かざるを得なかった。
「うるせーですよ」
「う、ご、ごめん。でもニサカさん大丈夫なの?」
「そんなに騒ぐ程ではない。ただの風邪だ」
 キッチンからリーダーが顔を覗かせてそう言った。だから今日の朝ご飯はお粥な、とも。なるほど。さっき突然卵がいいか梅干しがいいか聞いてきたのはこのことだったのか。
 誰かが熱を出して寝込むなんて、思えばなんだか新鮮だ。最近だとちょっと、いや結構前かな。まだ俺がチームクロメと交流しはじめたばかりの頃にチドリが突然熱を出して倒れてたっけ。チドリは昔から体が弱いからチドリが熱を出すこと自体は慣れっこだけど、チドリが突然倒れたのはさすがに驚いた。チドリは自分が体が弱いことはちゃんと分かってるから、昔は体調が悪くなったら自主的に大人してたんだ。
「でもニサカさんが風邪を引くなんてなんか…意外だね」
「馬鹿は風邪引かねーって言いますしね」
「遠回しに軽蔑するのはよくないぞナノ」
「そんなこと思ってないよ…」
 キッチン越しにリーダーの呆れたような桃色の目を見た。そんなに馬鹿にしてるような言い方だったかな。そんなつもりはなかったんだけど…。次からは気を付けよう。
 でも意外だと思ったのは本当だ。だってニサカさんはいつも元気でなんでも完璧って感じのインクリングだから。本人だっていつも「ニサカって完璧だから〜」って言ってるし。なんでか文字を読むのが苦手らしいけど。だから倒れたなんて聞いたらそりゃ驚くしかなくて。
「いつも対抗戦の助っ人に行っているようだし何処かから貰ってきたんだろう。ニサカの看病は私がするが、私が離れている内に部屋を抜け出さないか見ておいてくれ」
「そんな子どもみたいな」
「頭のレベルはガキのそれでしょう。あいつ」
「このニサカを呼んだのはだーれだ!」
 ばたん、と勢いよくリビングの奥の扉が開く。そこには扉に手をつき、物語の登場人物が技がきまった時なんかにやってるような、額に手を添えた格好でとても自慢気な顔をしているニサカさんがいた。うわ、言ったそばから、とひどく呆れたような声でスイレン君は呟く。
「おいなにを出てきている。大人しくしていろと言っただろう」
「えぇ! リーダーまさかこのニサカに部屋に籠ってろと!?」
「そう言っている」
「酷いよなぁリーダーってば。本当に酷いと思う。なぁナノ」
「えっ、そ、そうかな」
「こらモヤシ。ナノを巻き込むのはやめてくだせー」
 スイレン君が、しっしっ、とニサカさんに向けて手を払った。完全に邪魔だと言いたげな顔だ。視界から消えろと言わんばかりの。
 あっこれは。俺は身を強張らせた。だってこの流れ、絶対いつもの言い合いが始まる。いつもそうなんだ。どちらかがなにか口を出す度に言い合いになるの。そんなに仲悪いようには見えないけど、なんでこんなにも喧嘩しちゃうんだろう。
 しかしニサカさんは、はいはいすみませんでした、と言い方はあれだけど素直に引っ込んだ。珍しい。これにはスイレンさんも呆れた顔をしている。ニサカさん、本当に体調が悪いみたいだ。
「でもさぁ、ニサカ今日対抗戦の助っ人頼まれてんだぜ? 行かないと申し訳ないじゃん」
「パンデミックでも起こすつもりか…? 行って掛ける迷惑と行かないで掛ける迷惑、どちらが重いか分からない歳ではないだろう」
「よければ俺が代わりに行こうか?」
 うう、と唸るニサカさんがなんだか可哀想に見えて、俺はおずおずと手を上げた。するとリーダーがとても驚いた顔をして俺をじっと見てきた。いつもそこまで表情を変えないスイレン君まで目をぱちぱちとさせている。な、なにかまずいことでも言ってしまっただろうか。挙動不審になった俺に、ニサカさんが意地悪く口角を上げた。
「へーえナノ。言うようになったじゃん」
 なにかを企んでいるようなねっとりとした言い方に俺は思わずぴんと姿勢を正してしまう。やっぱり俺、悪いことを言ってしまったらしい。ニサカさんは何事にも怒らない、というか怒ったところを見たことがないけど、その代わりこうやってからかうような態度を取るのだ。怒られるのは怖いからありがたいけど、悪いことをしてしまったことには変わりないから、申し訳ない気持ちが胸の中を埋め尽くしてしまう。
 見かねたスイレン君が大きく溜め息を吐いた。ナノ、分かんねーんですか。そう言われて俺は首を傾げる。そもそもニサカさんの代わりに行こうかって話で。そういえば言うようになったじゃんってどういうことなんだろう。話が繋がらない。俺がニサカさんの代わりに行くだけだし。ニサカさんの。このチーム、どころかハイカラシティのトップランカーと言われているニサカさんの代わりに。…ん?
