STORY | ナノ

▽ 十四月の向き合い方 証


 気付いた時にはなにもかもが遅かった。

 いつもの買い物先に着いたのはいいものの、俺は、なにを買うのか、という肝心な部分をスイレン君から聞いていないことに気が付いた。なんて失態。リーダーのことだから多分メモかなにかを残してると思うんだけど、それさえも忘れてきたということになる。そういえばあの時、スイレン君は手になにか持ってたような気すらしてきた。駄目だな俺。こういう時に限っていつもミスをする。だから俺が失敗してしまわないよう立ち回ってくれてたのがチドリで。俺は誰かがいてくれないとなにも出来ない。そんなポンコツなインクリングだった。
 本来ならここでノワールの誰かに連絡を取ってなにを買えばいいのか聞くのが正しい行動なんだろうけど、何故だかその時俺はそんな気が起きなくて、ふらりとその場から離れた。どうでもいい訳じゃないのに、どうしても逃げたくなった。どうしたんだろう俺。こんなに悪い子だったっけ。昔から聞き分けはいい方だった気がするのに。聞き分けは、いい方、だったのかな。分からない。もう分からない。自分のことも全部嘘かもしれない。だってチドリのことも、お父さんやお母さんのことだってこんなにもぼやけてる。その中にいる俺も例外ではなく、まるで嫌がらせのように真っ黒に塗り潰されている。こんなの、夢だったらどれだけよかったことか。いや、夢なのかも。俺、別になにも悪いところもないのに。なにも悪いこともしてないのに。普通にここで生まれて、ここで育ってきた。それだけなのに。なんで記憶が嘘だなんて思うんだ。なんでこんなにも居心地が悪くて気持ち悪くて、なんでこんなにも、記憶が歪んだものに見えるんだろう。なんで。なんで、なんでなんでなんで!
 目の前が真っ暗になったみたいになにも見えない。どうすればいいのか分からない。誰か助けて。こんなの、まるで俺だけが取り残されてしまったかのようだ。ひとりぼっちなんて嫌だ! こんな思い、今までしたことがなかった。ねぇどうして。どうして、かな。それは多分、そうなる前に誰かが助けに来てくれたから。俺が悲しんでたらすぐに隣に来てくれて、泣いていたらいつも慰めてくれる。そんな誰かが。
 突然耳に誰かの笑い声が入ってきて、はっと顔を上げた。目の前には公園の入り口があった。どうやら住宅街にまで来てしまっていたらしい。気が付けば空も真っ暗だ。いつの間に。
 笑い声は公園の方から聞こえてくるみたいで、なんとなく声のする方に歩いていった。公園の敷地内に入っていく。声の主は二人のインクリングだった。端の方に設置されたベンチに腰掛けて、楽しそうにお喋りをしている。話の内容は他愛のないもので、今日のナワバリはあれが面白かったねだとか、この前ガチマでこんなことがあっただとか、主にバトルを中心に展開している。
 自分にも、ああやって誰かと毎日バトルに励んでお喋りして、楽しい日々があった。
 誰か。いつも一緒にいてくれて、飽きることなくバトルに一緒に行っていた誰か。誰かって、チドリだ。
 チドリがいたから。チドリは、俺のことをいつも見抜いてくれる。だけどいつも一緒にいてくれたチドリはもう俺のすぐ近くにいない。ずっと一緒だと思っていたのに、気付いたら離れていることが普通になっていた。なんでかな。なんとなく、永遠って存在しているものだと思い込んでいた。そんな訳ないのに。永遠なんてあるはずないのに。チドリが隣のいる風景が、当たり前だと思ってた。
 心にすぅっと、風が通り過ぎていくような感覚。ああそうか。俺はチドリに"永遠"でいてほしかったんだ。"ずっと"が当たり前に存在する、俺にとってチドリは、そんな永遠の象徴だった。だから永遠だと思っていたそれを永遠じゃないんだって思い知らされたあの日、俺は。
 ベンチに座っていた二人はこれから予定があるのか、楽しそうに話ながらベンチを離れた。出入口は俺が入ってきたところしかないらしく、二人は俺がぽつんと立っていたことに驚いた顔をして早足で去っていった。特に嫌悪感を示すような反応じゃなかったのが今の俺としてはありがたい。もしかするとノワールが有名だから、それで俺のことも知ってくれていたのかも。ちょっと自惚れかな。
 俺の横を通り過ぎていく。それを目で追っていると、出入口に見慣れた姿のインクリングが立っていることに気が付いた。黒のイカライダーを身に付けていてよく暗闇に溶け込んでいるけれど、出入口付近に設置されている照明と、なにより特徴的な白のカラーのお陰で、誰なのかはすぐに分かった。
「ナノ。ようやく見付けたぞ」
