STORY | ナノ

▽ 十月の向き合い方 水


「…?」

 ずき、と頭のどこかに痛みが走る。
 いけない。いくら底辺相手といえど今は大会中だ。集中しなければ。そう自分に言い聞かせ、ジェッカスの持ち手を強く握る。
 サザエ杯Bブロック。そこで当たったチーム、クロメと現在シオノメ油田で対戦中。相手はS+が一人だけの底辺チームだ。たとえ最初は押されていようと、後から巻き返せるだろう。そう余裕を持てるくらいには動きもなにもなっていないチーム。
 ただ一つだけ気になることがあった。
 敵高台で中央から先を守るリッター使い。
 …ううん。気になるどころじゃない。あれを自分は知っている。あれは、自分がずっと憎み続けてきた、"敵"だ。
 どうして今まで忘れていたんだろう。忘れてた訳じゃない。訳じゃないけど、記憶の中にしまわれていたような。ぼやけて上手く言い表せないなにかに陥っていた。
 大会前になると個人練習で忙しくなるし、今の今まで記憶から抜けていたのはそのせいかも。
 この試合、負けていられない。
 勝つだけじゃない。このジェッカスで、あの底辺チームに、あのリッター使いに、圧倒的な差を見せ付けてやる。
 そう心に決めると、キッとリッター使いを睨んだ。リッター使いは今もなお敵高台に居座り続け、誰も中央を抜けさせまいと見張り続けている。のくせ、ナノを北へ通していたけど。マップを見る限り他にも誰かがいるようだ。とにかくそっちはナノに任せても大丈夫だろう。
 中央手前ではリーダーとシャプマ使いが交戦中。シャプマ使いの奥でホッカス使いが裏取りを見ているようだ。
 そんな守りで自分達を凌げるとでも?
 絶対に勝つ。大会とか関係ない勝ってあいつを、リッター使いを潰してやる。許せない。許せない許せない許せない。自分を捨てたこと、あいつに報わせてやる。
 そう、思っていたはずなのに。