「そうかそうかー。助っ人頼んできたチーム、ニサカのオクタをご指名だったんだけどナノが行ってくれるのかー」
「あ、あの待って! ごめん! すっかり頭から抜けてて…!」
 もちろんニサカさんがとても強いということは忘れてないけど、力になりたい一心でつい、自分が代わりにだなんておこがましいことを言ってしまったことに俺は慌てた。ニサカさんもいいおもちゃを見付けたと言わんばかりににたにたしている。俺の頭の中は混乱していっぱいいっぱいだ。
「デュアカス使い、減らず口叩いてる暇あったらさっさと部屋に戻ってもらえます? 菌が舞って仕方ねーんですけど」
「ん? なになにもしかしてレン妬いてる?」
「死ね」
「待ったその手に持ってる陰湿ブキ引っ込めて! てかどっから…あああほんとストップだってストップ!」
「ええい大人しく出来ないのかお前らは!」
 スイレン君が助け船を出してくれたのも束の間、そのままヒートアップしそうな二人をリーダーがキッチン越しから怒鳴った。あまりの迫力に振り返るとそこには物凄い剣幕で包丁を片手に持つリーダーの姿があった。怖い。色んな意味でとても怖い。
「結局どうするんだ。断るなら断るでさっさと連絡を入れないとそれこそ迷惑だぞ」
「ナノが行ってくれるって」
「ちょっ、ニサカさん」
「まぁブキは違えどナノは普段から前線行ってますし大丈夫でしょ。むしろ今までデュアカス使いでよかったのか疑問に思うくらいです」
 やっぱり俺じゃあ役不足、と弁解しようとしてやめてしまった。なんだろう。俺とみんなでなんか考えてること、違う気がする。スイレン君の言うことにみんな頷いているし。あのニサカさんも、ナノのわかばは不思議なくらい前線強いもんな、と感心するように頷いている。
 俺の実力はニサカさんの足下にも及ばなくて。だから俺はニサカさんの代わりに行けない。だけどそうじゃない。代わりなんかじゃなくて俺のわかばを信じてくれているような、そんな口ぶりだった。
「わ、分かった。俺、頑張ってみるよ…!」
「その意気だぜナノ! ニサカも応援に行こうかなぁ!」
「寝ろ馬鹿!」
 包丁を片手に持って部屋へ戻そうとするリーダーに、ニサカさんは逃げるように部屋に戻っていった。



 俺のわかばはよく不思議だねって言われる。
 全然ウデマエが低かった頃は首を傾げて、そうかな、なんて曖昧に笑っていたけど、今なら分かる気がする。俺の知識も随分と成長してきたのかな。そう思うと少し嬉しい。
 確かにわかばは射程が短いくせに前線向きじゃない。攻撃力は低いし連射速度もそこまで速くない。周りを塗って塗って塗りまくって、バリアを味方に分けて一緒に攻めていく。味方支援をして活きていくブキだと思う。支援の幅は前線後衛問わずだから前線に行かなすぎるのは駄目だし前線に目を向けすぎて周りを全く塗らないのも駄目だ。みんながはじめに手にするブキだけど、初心者に優しい設計の割りに立ち回りがとても難しい。扱いは難しいけど立ち回りが決まっているチャージャーやスピナーの方がやりやすいんじゃないかとさえ思えてくる。なんて言ったら使ってるインクリングに怒られちゃうな。まぁとにかくわかばは立ち回りの幅が広くて、一番安定した立ち位置が中衛だ。だからほとんどのわかば使いは中衛に務めている。
 だけど俺は、なんていうかな。チドリの影響でつい前線に出てしまうのだ。そう、まだ二人暮らしをしてて、二人でわかばを持ってナワバリで遊び回っていた頃。ぐいぐいと前に進んでいくチドリの背中に必死に付いていってた。俺もチドリと肩を並べたくて。同じになりたくて。だからチドリの立ち回りを真似してて、それで前線に出てしまう癖が付いたんだと思う。チームノワールに加入したての頃ニサカさんに特訓してもらってたことがあるんだけど、ニサカさんは俺の立ち回りの癖をすぐに見抜いて、それを伸ばすように教えてもらったことも俺の前線わかばに拍車を掛けてると思う。