 俺の姿を認識するなり、出入口に立っているインクリング、チームノワールのリーダーが、眉を下げて俺の下に近付いてきた。肩で息をしている。なにかあったのだろうか。いや、なにかあったなんて、ありすぎ過ぎじゃないか。俺はおつかいの内容を聞き忘れ、それなのに確認もせずにこうやってサボっていつになっても帰らずふらふらと出歩いていたのだ。心当たりしかない。むしろ探さない理由の方があるかってくらいだ。でも、それはそれで違和感がある。だって今の時代イカ型端末っていうとても便利なものがあるわけで、なにかあればまずリーダーの方から連絡をくれるはずだ。それなのにまるで俺が夜の街を知らない子どもであるかのように探してくれていて。まさかおつかいから逃げてこのまま帰ってこないのかもって勘違いされちゃったのかな。だとするとなんとか弁解しないとだけど、逃げてたのは事実だ。リーダーに怒られても仕方ない。
 リーダーから雷が落ちてくることを覚悟して、俺はこちらに向かってくるリーダーを神妙な面持ちで待った。リーダーが目の前にまで来た。俺は次に出てくるであろう言葉をじっと待つ。
 しかし、リーダーは怒るというより怪訝そうな顔をして、はぁと息を吐いた。
「お前がニサカにいじめられて飛び出していったと聞いたから心配したじゃないか。あちこち探し回ってたんだぞ。この私が!」
「えっ、ご、ごめんなさい。…ん?」
「まったくだ。もう大丈夫なのか? もしや私のいないところで泣いていたんじゃないだろうな?」
「さすがに泣かないよ!? って待って。待ってリーダー」
 俺が必死に制止を掛けると、リーダーは、なんだ、と眉を潜めた。やっぱり若干怒ってる。でも怒りの矛先は俺じゃないみたいで。
 なんだろう。俺とリーダーの話が噛み合っていないような。というか何故ニサカさんの名前がここで。俺がぐるぐると考えている間にもリーダーはぶつぶつとニサカさんに対する怒りを呟き続けている。絶対なにか思い違いをしている。こうなったリーダーに話し掛けるのはとても勇気がいることだけど、とにかく今は誤解を解かないと。
「あのさ。そのニサカさんにいじめられたって、なんの話?」
「別に奴を庇う必要はないぞ。理由はどうあれ私が許せないからな」
「ち、違うよ! 本当になんのことだか分からなくて。その話誰から聞いたの?」
「スイレンだ」
「す、スイレン君?」
 これまた思わぬ人物の名前に俺は目を丸くした。
「ナノがニサカに言いくるめていじめられていて、ナノは泣いて飛び出していった。自分もすぐに追い掛けたかったけどなんか色々あって無理だったので、リーダーお願いしてもいーですか。そう言っていたぞ」
 なんということだ。スイレン君の言っていること、一つも真実にかすっていないだと。
 た、確かに俺はニサカさんと話していて、スイレン君が来る寸前の会話は、俺にとってとても息苦しいものではあったけど、あれは言いくるめられていると言うのかな。たとえそうであっても俺は泣いて家を出ていないし、そもそも家を出たのはスイレン君からリーダーのおつかいのことを教えてもらったからだし、しかも考えてみれば、色々あって無理だった、って理由が雑すぎないか。リーダーの様子からしておつかいなんて頼んでいなかったようだし、つまりスイレン君は俺やリーダーに嘘を吐いたことになる。あの時スイレン君はなにか手に持っていたようなって思ったけど、完全に俺の気のせいだったようだ。思い返してみればそういえばなにも持っていなかった気がする。凄いなヒトって。そうだった気がするだけでこんなにも記憶は変わる。
 でも、じゃあどうしよう。違うよ。自分はスイレン君からこう言われてって、本当のことを話すか。そうするとスイレン君が俺達に嘘を吐いたって言いふらすことになる。スイレン君が嘘を吐いたことは事実だけど、スイレン君が無意味な嘘を吐くことなんてないと思うから。だからここはなんとかスイレン君の話に合わせたい。合わせたいけど、そうするとニサカさんが俺をいじめたってことになる訳で。そんな貶めるようなことを肯定出来はずがない。どうすればいいんだ。この状況…!
「まぁ私も少し取り乱しすぎたかもしれん。ナノならちゃんと帰ってくると信じていたが、どうもメンバーになにかあったと聞くとじっとしていられなくてな」
 ふっとリーダーは笑った。まだここにいるのか、という問いに、俺は反射的に首を横に振った。リーダーは、そうか、と短く返すと、踵を返した。俺は慌ててリーダーの後を追った。
「ね、ねぇリーダー!」
「なんだ」
「俺が帰って来ないかもって考えないの? もしかしたらリーダーが思ってるよりも悪いインクリングかもしれないんだよ?」
「ナノがか? あり得んだろうそれは」
「なんで」
「そうじゃないと私が知っているからだ」
 振り返らず、さも当たり前だとでもいうようにリーダーは答えた。

