STORY | ナノ

▽ 十一月の向き合い方


 夢を見た。
 薄暗い街の中、俺はまだ幼さが残るボーイの手を引いて、どこかを目指して歩き続けている。
 そのインクリングはずっと俯いていて顔はよく見えない。俺はそいつのことなんて一つも知らないはずなのに、手を強く握り締めて、絶対離すまいとしている。いや、知らないなんて、あるはずないのだ。俺はこいつのことを知っている。だけどそれが誰なのかなかなか思い出せなくて、酷くもどかしい。
「僕って本当に駄目な子だよね。本当は寂しくて、心の中は空しさでいっぱいのはずなのに、強がることでそれを隠してる。友達に嘘の自分を見せて生きているんだ。友達は自分のことを信じてくれているのに、僕はずっと友達に嘘を吐いてるんだよ」
 インクリングは暗い声で呟いた。先程からこの調子だ。ずっと自分の悪いところ、嫌なところをぶつぶつと述べては黙ってしまう。そしてしばらくしたらまた同じようなことを言うのだ。その繰り返し。その度に俺はそんなことねぇんじゃないか、と慰めてみるが聞く耳など持ってはくれなかった。
「友達だけじゃない。もうそれがずっと癖になってて、こべりついてて、剥がれそうにない。自分が嘘を吐いてるってことさえもう気付けないんだ。自分にも嘘を吐いてる。醜いよね、僕。僕なんか、消えちゃえばいいのに」
「もう気付けてるじゃねぇか」
「でもね、こうでもしないときっと友達はみんな僕から離れていっちゃう。きっと僕の下から離れて、僕をひとりぼっちにする。それだけは嫌なんだ。だから嘘を重ねてしまう。嘘を吐かないと僕、死んじゃうかも」
「友達だったらあんたのこと簡単に見捨てたりしねぇんじゃねぇか」
「本当に?」
 今までこちらの受け答えなんて聞こえてないかのように一人言を続けるインクリングだったが、ようやく返事をしてくれた。受け答えをしておきながらまさか返事をくれるとは思っていなかったから少し言葉に詰まってしまう。
「…本当なんて言い切れねぇけど、あんたは友達のことを大切にしてるんだろ」
「してる、のかな。分からないよ。本当に大切にしてるのか、ひとりぼっちになるのが嫌だから大切にしてるのか、僕は分からない」
「もしひとりぼっちになるのが嫌だから大切にしてるんだとしたらあんたはどう思う」
「…友達に申し訳ない気持ちになる」
「ほら。全然、大切にしてないことねぇじゃねぇか」
 インクリングの俺を握る手が強くなった。それから、そんなことない、と小さく聞こえてくる。俺は躓かないよう前を向いて歩くので精一杯で振り向けないが、そのインクリングは今、表情を曇らせているであろうことは想像出来た。
 自分に自信がないインクリングのようだった。信じてあげられなくて、自分自身に疑心暗鬼になっている。そんな彼に、俺はなにを言ってあげられるだろうか。知っているようで知らない。そんな見ず知らず、とも言いがたいインクリングに。
「大切に思ってるからこそ申し訳ないって思うんじゃねぇか。本当に我が身可愛さでものを考えてたらそもそも大切にしてるかさえ考えないだろ。だから、大丈夫だ。あんたは醜くない」
 インクリングはなにも言わなかった。手は強く繋がれたまま。緩みそうにない。
 それからなにも言葉を交わすこともないまま歩き続けた。夜の街は先が見えない。俺達はどこを目指しているのかも分からないまま、先へ先へと足を進める。
 しばらくして、あの、と後ろから小さく聞こえてきた。気恥ずかしいような、控え目な声。俺は普段と変わらない声色で、なんだ、と聞き返した。
「…ありがとう。少し、心がすっきりしたかも」
「そうか。そりゃ良かったな」
「うん。君って優しいんだね」
「そんなことねぇよ」
「本当、自分の為にかける言葉は優しいね」
 その一言で、俺ははじめて振り返った。
 俺は立ち止まった。インクリングは今も俯いていて顔がよく見えない。見えないのに、俺はそいつが誰なのか、今になって思い出してしまって。
 そのインクリングは徐々に紫色のインクで溶けていく。あちこちから紫色のインクを吐き出して、上から崩れていくように。溶けていくインクリングの顔に、二つの黒を見た。
「ねぇぼく怖いよ。苦しいよ悲しいよ。こんなに苦しんでるのになんで助けてくれないの? どうして気付いてくれないの?」