今思えばわかばって本来ならそんな使い方しないのにそれを正そうとせず伸ばそうとする辺りニサカさんって変わってるかも。少なくともハイカラシティで活動をするわかば使い達は分かってないって顔をしかめると思う。きっとチームノワールは前線がニサカさんくらいしかいないからその為に前線での立ち回りを教えてくれたんだと思う。ニサカさんなら一人で前線も出来ちゃいそうだけど、勝ちを取りに行くなら前線を一人に任せっきりなんてきっと駄目だから。それに癖になってしまった動きを今更変えろだなんて言われても難しかっただろうし、俺としても前線のことを教えてくれてとてもありがたかったなぁ。
 そしてニサカさんの代わりに助っ人に行った対抗戦は、なんとか上手くいった。多分。最初顔合わせをした時はとても不安そうな顔をされたけど、帰りはとっても笑顔で、またお願いね、って言われたから、大丈夫だったんだと思う。わかばのこと褒められもしたし。褒められたことが俺は素直に嬉しくって、帰り際に握手を求められた時は満面の笑みを浮かべていた。
 にしても、なんだか不思議。対抗戦の帰り道、ハイカラシティの隅を歩きながらぼんやりと思った。俺のこの立ち回りはチドリの真似をして得た立ち回りだ。真似をして、肩を並べたくて得た立ち回り。だから今の俺があるのはチドリのお陰で。もっと遡れば幼い頃からなんでもチドリに頼りきりだった。今も昔も、ずっとずっとチドリのお陰で今の俺が出来上がってる。でもチドリはそれが嫌で俺の下から去ってしまって、そもそもこの俺の持つチドリの記憶だって、全部嘘かもしれないなんて。不思議。肩を並べたくて頑張ってたことなのに、もうそれすら叶わないくらい気持ちも記憶もずれている。
 こんなこと、チドリに言ったらどうなるんだろう。今まで散々世話を焼いてやったのにって怒るだろうか。それとも悲しそうに、でも平静を装って、そういう世界だから仕方ないって、許してくれるのかな。残酷だなぁそんな世界。いっそのこと俺のこと嫌ってくれればいいのに、なんて怖くて思うことが出来ず、許してくれると嬉しいなって思ってる俺も、相当に酷いけれど。
 あれこれ考えてしまった。いけない。とにかく早く帰って、ちゃんと助っ人してきたよって報告しないと。気を取り直して顔を上げると、そこには見たことのない景色が広がっていた。辺り一面無機質なコンクリートで囲まれていて、道はそれほど狭くない。この場で大声を上げたらきっとよく響くんだろうなぁって思えるくらい俺を取り囲むコンクリートは空高く聳え立っていて、まるで迷路みたいだ。あれおかしいな。俺ずっとハイカラシティの中を歩いていたはずなのに。耳を澄ませるとそう遠くない場所で街のあの活気付いた音楽やインクリング達の声が聞こえてきた。どうやら俺は街の外れに来てしまったらしい。全く知らない場所じゃなくてよかったと胸を撫で下ろすと、俺は踵を返した。音を頼りに歩けばきっと戻れる。そんな根拠もない理由で。事実歩き続けていたら曲がり角で見知ったインクリングと出くわした。ぶつかりそうになったところをその子は俯いたまま慌てて俺を避けて通り過ぎようとしていく。まさか気付かれないとは思わなくて、待って、と声を掛けてしまった。インクリングにしては珍しく背の低い子だなって思ってたけど、だから気付いてくれなかったのかな。俯いてもいたし。
 声を掛けられて怪訝そうに顔を上げたインクリング──カザカミ君は、俺の顔を見るなり睨みを利かせていた目を和らげた。俺はとても安心した気持ちになった。だってカザカミ君の目は上目遣いなこともあって少し睨まれるだけでも身が縮こまるくらい怖いんだ。
「こんなところでなにやってんの」
「あはは、迷子になっちゃって」
「笑い事じゃないじゃん。気でも狂ったの?」
