STORY | ナノ

▽ 九月と黒 旧


私の名前はケイ。
チームクロメのメンバー。リッター使い。当然後衛。
誰かとお話しするのは好き。自分自身も他人も構わず悪い方向へと向かわせてしまう体質だけれど、家事は好き。得意。でも一番好きなのは、フッチーと一緒にいること。
なかなか味方に会えなくて負け続きながらもランクが上がり、そこで強そうな見た目に惹かれてずっとリッターを持ち続けている。最初はそんなちっぽけな動機だったけれど、今は大切なパートナー。もう離してなんてあげない。
目の色は黒。カラーは緑。
身長はみんなとそう変わらない。十八歳。フッチーより三歳年上ね。
家族のことは、覚えてない。
けど、いたんだということは分かる。
本名はフルドケイ。
縁起もかっこも悪いけれど、今はもうその名で呼ぶインクリングなんていないけれど、間違いなく母が付けてくれた名前。



「ほんっとに、ごめんなさい!」
開口一番、それだった。
ハイカラシティ。階段を上った先。いつもならずっとそこに座って談笑をしているシオカラーズは今はお留守みたい。だからなのかこの場所に私達以外は上がってきていないようだった。
じっとガラス越しを見続けるカザカミを余所に、恐らく一週間近く姿を見せてなかっただろうエンギが深々と頭を下げていた。
「いいのよ。それより元気で良かったわ」
一向に顔を上げないエンギの頭を撫でながらそう声を掛けた。するとエンギはようやく顔を上げ、お礼を言いながら私に抱き付いた。よしよし、と撫で続けると、傍で溜め息が聞こえた。
「全くだ。いつ来んのかと思ったぜ」
溜め息の主、フチドリことフッチーは呆れた表情で言う。あくまで自分は全く心配してませんでした、を貫こうとするフッチーに思わず笑ってしまう。
「よく言うよ。一番心配してたくせに」
ずっとガラス越しを見続けていたカザカミが私の心の中を代弁してくれた。驚くエンギに慌てて否定するフッチー。いつものチームクロメが戻ってきた。改めて実感して、安心する。
そういえばエンギに届けるはずだったマカロンは結局渡さず終いだったのよね。マカロンってそんなに賞味期限に厳しいお菓子じゃなかったと思うけど、私がずっと保管してた物なんて、自分で言うのもなんだけど自信がない。付き合ってもらったフッチーとカザカミには申し訳ないけど、あれは処分してまたみんなで遊びに行った時になにかしてあげましょう。フッチーがエンギのニット帽をくしゃくしゃにしてしまうのを横目で見ながら、こっそりそんなことを考えた。
「でもわたし、もう大丈夫だから! 遅れた分取り戻せるよう頑張るから。今日もタグマ行くんでしょ? わたしいっぱい頑張っちゃうよー!」
くしゃくしゃにされたニット帽を直しつつ笑顔で言う。その時とても言いにくそうにフッチーがそうだな、と返事をした。仕方ないわよね。このままいくとフッチーは無理してタグマに行くだろう。その前に言っておかなくちゃ。そう思って口を開くけど、それよりも先にカザカミが声を出した。
「フチドリがちょっと暴力沙汰に合っちゃったみたいでね。少し安静にしないといけないんだよ。だからしばらくは自主練」
「えっ。そうなの? ふ、フチドリどうしたの?」
それを聞いてエンギの表情は非常に心配そうなものに変わる。フチドリはなんで言うんだよ、と小さく毒づいて、めんどくさそうにエンギを見た。
「ちょっと転んだだけだって。本当は大丈夫だけどケイが休めってうるせぇんだよ」
「転んだだけで痣だらけってどう派手にやったらそうなるのさ。ただでさえ猪の君がそんな状態でバトルに出てもデス数が増えるだけでしょ。ケイの判断が正解」
いつも通りの平淡な声でカザカミが言う。それにフッチーは言い返せなくてもごもごしてるだけだった。