「僕って、君のなに?」



「ブキチのお店、来たー!」
 カンブリアームズ前。両手をばたばたさせながら、エンギは声を張り上げた。あまりにもうるさい声に俺はエンギの頭に手刀打ちをお見舞いしてやった。俺の手刀打ちをまともに食らったエンギは、ぐえ、と情けない声を漏らした。
 しかし不思議なことに、隣にいて耳を塞いでいてもうるさいエンギの声に誰も視線を寄越しはしなかった。それもそうだろう。みんなエンギのうるさい声に構っている暇なんてないのだ。今日は久しぶりの、新ブキの発売日なのだから。
 俺達チームクロメは新しいブキを見るべくカンブリアームズに来ていた。
 ブキチコレクションが出て、ブキのアップデートも終わりを迎えてしばらくが経った。新しくなにかが出る気配もなく、もうブキに関する新しい情報はないのだろうと期待もしていなかった。しかし昨日になって唐突に新しくブキが出るとニュースが入ったのだ。
 もちろんインクリング達は騒ぎに騒ぎまくった。というのはニュースが入った当時ハイカラシティにいたエンギからの話だが。みんな叫び声をあげ、あちこち走り回ったり拍手が起こったりと、とにかくお祭り状態だったというのだ。俺はその時自分の家にいたのだが、外に出ていなくてよかったと思う。そんな中に突っ立っていたら不快度指数が爆発して発狂していたと思う。うるさいのは嫌いだ。
 それで発売日にみんなで集まろうとなったのだが、チームノワールと娯楽施設に遊びに行って以降見掛けていないケイが来てくれるのか、それだけが気掛かりだった。ケイとスイレンにあんなことがあってなんて声を掛ければいいのか分からなかった俺はあれから一度もケイと連絡を取っていなかった。ケイとしても、そっとしておいた方がいいのかもしれないと思ったからだ。だからあれからどうなったのか分からない。今もケイは落ち込んでいるのかもしれない。ならば無理に誘わない方がいいのでは、と何度考えたことか。
 しかしあの場面に遭遇していたのは当事者以外では俺しかおらず、何故ケイが先に帰っていったのか、理由を知らなかったエンギは俺の心配を余所に普段通りにケイを誘ったらしい。結果的にケイは二つ返事で承諾し、今日の集合時間前にはきちんと待ち合わせ場所に来ていたのだが、ケイの表情に影はなかった。むしろどこかすっきりしたような面持ちで、開口一番、あの時勝手に帰ってごめんなさい、と俺達に頭を下げた。エンギとカザカミは全く気にしていなかったようだが。その後、カンブリアームズに向かう途中で大丈夫なのかケイに耳打ちしたが、ケイ曰く無事スイレンとは仲直りしたようだ。俺の心配は完全に杞憂だったようである。心配してくれるなんてフッチーはとっても優しいのね、なんて茶化されてしまった。俺はなんだか気恥ずかしくなって、これ以上その話は続けなかった。
 エンギがカンブリアームズの中に入ると、俺達も後に続いた。店内はインクリングで溢れているものの一応不自由なく歩けるのだが、ほとんどのインクリングが棚やブキが飾られているテーブルに張り付いているので、お目当てのブキは遠くから見ることしか出来なかった。
 情報によると、新しいブキはプロモデラーという短射程シューターとダイナモローラーという従来のローラーよりは飛沫の範囲が広いブキが出るらしい。各とも無印、亜種、ブキチコレクションの三つずつ。つまり新しいブキが一気に六つも来るのだ。それだけじゃない。完全新作ブキ以外にも追加されるブキもあって。