 世界から音がなくなるような、そんな感覚に陥った。

 知っている。俺だって、知っている。
 いや、知っているつもりだった。知っていることが俺の中で当たり前で、当然で。これまでも。これからも。だから知っていないと駄目だと思っていた。そうじゃないと駄目なんだって、思い続けてた。
 全てを知っていることに固執しすぎて、俺はチドリのことを信じていなかったんだ。
 記憶が違ってたらどうしよう。チドリとの思い出も忘れてしまったらどうしようって、ずっとチドリに嫌われないかってことばかり考えてた。どうしよう、どうしようばかりで、きっとチドリは変わってしまった俺を受け入れてくれないと、信じることさえしなかった。友達なのに。幼馴染みで友達で、家族なのに。記憶が変わってしまっても、それだけは変わらないことなのに。それに記憶に関してはチドリだって同じはずだ。だったら俺が、チドリのことを一番信じてないといけないはずじゃないか!
「…ナノ?」
 俺の世界にリーダーの声が入り込んでくる。
 はっとなって俺は顔を上げた。いつの間にか俺は足を止めていたようだ。少し先で振り返ったリーダーが不思議そうにこちらを見ている。
「あの、ごめんリーダー。やっぱり先に帰っててもらっていいかな。すぐに帰るから」
「そうか、分かった。気を付けて帰ってこいよ。怪我の一つでもしてみろ。リーダー権限でお前を罰するぞ」
「う、うん。努力する…」
 リーダーはそう言い残すと街灯が灯す夜道を歩いていった。
 俺はイカ型を端末を取り出して、一つ深呼吸をした。緊張する。落ち着かない。怖い。だけど、もう逃げるのは、やめる。
 意を決して俺はイカ型端末に指を滑らせた。画面に表示された「発信」のボタンに指を押し込める。発信先は、チドリだ。
 3コールくらい鳴った後、コールの音がぷつりと切れた。しばらくして、もしもし、ナノか、と聞き慣れた声が耳に入ってきた。いつものチドリの声だ。なんだか随時と久しぶりに聞いた気がして、緊張していた心がどんどん解れていくような、そんな気持ちになった。
「突然かけてごめん。あの、あのねチドリ」


 全部話そう。
 記憶のことも、俺の気持ちも、全部言おう。
 チドリはなんて思うかな。本当に俺のこと、嫌になるかもしれない。なんで話してくれなかったんだって、怒るかもしれない。
 それでもいい。だとすればそれはチドリのことを信じなかった俺の罰だ。だけどそれでもきっと、俺はチドリの友達をやめてやるつもりなんかない。チドリのこと、これからも信じたいから。
 記憶が違ってもチドリと友達でいたい気持ちは変わらないから。だから。
 だから、君と向き合うことから逃げたりしない。



2019/04/07



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