そう。エンギに贈り物をする為に出掛けたあの日、フッチーは突然何処かへ行ってしまったと思ったら傷だらけで帰ってきた。驚くほどに、痣だらけ。パッと見分からなかったけれど、裾から覗く腕が青白く変色していたのだ。フッチーが突然ビョーインなんて聞くから不審に感じていたけど、あそこで気付けてよかった。もし私が気付かなければフッチーは傷を隠して、いつも通り私達の前に出てきていただろう。肌の白さを誤魔化す為、だなんて微笑ましい理由で露出控えめにしていたギアがこんなところで恨めしいものになるだなんて、思いもしなかった。
しかもフッチーは痣の原因を転んだ、としか言わない。でもそんなの真に受けられる程私は単純じゃなかった。フッチーの性格だ。転んだなんて、恥ずかしがって自己申告しないだろう。なのにそれをするのは、きっと私達を心配させたくないなにかがあったから。
もしかしたら、だけれど。
もしかしたら、スイレンさんかもしれない。私は会っていないけど、あの日、あのデパートでスイレンさんと会ったらしい。そこで一悶着あったそうな。ただの勘でしかないけど、あの時突然何処かへ行ってしまった先がスイレンさんの下だとしたら。
この傷を付けたのがスイレンさんだとしたら。
私は絶対許せはしない。だけど何故だろう。エンギにあんなに酷いことを言ったスイレンさんだけど、誰かを物理的に傷付けることをするようなインクリングだとは思えない。
スイレンさん。
よく分からないけど、何故かしら。分からない。だけど、あの時、サザエ杯ではじめてスイレンさんを見たとから、心のざわつきが止まらない。スイレンさんのことを考えると、底知れない不安感が襲いかかってくる。…不思議ね。そういう意味では、フッチーと同じで、まるで正反対。
「…イ、……ケイ!」
そこではっとする。すっかり考え込んでしまった。目の前には、心配そうにこちらを見るフッチーとエンギがいる。カザカミは…どうかしら。とりあえずこちらを見てる。
「ごめんなさい、考え事してたわ。なに?」
「…。これ以上自主練にしてたらケイに支障が出るんじゃないかって話してたんだ」
少し間を開けてフッチーが教えてくる。心配掛けちゃった。失敗。
確かに、私は体質上この三人と四タグに行かないとガチマに行けない。そもそもエンギが来なくなってからも自主練になってずっとためしうち場に籠る日が続いたのだ。これ以上自主練を続けたら私の腕が鈍ってしまうのではないか、とフッチーは考えているのだろう。
でも一応ナワバリでも練習はしている。負けるけどね。だから動く的には困ってないし、心配する程じゃない。
「別にそこまで酷い怪我じゃねぇんだ。だから少しでも練習するべきなんじゃねぇの」
「駄目よ。フッチーになにかあれば私が嫌だわ」
「でもフチドリの言い分にも一理あるよ。フチドリのカバーは出来てもケイは主戦力なんだからね」
「本当にあんたは素直だな」
「それはどうも」
これは、どうしたらいいのかな。エンギもどっちが正しいかなんて決めかねてるみたい。この場合リーダーが決めるべきなんだろうけど、こう意見が別れてしまっては決められない。
私としては完治するまでフッチーにはゆっくりしてもらいたい。私、下手に腕を落とさないと約束するわ。私なんてどうでもいいから、フッチーに、自分を大切にしてほしい。
「これは呼ばれてる予感!」
その時だった。階段の方から聞き覚えのある低い声が聞こえる。その声のする方へ目を向けると、そこにはチームノワールの、ニサカが立っていた。
するとどこか不穏感が漂ってきた。どこからかというと、カザカミから。フッチーと目を合わせるなり、ニサカを睨むようにして見ている。
なんだか最近この二人は私とエンギになにか隠してるように思う。きっとそれは私達に危 害が加えられないように、と隠しているんだろうけど、もう少し頼ってほしい気もする。