「にしてもまさかわかばとかスプチャとかスクイクの亜種ブキがこんな後から出るなんて思わなかったなー」
 遠くを眺めるようにして額に手を当てながらエンギが口を開いた。
「まぁみんな、それが一番驚いただろうね」
「ブキチコレクションを除けば亜種ブキは出尽くしていたものね。その三つが特殊だったんじゃないかしら」
 ケイも少し背伸びをして新しいブキを眺めていた。カザカミは既に見るのを諦めていたが。身長的にこのインクリングの壁はきついだろうな、と思ったが口に出しはしなかった。出したらなにされるか分かったもんじゃない。
 そう。新しいブキ以外にもわかばシューター、スプラチャージャー、スクイックリンの亜種が今更になって追加されたのだ。しかもそれら三つのブキは最近出たばかりのブキではない。むしろ最初期から存在していたブキだ。俺がナワバリバトルに参加しはじめた頃には既にブキチコレクション以外の全てのブキが出揃っていたのでブキが追加された順番など知る由もないが、ケイがそう言っていたので間違いないと思う。
 出し忘れていただけなのだろうか。いやでも、今まで出せ出せと散々インクリング達に言われていただろうに。まぁいくら考えたところでそうなるに至った経緯なんて当の本人じゃないと分からないか。そう思うと頭から重いものがすっと消えたような感覚になって、俺はこれ以上新ブキのついて考えるのはやめた。
「なんかしばらくはブキに近付けそうにないね」
 イカ型端末をいじりながら溜め息を吐くカザカミに、エンギはそうだね、と残念そうに手を下ろした。目の前に広がるインクリングの群れは一向に少なくなる気配がない。これは運が悪ければ数時間待ちになりそうな勢いだ。
「じゃあ少しだけタグマに行ってみない?」
 するとケイが両手を合わせて提案した。
「た、タグマ?」
「そう。最近あまりチームで行ってなかったでしょう? 私も顔を出せていなかったし…練習がしたいの。駄目かしら」
 どぎまぎした様子のエンギに、ケイは少し困った顔をして首を傾けた。
 実を言うと最近チームクロメはあまりチーム活動を行っていない。こうやって集まることはあるがタグマは全く行っていないのだ。というのもタグマをやろう、と予定を決めようとしたところで、エンギの予定がなかなか合わないのである。そんな中であの怖がり屋のカザカミが即席対抗戦に乗り出したのはなんの繋がりもない訳ではないと思う。
 俺達はともかく、俺達でないとまともにバトルも出来ないケイにとってタグマに行けていないという事実はかなり痛いものだろう。本人曰く毎日ためしうちで練習はしているらしいが、相手は止まっている的だ。実際のバトルとは訳が違う。勝負勘だって鈍る可能性があるだろうし。
「僕は構わないけど」
「俺も。特に予定はねぇしな」
「わ…わたしも、大丈夫だと思う! うん!」
「何故客観的」
「ありがとう。じゃあ決まりね」
 ケイは嬉しそうに微笑んだ。反面、エンギはぎこちない笑みを浮かべている。いつも人の提案には進んで乗る、嫌なことならはっきりと嫌がるエンギがこうも歯切れが悪いなんて、一体どうしたというのだろうか。
 かと思えば、じゃあ行こう、と先程とうって変わって満面の笑みでエンギはケイの腕を引いていった。フチドリ遅いよ、なんて急かしてまでくる。俺の、勘違いだったのだろうか。とにかく、俺達はカンブリアームズを後にした。