 う、相変わらずカザカミ君は手厳しい。カザカミ君はどうしたのか聞いてみると、ただの散歩らしい。仕方ないから街まで送り届けてあげるよ、とも言われ、俺はカザカミ君の隣で付いていった。カザカミ君って近付きにくい雰囲気があって言うことも容赦のないものばかりだけど、本当は凄く優しい子なんだ。最近はもしかしてわざとそう怖いインクリングのふりをしているのかなとさえ思えてきた。チドリみたいに。
「君が迷子になるなんて予想は出来るけど現実でもやるとは思わなかったよ」
「そうかなぁ。ちょっと考え事してたら知らないところに来てること、昔から結構あるんだ。ああでも頻繁にやるとかじゃないからね!」
「頻繁に迷子になってたら君今頃生きてないよ。ハイカラシティで迷子になったら最後死ぬって聞いたことない?」
「そんな極端な!? き、聞いたことないと思うけど…多分…」
 俺が慌てていると、カザカミ君は俺の反応に満足したようで、嘘だよ、と小さく笑った。
「考え事って、フチドリのこと?」
「そそそそんな訳じゃ。今日はお天気もいいし」
「君が深刻に悩むことって大抵フチドリ絡みじゃん。君分かりやす過ぎるよ」
 あと嘘が下手、とざっくりと言われてしまった。そんなに分かりやすいかな。別に俺のあらゆる悩み事全てがチドリのことではないんだけど、カザカミ君と会った時は大体チドリのことで悩んでるからなにも言えない。間が悪いというか、言い返せないことが歯痒い。
 項垂れている俺に、で、なにがあったの、とカザカミ君は問いた。有無を言わせない目だ。ううん、やっぱりこうなるか。きっとなんとかかわそうとしても逃げさせてくれないんだろうな。でも俺としてももう一人で抱えているのが辛くって、言いたくないなって気持ちはさほどなかった。だってこの街に関することは他のインクリングはもちろんのことノワールのみんなにも内緒だし、一番相談したい相手は、俺の中の悩みそのものなのだ。
「その、大したことじゃないんだけどさ」
「大したことじゃないなら悩まないでしょ。なに」
「うっ、手厳しい…。記憶のことで、ちょっと、色々気になってて…」
 詰まりながら話す俺に、カザカミ君は特に気にする風でもなく前を向いて歩き続ける。まるで最初から俺の悩みなんて知ってたかのようだ。とても言いづらい。でもなにも言わなくても話の続きを促されているような気がして、俺は恐る恐る話を続けた。
 チドリとの過去の記憶を思い出す度に違和感を感じること。俺の中にあるチドリとの記憶はきっとほとんどが偽物だってこと。だけどどれが偽物でどれが本物なのか分からなくて、チドリと会話に合わせられる自信がないこと。そして今まで俺に嘘を吐かれてたって知った時、チドリはどうするだろうと思うと怖くて、記憶のことを言い出せないこと。
 今まで誰にも言えなかった分の憂さ晴らしでもするかのように、俺は全てを話した。実際、記憶に関することはカザカミ君が一番詳しいと思うから、自分でも驚くぐらいするすると言葉が出てきた。不思議だな。こういうこと、いつもなら戸惑うどころか誰かに話すことさえあまりしないのに。
 一通り話し終えると、カザカミ君は、なるほどね、と深く頷いた。表情は普段と変わらない。本当に分かってるのかなって、いつも疑問に思う、感情の出さない表情だ。
「なんだかんだ幼馴染みだよね…」
「え?」
「ううん、こっちの話。そういえばナノ、この前の交流会もなんだかフチドリと距離取ってたもんね」
「えっ、気付いてたの!?」
「あれでバレてないなんて本気で思ってたなら今後の為にも身の振り方を考えることをおすすめするよ」
 そこまで分かりやすかっただろうか。その頃は確か、ちょうど記憶について疑問に思い始めた頃だったな。もしかしてチドリにもばればれだったのかな、と思うとぞっとする。その時俺は不安で不安で仕方なかったから上手く誤魔化せなかっただけだと思いたい。それともカザカミ君の洞察力が凄すぎるだけだとか。いやでも、それも難しいかも。チドリとは幼馴染みだから、いつも俺がこっそり落ち込んでる時、誰よりも先にそのことに気付いちゃうんだ。俺の記憶が正しければ。