 「憎い」と恨み続けた感情が、「ずるい」に変わったのは、いつだったか。



「おせーですよ」
 夜のショッツル鉱山。今の時間帯はナワバリでもガチマでもショッツルの出番はなく、いつも忙しなく動いているコンベアも今は一休み中だ。そのコンベアの手前にある普段のバトルでは高台として機能している場所にスイレンさんは腰掛けていた。呆れた、とでも言いたげにじっとこちらを見てくる。今日は満月が出ていて暗くてもその表情はよく見えた。
「ごめんなさい。待ったわよね」
「…別に、どーでもいーですけど」
 スイレンさんはばつが悪そうにぷいとそっぽを向いた。私もどう接すればいいか分からなくて、隣いいかしら、と畏まって尋ねた。スイレンさんは、どーぞ、と隣に少しずれてくれた。
 ──あのね、エリュ。一つお願いがあるの。
 あの時エリュに言ったお願いとは、スイレンさんを呼び出してほしい、というものだった。
 スイレンと喧嘩していたのか、とエリュはひどく驚いていたけど、二つ返事で引き受けてくれた。というのが今日のお昼の話。日程はいつでもいいから、と伝えたのだが、なんとスイレンさん側から今日という指定があり、人気がなく、バトル会場にも忍び込みやすいこの時間に集まることになった。バトル会場の私物化は禁止されているけど、忍び込みやすいのはどうなんだろう。今まで何度か忍び込んできたことはあったけど、そう思わずにはいられない。
 で、私はというとエリュが去っていった後、なにを話せばいいのかずっと悩んで、考えて、そうこうしている内にエリュから日程のメールが届き、それからもまた頭を悩ませている内に時間になってしまったのだ。しかもずっと寝巻き姿だったから急いで身支度もして。スイレンさんにあんなに酷いことをしておいて堂々と遅刻したのだ。申し訳ない気持ちでいっぱいである。
 とりあえず、なにから話そうか。私の頭の中は今もずっとぐちゃぐちゃしたままだ。
「あの」
「別に謝んなくていーですから」
 ね、と話を切り出そうとしたが、スイレンさんに遮られてしまった。それどころかこの場に呼んだ一番の目的を拒否されてしまい、私は驚いてスイレンさんの方を見た。スイレンさんは俯きがちに前を向いたまま、こちらを見ることはない。
「リーダーがあんたさんからの頼みを聞いている時点でなんとなく察しは付きました。あんたさんはあんたさんなりに反省しているよーですしそれでいいじゃねーですか。あんたさんが自分に謝ったところでなにかが変わるわけじゃねーんです」
「それは…」
「…自分をあんたさんの自己満足に使わねーでもらえますか」
 スイレンさんは横目でぎろりと私を睨んだ。向けられる憎悪に私は息を呑んだ。
 分かっていた。覚悟していたつもりだった。
 だけどやっぱり、真っ正面から憎悪を向けられるとなにも言えなくなってしまう。
 駄目だ。いつまで逃げてるつもりなの。辛いのは私じゃない。この子なんだ。いつまでも被害者ぶってなんていられないじゃない。
「私は、一体あなたになにをしたの?」
「…」
「…ごめんなさい。私、昔のこと全然覚えてないの。ただの言い訳よね。これを聞いても更にあなたを傷付けるだけだってことは分かってる。でも、教えてほしい。私はなにをしたの…?」
 街の秘密は、口外しない。
 きっとみんな混乱してしまうと思うからと、カザカミが決めた約束事だった。
 今この場所で隠し事をするのは心苦しいけど、仕方ない。知ってしまえばスイレンさんはもっと傷付くと思うから。
 ああ、カザカミってこういう気持ちでいたのかなと、心の隅で思った。
「あんたさんはそれを知ってどうするんです」
 スイレンさんは俯いた。
「なんで忘れたのか皆目見当がつかねーですけど、それほどあんたさんにとって嫌な記憶だったんでしょう。だったら知らないままの方がいいじゃねーですか。そっちの方があんたさんは幸せでいられる。…こんな気持ちを抱えるのは、自分だけでいい」
 そう言うとスイレンさんはひょいと飛び降りて、どこやらかへ歩いていった。私も高台から飛び降りると、慌ててスイレンさんを追い掛ける。
「あなたはそれでいいの!?」
 背を向けるスイレンさんに、私は声を荒げた。
「ずっと、ずっとそんな辛い気持ちを一人で抱えて生きていくのよ!? そんなの、悲しいに決まってるのに! 私は嫌。私はあなたに、そんな気持ちでいてほしくないって思ってる! だからお願い。私になにがあったか教えて。あなたの苦しみを、私にも分けて」
 必死だった。自分でも言ってることがめちゃくちゃだと思った。
 都合の良すぎる話だ。スイレンさんをそうさせたのは紛れもなく自分で、そんな自分がスイレンさんに気持ちのあれこれを説いて、今更スイレンさんの力になろうとしてる。
 自分で話しておいて、なんて酷い女だろうと心の底から思った。
「な、にを、今更──!」
 眉間に皺を寄せてスイレンさんにが振り返った、その時だった。

 きらり、と目の端でなにかが走った。
 きっとスイレンさんも気付いたのだろう。その先の言葉を発することはなかった。
 次の瞬間、なにかに照らされるように辺りがぴかぴかと光りだした。
 はっとなって私は空を見上げた。
 そこにはたくさんの流れ星が絶え間なく降り続けていた。
「綺麗…」
 私は思わず呟いた。
 街では空を見上げても星は見えない。星が見えないのは、夜でも街が明るいからとかなんとか、どこかで聞いた気がする。
 でもバトルで使用されることもなければ灯りもないこの場所では、月も星もとても輝いて見える。
 こんなに綺麗なものが存在するのだと、流れる星々を見て感動せずにはいられなかった。
「…こんなの見たら、憎めないじゃないですか」
 ぽつりとスイレンが呟いた。
 流れ星に夢中になっていた私は上手く聞き取れなくて、え、とスイレンさんの方を見る。スイレンさんは先程の私と同じように空を見上げていた。
「昔、姉に誘われて、夜中に山の方まで行って一緒に星を見に行ったことがあるんです」
 するとスイレンはふと語り始めた。どこか懐かしむような、そんな表情だった。
「着いた場所は星がよく見えて、辺りには花もたくさん咲いていて、とても良い場所でした。それで今日みたいにいっぱい星が流れてて、とても綺麗だったのを覚えてます」
「そう、なの」
「姉は隠してたよーですけど、あの時自分を道連れに自殺しよーとしてたんだと思います」
「…え?」
 綺麗な思い出話からの衝撃的な言葉に、私は酷く動揺した。まぁ結局しなかったんですけどね、とスイレンさんは気にする風でもなく空を見上げている。
 私はなにも言えなかった。そんなこと、なにも覚えてない。私の知らない昔話。昔から私はスイレンさんを傷付けて生きてきたのだと思うと、なにもかもが嫌になった。言いも知れぬ申し訳のなさと気持ち悪さで、胸をかきむしりたくなる。
 なにも言えないでいる私に、スイレンさんは私の方を見た。今私は、どんな表情でスイレンさんと向き合っているのだろうか。スイレンさんが悲しそうな目を私に向けている。
「…分かってるんです。姉はなにも悪くない。姉はずっと一人で頑張ってきました。弱音も吐かず、辛いことも必死に耐えて。自分はそれに甘えて、ずっと姉の重荷でいた。姉がいなくなって、捨てられたってずっと恨んでましたけど、仕方ないことだった。悪いのは自分だったんです」
「そんな、そんなこと。だって私はあなたのことを忘れて、あんなに酷いこともして」
「…そんなこと、もう気にしてねーですよ」
 スイレンさんは微かに涙を浮かべ、静かに首を振った。
「本当はもう恨んでなんかねーです。最初は自分のことを捨てたって思ってたけど、でもあんたさんがチームで楽しそうにしているのを見て、妬んでたんです。本当なら自分がいた場所かもしれないのにって。姉に甘えて良いのは、自分なのにって。それを誤魔化す為に、あなたを恨み続けることで知らないふりをしてた」