 ロビー内のバトル待機室。
 各準備を終えた俺達はこの部屋に集まり、タグマの対戦相手を待っていた。今のタグマはホコのネギトロとタチウオ。どちらも長射程がものをいうステージである。
 これは俺が戦犯行動を起こしてカザカミに説教されるまでがセットだなと思うと気が滅入るが、それ以上に今ひやひやした気持ちにさせられているのはそれだけじゃないと思う。
「…」
「…」
「…あのさぁ」
 カザカミの呆れのような怒りのような小さな溜め息に、表面上は笑顔を装っているものの決してこちらを見ようとはしないエンギの肩が揺れた。
「まぁまぁ落ち着いて。今日は久しぶりのタグマだし、そんなに気を張らなくてもいいんじゃないかしら」
「そ、そうだよ! 楽しくやろう、楽しく!」
 緊張の走るカザカミとエンギの間にケイが割って入った。味方を手に入れたエンギはケイの背中にしがみつき、ここぞとばかりにカザカミに抗議を入れる。
 カザカミが頭を抱える理由はエンギが担いでいるそれにあった。肩に掛けて担いでいるもの。それは俺達がはじめてエンギと出会った時に使用していたブキであり、一度それが理由でカザカミと喧嘩するにも至ったあのホクサイである。
「まぁ、そういうの僕が決めることじゃないし。ホクサイだって強いところはあるから。エンギがやりたいようにやれば」
 このままカザカミの小言が始まるのか、と思いきやそうでもなかった。本人はかなり納得していない様子だが、いや、かなりというか自分に言い聞かせるようにしてまでホクサイを認めようとしている。使いたいブキくらい好きに使わせてやれ、とフォローに入ろうと思ったが、これではなんだかカザカミが可哀想に見えてきた。
「あんたも無理はしなくていいんだぞ」
「ホクサイも強いところはある、っていうのは本音だよ。あの頃はただ世間体しか見えてなかったけど今は違う。ちゃんとホクサイの強いところも分かってるつもり」
「カザカミ…」
「対抗戦で持ってこられたら即叩き出すけどね」
 容赦はなかった。嬉しそうに微笑んでいたエンギの表情がぴしりと固まる。
 ケイがくすくすと笑ったところでマッチング完了の合図が鳴った。どうやら対戦相手が見つかったらしい。俺達は立ち上がると試合会場まで転送されるゲートを抜け、その時を待つ。
「久しぶりだわ。少し緊張する」
 一人言のようにぽつりとケイが呟いた。
 どうやらその声が聞こえたのは俺だけのようで、俺はケイとばっちり目が合った。ケイは目を細めて微笑むと前を向いた。
「あんたでも緊張することあるんだな」
「私はあなたといるといつもどきどきして落ち着かないわ」
「そんな冗談言える余裕があるなら大丈夫だな」
「ふふ、ありがとう。そうね。もう、大丈夫だわ」
 そう言ったところで俺達は試合会場へと転送された。
 もう、大丈夫。
 何故だろう。その一言になにかが引っ掛かったような気がした。