「わがままだよね、俺。チドリが俺以外の友達と仲良くしてたら嫉妬して、その癖自分がチドリのことを忘れそうになってること必死に隠して、嫌われたくないからって話を合わせる前に避けようとしてる。結局、相手のことを思っているつもりでいて自分のことばかりだ」
 インクリング達の楽しそうな声が大きくなっていく。どうやら街の中心へ近付いてきているようだ。ずっと話ながら歩いてたけど、一度も道に迷うことなく歩き続けるカザカミ君はとても凄い。俺だったらこの迷路じみた道を話ながら歩いててももっと迷う自信しかない。それどころかふらふらしてそうでさえあるのにカザカミ君は真っ直ぐに前を向いて、しっかりと歩き続けている。
 吐き出すようにぽつぽつと胸の内を語っていく。こんなこと言ってもカザカミ君は、馬鹿じゃないの、とか、なんで君はそうなの、とか直球に言葉を投げてくるんだろうなって、自分で話しておきながらふとそんな光景が思い浮かんだ。そしてそれが自分自身の悩みに対する一番の解決策だってことも、よく知ってる。
「…僕は当事者じゃないから偉そうなこと言えないけど、君はどうしたいの」
 らしくもなく控えめな声に俺は目を丸くしてしまう。
 だってあのカザカミ君が俺にも分かるくらい気を遣ってる。言葉を選んでいる。今相談に乗ってもらってるのは俺だけど、内容が違えばカザカミ君一体どうしたのって聞いてしまいそうだ。そんな風にあれこれ考えてたら、返事をなかなか寄越さない俺に不審に思ったのか、それとも俺が必死に誤魔化そうとしてると思ったのか、君今失礼なこと考えてるでしょ、と釘を刺されてしまった。鋭い。
「どうしたい…考えてなかったな。とにかくどうしたらいいのかって、凄く頭の中がごちゃごちゃしてたから」
「じゃあ質問を変えるね。今もフチドリのこと独占したいって思ってる?」
「それも…分からない。俺も誰かと誰かをなんて比べられないくらい大切な友達がいるから…」
 はじめてチームクロメと娯楽施設に遊びに行った時のことを思い出す。一番の友達って誰、なんて幼稚で子どもじみた質問にチドリが上手く答えられなかったこと、今ならその気持ちがよく分かる。
 ようやくあの迷路から抜け出せた。目の前ではインクリング達が楽しそうに踊ったり、お喋りしたり、お出掛けしている様子が映る。俺よりも一歩前に出たカザカミ君が、ここでお別れだね、と感情を映さない黒い目が明後日の方向をじっと見つめ続けた。
「僕はもう、ただの部外者でしかないから、上手くは言えないけど。それはきっとフチドリも同じだと思うよ」



 帰ったらいつもみたいにリーダーがリビングでお出迎えしてくれるのかなと思っていたけど、帰ってみるとリビングは明かり一つ点いておらず、日が沈みかけているのと相まって部屋はどこか気味の悪い薄暗さだった。色々と考えていて周りのことをよく見ていなかった俺は、そこでようやくこの家から出て対抗戦の助っ人に向かってから結構な時間が経っていることに気が付いた。対抗戦が終わった頃はまだお日様が空で元気に輝いていた気がするのに。道に迷っていた間にこんなに時間が過ぎていっていたのかもしれない。自分の中では子どものおやつの時間ぐらいだと思っていたので、まるで自分だけ時から取り残されたというか、別の世界に来てしまったような、そんな錯覚に陥った。
 リーダーがリビングがいないのは珍しいことだった。キッチンにもいない。リーダーは俺達と和解してからというもの、今までわだかまりがあった分を埋め合わせるかのように俺達との接触を大切にする傾向がある。だから帰ると大抵リビングにいて、帰ったのか、なんて俺の顔を一瞥するのだ。最初こそ無理してないかな、って不安になったけど、今となっては意地っ張りなリーダーなりの好意の現れだってよく知っている。