 …だから。

「だから…ごめんなさい。本当に。ごめんなさい…」
 絞り出すような声で、スイレンさんは深々と頭を下げた。
 …違う。違う。そうじゃない。私は、スイレンさんに悲しい顔をしてほしかった訳じゃない。
 私はただ、スイレンさんの苦しみを分けてほしいだけだった。自己満足かもしれない。それでも私が今までの罪滅ぼしがしたかった。
 私達は、このままでいいの?
 私はスイレンさんに謝らないといけない。お互い謝って、それで? その先って、あるのだろうか。私達はお互いに後ろめたさを抱え、お互い目をそらして生きていくのだろうか。
 それで、それでいいの?
 私達が向き合わないといけないことは、なに?

「…私も。私も、ごめんなさい」
 私も向き合う形で、スイレンさんに頭を下げた。
「そんな、あんたさんが謝ることじゃ」
 スイレンさんの慌てたような声が聞こえる。
 私は頭を上げて、スイレンさんの下へ駆け寄って、スイレンさんを抱き締めた。
「なっ…」
「そうね。お互い、謝りたいことだらけね」
 私は泣きそうになるのを堪えて、ぎゅうっと抱き締める力を強めた。
 スイレンさんが焦っているのがよく分かる。男の子だものね。こんな年齢になって子ども扱いされたら、困るか。
 それでも私は構わず抱き締めた。きっとこれが、"姉だった私"が彼にしてあげられること。
「ここからやり直しましょう。私達、このまま見ないふりをして生きるのは、もうやめましょう。私はあなたと向き合いたい。だって、家族だもの」
 私はスイレンさんから離れると、真っ直ぐにスイレンさんを見た。スイレンさんは目を見開いていたけど、すぐに暗い表情で目を伏せた。
「…都合の良い話」
「駄目かしら」
「よく…分からねーです」
 スイレンさんは首を横に振ると、再び空を見上げた。
「でも」
「…でも?」
「この空の思い出を思い出すと、自分もあんたさんと向き合いたいと、そう願う自分がいます」
 優しく微笑むスイレンさんに、私は心が暖かくなるような、けれどどこか後ろめたさを感じるような、そんな気持ちになって、つられて小さく微笑んだ。
 スイレンに倣って私も空を見る。流れ星は今も変わらず降り続いていた。


 私の本名はフルドケイ。
 そしてスイレンさんは、私の弟。
 なに一つ記憶にないものだった。それらを知らされた後だって、なにも思い出せない。
 けれど、彼を見ていると心が落ち着かなくなるのは事実で、それが怖くてずっと逃げてた。
 だけどそれももう終わり。
 スイレンさんをずっと傷付けてきた私が想う権利はないけれど、それでも今は、彼の幸せを願わずにはいられない。
 どうか、彼の進む先が明るいものでありますように。
 たとえそれが、閉ざされた未来だったとしても。



2018/10/01



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