『…んん?』
 無線を通してエンギの捻るような声が聞こえる。
 声には出さないが俺も大体同じような気持ちだった。隣にいるケイも、あらあら、と首を傾げている。
 ステージはネギトロ炭鉱。中央を横断するように空に横たわる鉄骨の向こうに相手側のリスポーン地点が見える。黄色が目立つリス地には既にインクリング達が立っており、俺のいるリス地からは姿はよく見えないものの、隣にいるはずの二人の姿が向こう側のいることだけは分かった。
 俺達は四タグに来たはず。隣にはケイと、見知らぬインクリングが二人、紫色が目立つリス地に立っている。そう。四タグに来たはずの俺達は何故か二人ずつ分かれてしまっていたのだ。
『どどどうなってるのこれ!?』
『転送システムのバグだろうね。たまに誰かが報告してるやつ』
『貴重な経験をしてるのね。私達』
 口々に言っている中、無情にも試合開始の合図が鳴った。味方のインクリングは開始早々回線落ち、はせず先へ進んでいくが、さて、馴れ合いと遅れて回線落ち、どちらなのだろうか。
 向こう側についてしまった二人も既に察していて、とりあえず早く終わらせるね、と無線越しに控えめな声が聞こえる。俺やケイも一応道を作りつつ中央に位置するホコの下へ向かうが、右側の段差を降りたところで信じられないものを目の当たりにした。
『…うそ』
 絞り出すような声でケイがぽつりと呟いた。
 それもそのはず。味方のインクリングは馴れ合いをするでも回線落ちをする訳でもなく、ただただ真面目にホコと向き合っているのだ。ケイの体質に影響を受けず。あまりにも衝撃的で俺もケイも思わず足を止めてしまった。味方の内の一人にちらりと目を向けられ試合中であることを思い出した俺は慌ててバケデコを持ち直し、ホコ割りに参加しに行く。
『僕達みたいにケイの影響を受けないインクリングだったとしても二人同時になんて出来すぎてるよ』
『そ、そうは言ったって…うぎゃっ!』
 心臓に響くような音が聞こえたと同時に狼狽えていたエンギが突然悲鳴を上げた。
 突然のことに驚いて対岸側を見ると、エンギがリスポンしていく姿が見えた。その近くでカザカミが咄嗟に物陰に隠れる姿も。味方二人が対岸側についていて身動きが出来ないでいるらしい。見る限り対岸側に敵はカザカミしかいないようだ。ならば、残り二人は?
 ホコを割ると辺りに紫色が散らばった。進むなら今しかない。敵の位置を詮索するのはやめ、俺はホコの下へと進みホコを持った。その時だ。背後からインクをばら蒔くような音が聞こえてくる。振り返ると先程疑問に思っていた敵二人が追い掛けてきていて。どうやら敵二人は俺達と同じ場所に降り、物陰に隠れて様子を見ていたようだ。
 やばい。このままでは追い付かれてしまう。ああこういう時カザカミが味方だったら、突っ走りすぎだとか猪プレイが好きなのだとかぶつぶつ言われるんだろうな、と悟った時、またあの心臓に響くような音が今度は二度鳴り、敵二人は背後から消え去ってしまった。
 もうここまで来たらこの音の正体が誰なのか嫌でも分かった。その音を出している張本人が俺の前に飛び出て道を作り始める。
『フッチー。今ならいけるわ』
 そう言って心臓に響くような音を鳴らした張本人、ケイが左高台への壁に軽くインクを打ち付けた。
 先程の諦め顔はどこへやら。ケイはとても生き生きした表情で、早く、と俺を催促した。
『そう簡単に進ませるとでも…っ!?』
『同じ条件ならば負ける必要はないものね』
 どおん。
 くるりと振り返ったケイは物陰から出てきたカザカミをいとも容易く貫いた。前を向いて、しかも道を作りながら進んでいたと言うのに。いや、俺でさえカザカミの位置には気付いていたんだ。でも道を作りながらいつでも撃てる準備をしておくなんて。ケイと対面練習をする時俺もこういう風に処理されていたのだと思うと正直ぞっとした。
 カザカミもいなくなって中央に敵はいなくなった。それに気付いた味方二人は俺達と同時に左壁から上っていき、急いであちこちを紫色に染めていく。二段目の壁を塗り、さあ進むぞ、という時だった。
『わたしの存在を忘れて…おわわっ!?』
『もちろん忘れてないわ。安心して』
『クイボずるい! クイボずるいよー!』
 死角で潜伏していたエンギが俺にめがけ飛び出てくるものの、ケイの投げたクイボにやられてしまい恨み言をぼやきながらリスポンしていってしまった。あまりにも一瞬の出来事過ぎてただエンギが飛んでいった、という認識しか出来ずにいた。
 敵はほとんどリス地に戻った。あとは俺がホコをゴールまで運ぶだけだ。いつの間にか味方二人はリスキルをはじめていて、ホコまでの道は既に確保してある状態だった。それでいてすぐ傍にいるケイがいつ敵が抜けてきても大丈夫なようにじっとリッターを構えている。勝ちの構図。俺は状況を考えるのをやめ、とにかく示された道を突き進んだ。ゴールは、目の前。
『ゴールされちゃう! カザカミ、今からわたしと…って』
『えっなに今の無理…。無理だよあんなリッター僕は死ぬ』
『心折れてるー!?』
 耳元で聞こえるエンギやカザカミの声を背に、俺はホコをゴールにタッチダウン。けたたましい合図と共に、試合は終了した。