 もしかしてニサカさんの看病をしているのかなって思ったけど、すぐにそれは違うと気が付いた。俺が自分の部屋に戻ろうとした時、ひょこっとニサカさんが自身の部屋から顔を出したのだ。リーダーがいないかどうか恐る恐る確認してるような、そんな感じ。ニサカさん、あんなに言われてたのにまだ諦めてなかったんだ。きょろきょろとしていたニサカさんだけど、俺とばっちり目が合ってしまって、そろーっと部屋に戻っていった。扉が静かに閉められる。俺はなんだか嫌な予感がして、すぐにニサカさんの部屋の前に向かって扉を小さくノックした。すると扉を隔てたすぐ傍でニサカさんの返事が聴こえた。嫌な予感、的中かも。入ってもいいかな、と尋ねると二つ返事で中に入れてくれた。
「おおナノ、お帰り。なになにニサカのこと心配してくれたのか? ナノは相変わらずいい子だなー」
「た、ただいま。それよりニサカさん、さっき何処に行こうとしてたの?」
「ちょっと飲み物欲しくってさぁ。でも急にやっぱいらないかなぁって思って」
「じゃあなんで扉のすぐそこで待ってたの…?」
「それはー、んー、ナノが来そうな予感がしたから?」
 決して俺に目を合わせようとせず首を傾げるニサカさんに、俺は肩を落とした。あからさまに嘘だ。多分俺が部屋に戻ったのを見計らって外に出ようとしてたんだと思う。このタイミングで帰ってこられて良かったと俺は心底思った。
 とにかくベッドで寝てないと駄目だよ、と言うとニサカさんは大人しくベッドに戻った。対抗戦の助っ人に行く前にリーダーが、私がニサカを見ているからお前達は移らないように絶対に近付くな、って念を押して言ってたし、ニサカさんが抜け出さないようにリビングにいればいいだろうか。そう考えて部屋を出ようとするとニサカさんに呼び止められた。ついでに手招きもされる。迷ったけれど無視することも出来なくて、俺はニサカさんに従ってニサカさんのすぐ傍に腰を下ろした。寝転んでいるニサカさんは、嬉しそうに茶色の目を細める。
「ナノはいい子だねぇ。何処かの誰かさんとは大違い」
「スイレン君も凄くいいヒトだよ? ちょっとジェッカスに対する愛が重いだけで」
「あれ? ニサカ、レンのこと一言も言ってないんだけど? そっかそっかナノはそう思っていたのかそうか」
「ち、違うよ! そういう訳じゃ…!」
 慌てて弁解を試みようとするも、ニサカさんは意地の悪い笑みを見せるだけで全く聞く耳を持ってくれなかった。ニサカさんが悪く言う相手って大抵スイレン君だから、誰でもそう答えてしまいそうなものだけど。もしかしてそう思ってるのは俺だけで、実はニサカさんの言う通りなのかもしれない。俺って最低なインクリングじゃん。素直にへこむ。
「まぁまぁそう落ち込むなって。誰だって醜い部分の一つや二つあるんだから」
「なんだか腑に落ちない…」
「そういやナノ、対抗戦上手くいったみたいだな。向こうのチームが凄く喜んでたぜ」
 ありがとな、とニサカさんはにっと笑った。そこにはもう先程までの意地悪さはなかった。
「ううん、こちらこそ。凄く楽しかったよ。フレンドにもなってくれたし」
「みーんなナノのわかばの立ち回りには驚いただろうなぁ。ニサカだってしないような、正直言って戦犯扱いされるような立ち回りだし。でもそれでいてチームに貢献してくれるんだからさすがナノだ」
「あはは、なんか、すみません…」
 いたたまれなくって俺は愛想笑いをして目を逸らした。
 こんな風に驚かれたりするのは今に始まったことじゃないけど、決して全てがいいことじゃないのは知っている。敵味方問わず戸惑わせてしまうのが俺の立ち回りで、結果的には良くても、道中味方に俺の動きの理解を強いているのだ。野良で味方になったインクリングには迷惑極まりないと思う。ほとんどの場合で一回しか味方にならないのに、その味方の為に状況把握とか立ち位置とかそんなのじゃないところの意識を割かれるんだから。
 するとニサカさんは目を真ん丸にして首を小さく横に振った。その拍子で枕元からかさかさと微かな音が鳴る。