でもフッチーからはあまり殺気立ったものは感じなかった。ちょっと前まではカザカミと同じくらい睨んでたのに。なにかあったのかしら。
しかしそんな二人を余所に、エンギは笑顔でニサカに近付いていった。
「ニサカ! どうしたの? こんなところで」
「いやーなんか呼ばれた気がしてさぁ。ところできちんとチームに戻れたみたいで、よかったな」
「うん! 本当、ニサカには感謝しきれないよ。本当にありがと!」
二人で談笑している。どうやら私達の知らないところでなにかあったみたいだ。やけに仲がいいね、とカザカミが棘を隠さず尋ねると、この前励ましてもらったのー! とエンギが返した。なるほど。
「んで、別に呼んでねぇけどなんの用なんだ」
一向に話が進まないのでフッチーが話題を切り出した。
「人聞き、いやイカ聞きが悪いぜ。タグマの人数に困ってるんだろ? じゃあこのちょうどよーく暇をもて余してるニサカさんの出番ってわけだ」
「そんな出番ないから帰って」
「ノンノンカザカミ。そんなんじゃモテないぜ?」
おちゃらけるニサカを見て大きく溜め息を吐くカザカミ。もう返事をすることさえ馬鹿馬鹿しい、とでも言いたげだ。
「誤解してるみてぇだが別に困ってねぇぞ。俺は行ける」
「じゃあ逆にニサカが困ってるからタグマに入れてくれよ。暇すぎて死にそうだ!」
そう大袈裟に動き回るニサカ。さすがのフッチーもニサカを見る目が鬱陶しいものに変わってきた。
でも、ここで一つ問題が生じる。そう、私の体質だ。このまま一緒にタグマに行ってもニサカは回線落ちして終わるだけだろう。
だからといってニサカのお願いごとを無下にすればフッチーが無理にでもタグマに行こうとするだろう。私の体質さえなければ、ぜひニサカにお願いしたいところだったけれど…。
この体質のことは隠しているわけではないけど信じてもらえない可能性を考えるとわざわざ説明するのが嫌になる。私って案外短気なのね。さて、どうしたものかしら。そう考えていた時だった。
「ニサカにお願いしようよ。暇みたいだし」
エンギが口を開いた。さっすがエンギ! とニサカが指を鳴らす。
無謀な提案にもちろんフッチーとカザカミは抗議する。なにを考えている、と。でもその表情を見るに、考えていたことは私と同じだったみたい。ニサカには迷惑を掛けてしまうかもだけど、だけどフッチーに無理をさせたくない、と言いたげな顔。
最終的な決定権は私に委ねられる。私とエンギの気持ちは同じだ。それにニサカは強いようだし少し回線落ちでウデマエが落ちてもすぐに戻すだろう。もしかしたらニサカは私の体質を受け付けないインクリングだって可能性もある。いや、その可能性に賭けるしかなかった。
「…じゃあ、お願いしてもいいかしら」
「やった! さっすがケイ分かってる〜」
ニサカは満面の笑みをこちらに向けた。対するフッチーは不機嫌顔だ。選んでもらえなかったこともあるけど、もしかしたら私達に気を使わせてしまった後ろめたさもあるのかもしれない。
「まぁまぁ、見てるのもいい勉強になるんじゃない。今日だけでも休んどきなよ」
見かねたカザカミが声を掛ける。あんまり観戦ってしないもんね、とエンギも声を掛けたところでフッチーは折れたようで、じゃあせめて勉強になる試合見せてくれと言った。
決まりね。そう言うとみんな階段を降りていく。これでニサカが"外れ"じゃないといいのだけど。そこまで考えたところで、どう足掻いてもみんなに迷惑を掛けてしまっていることに深い罪悪感を感じた。



結論から言うと、ニサカは回線落ちしなかった。
つまり私の体質に影響されない貴重なインクリングだということになる。