 最初の試合を終えた後、ケイとエンギは早速二人でタグマに行ってしまった。俺は心が折れてまともに動けそうにないカザカミの付き添いだ。ケイとエンギがタグマに消えた後、俺はカザカミを引きずるようにして観戦ルームへと向かった。時折、怖い、あんなの無理、とどこかでぼそぼそと聞こえてきたのは知らないふりをしておく。
 観戦ルームの隅の長椅子を確保した俺は、カザカミに肩を貸してやりそのまま二人のタグマを観戦していたが、終始おかしなところは一つもなかった。味方はきちんと動いているし、ケイがホコを持ってもなにが起こることもなく正常に持ち運べている。誰も彼もがケイの不幸体質に影響を受けていないのだ。こんなこと、あるのか。あんなにもケイを悩ませていた体質が、今このタイミングで解消されるなんて。
 次の試合に移った時、モニター越しに二人の姿はなかった。どうやらタグマはおしまいらしい。もうすぐすれば二人ともこちらに現れるだろう。そんな時、肩辺りでなにかがもぞもぞと動いた。カザカミだ。カザカミはぼーっとした様子で顔を上げると、不思議そうに辺りを見渡した。
「…観戦ルーム?」
「やっと起きたか」
「…ああそうか。僕」
 小さく頭を振ると、カザカミは俯いた。
 頭の回転が早いカザカミだ。なにがあったのかすぐに思い出したらしい。
「僕回線落ちしちゃったんだね」
 違った。こいつ、頭が現実逃避を起こしてやがる。
「あの後どうなったの。確かケイの影響を受けてないインクリングが二人もいたんだよね」
「あ、ああ。そんでケイとエンギが二タグに行った。全試合観戦したけど誰もケイの影響を受けてなかったぜ」
 体質の影響を受けていなかったことは覚えていて自身がケイに撃ち抜かれたことだけはまるでその部分だけ切り取られてしまったかのようにくっきりと覚えてないカザカミに俺は一瞬反応に遅れてしまった。そんな俺に怪訝そうな顔をするカザカミだったが、俺の発言に眉を潜めた。
「偶然にしたってそんな連続でなんて、あるのかな」
「分かんねぇよ。分かんねぇけど、もしかして」
「体質が、治った?」
 俺でもカザカミのでもない声が背後から聞こえてきた。少し驚いて振り返ると、そこには先程タグマを終えたケイとエンギが立っていた。見知らぬ味方が動いてくれていたことが余程嬉しかったのだろうか。ケイはいつも以上に笑顔だった。
「治るって、そんなことあるの」
「そうだよね。すっごい特殊な体質だったし。それに体質ってこんな突然治るものなのかな…」
「分からない。けどこの前ナノとエリュにね、言われたことがあるの」
 ──不幸体質なんてなんか、想像つかないな。気の持ちようじゃないの?
 ──言霊、という言葉が存在するくらいなんだ。あまり不幸体質だからと気構えない方がいい。
「…なんとも身も蓋もない話」
 カザカミはぽつりと呟いた。
「ケイ、なにか悩んでたことでもあったの? ご、ごめんね! わたし全然気付けなくて」
「いいのよ。私だって気付いていなかったんだもの。エンギは優しい子ね」
 悲しそうに顔を歪めるエンギに、ケイは微笑んでエンギの頭を撫でた。撫でた、というかニット帽を配慮したのか、ぽんぽん、といった感じ。撫でられたエンギは嬉しそうにしていて、まるでどちらが慰めているのか分からない。フチドリもこれくらい優しくしてくれればいいのに、と聞こえた気がするが聞かなかったことにしよう。
「じゃあ今日はケイの不幸体質克服おめでとう会しなくちゃね! フチドリの奢りで」
「なんでだよ」
「フチドリもたまにはいいとこあるじゃん」
「わたし行ってみたいパンケーキ屋さんあるんだよね。楽しみだなぁ」
「てめぇが行きたいだけじゃねぇか! おい待て!」
 俺の返事を待たずしてエンギとカザカミは観戦ルームから出ていってしまった。取り残されて一人溜め息を吐く俺にケイはくすくすと笑う。なんだかいたたまれなくなった俺は頭を掻いた。
「ふふ、楽しみにしてるわね」
「なんだよ。決定事項なのかよ」
「冗談よ。逆に今までのありがとうを込めて私が出すわね」
「今までのありがとうって、別に」
「だって今まで迷惑を掛けてきたから」
 ケイは微笑みながら目を伏せた。
 俺ははっとした。どうやらケイは、自分の体質のことで俺達に引け目を感じていたらしい。そんな風に考えていたなんて、考えたこともなかった。元々クロメはケイの為に作られたチームだし、ケイがバトルに行きたいと思えば俺達も付いていくのは当然のことで、そこに一切の不満も迷いもなかった。当然というか、当たり前というか。決して悪い意味ではなく、条件反射のような。これらをなんと言えばいいのかは俺には分からないが、しかしケイにとってそれが引け目を感じる一因だったのかもしれない。そう思うと今まで気付けなかった自分に少し腹が立って、そんなことねぇよ、と声を掛けるも自分にさえ聞こえているか怪しいくらい声が小さくなってしまった。そんな俺にケイは、ありがとう、優しいのね、と小さく礼をした。
「…よかったな」
「ええ、そうね。よかった」
 ケイは微笑むと観戦ルームの出入口に向かって歩き出した。俺も後を追おうとした時、ふいにケイがこちらに振り返った。

「もう、フッチーにすがる必要はないのね」


「…え?」

 他意のない、純粋なケイの気持ちに、俺は足を止めてしまった。
 動かない俺にケイは不思議そうに首を傾げる。俺ははっとなって、すぐにケイの後を追った。
 特に意味なんてない。今まで俺達に迷惑を掛け続けていたと思い込んでいたケイなりの、俺に負担を掛けなくて済む喜びを伝えたかっただけだ。俺はそんなことなど一度も考えたことはなかったが、ケイがそう思っていたなら、不幸体質も治って、誰かに負担を掛けていると気負うこともなくなって、いいこと尽くめだ。とても、喜ばしいことだ。なのに。
 なのにどうして、心に穴が開いたような、虚無感のような、そんな気持ちになるのだろう。



2018/11/29



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