「違う違う! 本当に、純粋に褒めてるんだって。わかば使いってさ、ううん、わかば使いじゃなくても、そのブキを使っていけば自然とそのブキの立ち回りが分かってくだろうし、合わなければ他のブキに持ち変えると思うんだよ。ナノみたいな立ち回りならスシコラとかな。でもナノはそうせず自分の動きたいままに動いてるし、だからと言ってわかば本来の持ち味を殺すわけでもなく全部を生かして使ってる。本当に凄いと思うぜ。ニサカなんてテンプレみたいな動きしか出来ないしな」
「それはただ俺が別のブキに簡単に移れる程器用じゃないからだよ。それにこの立ち回りだって俺が考えた訳じゃないんだ」
「へぇそうなんだ。誰かに教わったのか?」
「教わった訳でもなくてね、チドリの真似したらこうなってたというか…」
「え、フチドリ?」
 ニサカさんはきょとんとした顔でその名を呼んだ。まさかここでチドリの名前が出てくるとは思っていなかったようだ。
「うん。俺がバトルを始めたばかりの頃、とにかくチドリに付いていこうって必死だったから…。だから癖になっちゃって。だから俺だけの功績じゃないんだ」
「ふーん。でもフチドリの動きって危なっかしいし安定してないしさぁ、その点ナノはちゃんと弁えてるから、それも含めてナノのいいところだと思うけどねぇ」
「そう、かな。ありがとう。そう言ってもらえると自信出るよ」
 礼を言う俺に、もっと褒めてくれてもいいんだぜ、とニサカさんは笑った。
 不思議。ニサカさんと話してるといつの間にか励まされてることがよくある。そんなつもりもない、何気ない会話だったのに。きっとニサカさんが褒め上手なんだと思う。悪いところはしっかりと指摘してくれるけど、少しでもなにかいいことをしたら、いっぱい褒めてくれるんだ。大袈裟なくらいに。何故かそれらはスイレン君相手には発動されないけれど。
「フチドリ。フチドリねぇ。なんなんだろうな。フチドリって」
 ニサカさんの疑問に今度は俺がきょとんとする番だった。なんなんだろうと言われても。でもニサカさんの表情はあくまでも本気だった。本当で不思議そうな顔をしている。
「いやーなんかさ。ここ最近誰かと話してると最終的にフチドリの話に辿り着くんだよな。この前だってリーダーから散々フチドリの話聞かされたぜ。リーダーはケイから聞いたらしいけど」
「そうかな…。あ、でも分かるかも。クロメの子達と遊んでるとよく話に出てくるんだ」
「あーなるほどな。クロメか。どうりで最近よく聞くと思った。まぁ自分が聞き出してたってこともあるけどな…」
「え?」
「なんでもないなんでもない。ナノの幻聴なんじゃないか?」
「そ、そこまで深刻じゃないよ…?」
 最後の方がよく聞き取れなかったけど、ニサカさんは納得したようにうんうんと頷いていた。その拍子にまた枕元から乾いた音が鳴る。ノワールとクロメが交流するようになったのは最近だし、ニサカさんがそう感じるのも無理はないのかも。俺もよくクロメの子達からフチドリの話を聞くけど、俺からも話すことはあるし。
 偽りかもしれない、フチドリとの昔話を。
「なんか凄いよなぁ。こんなに誰かの話題に出てくるの。それくらい信頼されてるってことだろ? 並の信頼度じゃあこんなことにもならないぜ」
「チドリ、目付きは悪いけど友達思いだから…。きっとみんな分かってくれてるんだよ」
「ギャップか!? 世の中ギャップが流行るのか!?」
 どこか悔しそうにニサカさんは頭を抱えた。そういう問題なのかな。ニサカさんが興奮してさらに熱を上げてしまわないよう俺は、落ち着いて、と声を掛けるしかなかった。
 いやでも、熱はがーっと上げてしまった方が治りが早いんだっけ。チドリが例外だっただけで。幼い頃のチドリは体が弱くてよく熱を出しては倒れていた気がする。熱は体の弱いチドリには天敵で、どうしても上げないようにしなくちゃいけなくて、よくお母さんと一緒に寝込んでるチドリを看ていた覚えがある。
「なぁなぁ。フチドリってどんな奴?」