しかもチームの立ち回りを変に変えてしまわないようにと滅多に使うことはないらしいバケツを持って戦っている。違うところと言えばフッチーと同じバケデコじゃなくてソーダを持っているところね。ニサカ的には無印がいいらしいけど、打開出来るスペ、ということでソーダにしたらしい。そういえばチームクロメは打開出来るブキが少ないな、と気付いた。
負けることもあるけど、それでも勝率は高かった。立ち回りはフッチーと変えてないはずに、なんでだろう。エイム、視野、ニサカの方が確かに上ではあるけど、少し、別の理由がある気がする。けど理由はすぐに気付けた。エンギだ。フッチーやカザカミは気付いていないようだけど、普段のエンギの仕事量はかなり多い。塗りをしてキルをして、二人が知らないところで二人の欠点もカバー出来るよう動いているのだ。本当に凄いと思う。私ももっとキルして、カバー出来るようにならなきゃ。…話が逸れてしまったわね。とりあえず、エンギがエンギの分だけの仕事で済むよう、ニサカが全力でキルしに行っているのだ。塗りに関しては完全にエンギを信じて任せていて、時にカザカミに合わせながら動いて。
無鉄砲に突っ込まず距離を取って、たまに見ていてひやひやする程の勝負に出たりして。これが、カンスト。このハイカラシティで頂点に立つ、インクリング。おちゃらけた雰囲気につい忘れてしまいそうになるが、改めてそれを思い知らされた。
観戦ルームに戻り観戦していたフッチーに声を掛けると第一声が「すげぇ」だった。少し笑ってしまった。
「はー楽しかった! ありがとな入れてもらって」
「やっぱニサカ凄いね。バケツも使えちゃうなんて」
「いやいやそれこそエンギと同じ気持ちだよ。みんながいないとニサカは弱いさ。だから仲間を信じて、自分の役割を理解して、ブキの得意不得意も見極める。これが大事なんじゃないかな」
な、とニサカはフッチーに向けてウィンクした。対するフッチーはうっ、と呻いて明後日の方向を見つめている。フッチーとしても自分の悪いところを思い知らされるいい機会だっただろう。そう思うとやはりニサカにお願いして良かったと思った。
そんな中、やはりカザカミはニサカへの不信感を捨ててない様子だった。ほら、今も私達よりも後ろで、その動向を探っている。本当にどうしたのかしら。
「それにしてもケイは凄いな」
カザカミに意識を向けていたせいで話を聞いてなかった私は、突然の呼び声にきょとんとした。
「エイム力凄いじゃん。チャーに求めてるもの全部持ってるって言うか、なんでA帯なのか不思議でしかないよ。あれぜってーカンストレベル。ニサカが言うから間違いない。だってニサカだから!」
胸を張るニサカ。あまりの自信に先程まで「すげぇ」と言っていたフッチーも「うぜぇ」に変わっていた。かなり小声で言っているつもりかもしれないけど、フッチーの声は通るからよく聞こえるわよ。
「本当、上位勢に引けを取らないよ。言って悪いけど、もっと上のチームに入りたくないのか? あれだったらうちチームにチャーいないし大歓迎なんだけど」
先程と同じ人好きのする笑みでニサカは言った。でも私は見てしまった。その瞳の奥の、なにか闇のようなものを。
カザカミの視線が先程より鋭くなるのが分かる。フッチーもなにやら警戒しているようだ。なるほど。ずっとカザカミがニサカにあんな視線を向けていたのは、このことだったのね。
「…そうね」
私は小さく口を開いた。私の返事に、じゃあとニサカは一歩出るが、すぐに私は首を横に振った。

「素敵なお誘いをありがとう。でも、私は勝ちとか強さとか関係なしに、フッチーと一緒にいたいのよ」

「…えらく信頼してるんだね」
私の言葉にその場が静かになったが、それを破ったのはニサカだった。その表情は変わらず笑顔だけど、どこか焦りが見えた気がした。
「そうね。フッチーの隣が私の居場所なのよ。これだけは譲れない」