 ニサカさんの問いに、俺は動揺した。少し、考え込んでしまったようだ。まただ。普段からぼーっとしてることはあるけど、今日は特に酷い。理由は今まさにニサカさんが口に出しているインクリングそのものにあるんだけど。
「どんな奴。えーっと…うーん。優しいとか?」
「友達思いと似たようなもんじゃん! ほか、ほか!」
「ほか? えー、頼りになるけどちょっと無理しすぎなところがあるから目が離せないとか…?」
「マジ? 流石に自分の管理くらいは出来そうに見えたけど。案外子どもなんだな」
「今…そう、だね。昔よりはマシになってるのかも。うん」
 自分の管理くらい、の部分で目の前のインクリングに首を傾げそうになったのは言わないでおこう。
「フチドリのセンスの悪さって昔から?」
「どうだろう。あんまり気にしたことなかったな。チドリもあんまりそういうの興味なかったし」
「フチドリって柄悪いところあるよな」
「否定は出来ない…」
「あれって昔から?」
「そう、だったと思うよ」
「ナノは怖くなかった?」
「怖くなかったと思う。多分…」
「これだけは忘れられないフチドリとの思い出ってある?」
「…」
「小さい頃のフチドリってどんなだった?」
「あの、ニサカさ」
「ナノにとってフチドリってなんなんだ?」
 バンッ、と勢いのある音が部屋中に響いた。
 とても驚いた俺は大袈裟なくらい肩を揺らして音が鳴った方を見た。この部屋の出入口。扉が大きく開いたところにスイレン君がドアを押さえて立っていた。チドリも顔負けのとても怖い目付きで。スイレン君が不機嫌だということは火を見るよりも明らかだった。ニサカさんから、あー、と罰が悪そうな声が聞こえてくる。
「ナノ、リーダーから伝言です」
「は、はい!」
 普段言うほど低くない声のスイレン君のドスの利いた声に思わず畏まってしまう。それくらい今のスイレン君は怖くて威圧的だった。触らぬ神に祟りなし。仏の顔もなんとやら。そんな感じ。
「リーダーは外せない用事の為外出中なのでナノに買い物を頼みてーそーです。思った以上にナノの帰りが遅かったのでじきに帰ってきそーな気もしますが命令は命令です。ナノ、行ってくれますね?」
 有無を言わせない口調に俺は思い切り首を縦に振った。断るつもりはなかったけど、少しも反論の余地を与えないスイレン君の雰囲気に、俺は慌てて立ち上がって部屋を出た。
 財布持った。買い物袋も持った。あとはなんだっけ。そうそうイカ型端末も忘れられない。ブキは今はいいかな。スイレン君はニサカさんの部屋から出てこない。でもなにか話している様子でもなかった。えも言われぬ怖気が全身を襲う。俺は慌てて家を出た。
 周りの景色が変わっていく。だんだん道端を歩くインクリングの姿が増えてきて、街の雰囲気も明るくなっていく。街の中心部に近付いている証拠だ。俺達の借りているマンションが比較的落ち着いた場所にあるのもあって、その移り変わりがよく分かる。
 逃げるように飛び出してきたけど、次第に足はもつれてきて、だんだんその勢いは失われていった。しまいには動いていたはずの体はぴたりと止まってしまって、代わりに感じるのは深く打つ鼓動といくら吸って吐いても満足が出来ない己の呼吸だけだった。
 ──ナノにとってフチドリってなんなんだ?
 ニサカさんのあの、責め立てるような問い掛けが頭にこべりついて離れない。よく耐えられたと思う。あの時スイレン君が来てくれてよかった。あのままあの場所に居続けたら俺、どうなってたか分からない。
 俺だって知りたい、そんなこと。
 俺にとってチドリってどんな存在で、チドリにとっての俺がなんだったのか、もうなにも分からないんだ。なにも。友達のことなのに。なんで分からないのさえ、もう今の俺の中から霞んでしまっていた。



2019/03/12



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