にこり、と微笑んであげた。
そこで耐えきれなくなったのか、フッチーが叫びにも似た声を上げた。
「そんな恥ずかしいことさらっと言ってんじゃねぇよ! 嫌がらせか!」
「あら、嫌がらせなんかじゃないわ。私の本心よ。安心して。フッチー以外のインクリングにそんなこと思ってないから」
「なお悪いわ! …じゃなくて、そういう問題じゃなくてだな。もうちょい遠慮というものを」
「あーああ、これは入る隙間なんてないや」
フッチーの言葉を遮ってニサカは手を頭の後ろで組んだ。
「本当にフチドリってモテるねぇ。なにか賄賂でも?」
「なんでそうなるんだよ。ケイが変な言い方するだけだろうが」
「そういうところが本当にくそだよね」
「なんで俺は責められてるんだ?」
先程までの不穏な空気はどこへ行ったのか。カザカミも幾分か警戒を解いて楽しそうに話している。きっと私がニサカの誘いを断ったから安心したのだろう。フッチーには災難だけど、でも本気で嫌がってるわけではなさそうだ。その様子に私の顔にも自然に笑みがこぼれてしまう。
ほっとして振り向くと、こちらとは対照的に悔しそうな、悲しそうな表情のエンギがいて。私ははっとなって、なにも言えなくなってしまった。



「で、なにかしら」
「…」
「なんて、聞くのも野暮ってものね」
ハイカラシティの外れ。帰り道の、少し逸れたところ。
今日は解散にしようか、なんてカザカミの合図で、日が沈み始めた帰り道を、いつものように私達チームクロメは歩いていた。だが、途端にエンギが私と話がある、と言い出して途中でフッチーとカザカミと別れたのだ。
そこは、遊具もなにもない、あるといえば街灯と長椅子が一つずつ置いてある。そんなどこか物寂しさを感じさせる場所だった
そこで私達は腰掛けている。エンギはじっと俯いて、イカセーラーホワイトの裾を握り締めている。これは時間がかかりそう、なんて思わず苦笑してしまう。
「あの、さ」
しばらくして、ようやくエンギが口を開いた。
「ケイはフチドリのこと、どう思ってるの?」
真剣な表情でエンギが問いた。予想通り過ぎて笑ってしまう。するとエンギがむっとした顔をするので、私は一言謝った。
でも意外でもある。私達は二人で遊ぶことは少なくないのだが、こういう話は今まで避けてきていたのだ。エンギが極力避けようとしていたのは目で見て分かったし、私もきっと、素直に話せばこの子を傷付けるだろうと思っていたから、なにも言わなかったのだ。しかし誤解を受けている気がしてならなかったので、この際はっきりと言っておくべきか。そう結論付けると私は口を開いた。
「チームメンバーで、大切なフレンドよ。エンギが思っているのとは違うわ」
「で、でもエンギにとってフチドリは本当に大切なフレンドでしょ? 見てて分かるもん。私やカザカミも好きでいてくれてるけど、フチドリはもっと大切にしてるって」
「…そうね。だって、私にとってフッチーは全てだから」
「好き…なの?」
恐る恐る、といった感じで聞かれる。でもすぐには答えられなかった。
「ごめんなさい。私恋愛感情というものが分からないの。ただフレンドとして、大切だと思ってる。だからエンギの思ってることとは違うのよ」
安心させるよう、出来るだけ穏やかな声色を努めて言った。しかしエンギは納得いってないようで、それでもなお私を睨むのをやめない。…涙目で睨まれても、怖くはないのだけど。
「それって本当? 遠慮してない?」
「本当よ。私はフレンドとして大切にしてる。だからフッチーが幸せになってくれれば私も幸せだし、あなたも例外ではないのだから、二人が結ばれてくれると私は嬉しいわ」
「…いいの? わたし遠慮しないよ?」
「どうしてそんなに聞くの? むしろ敵がいなくなってあなたは安心して恋愛が出来るのよ」
少し声を低くして、意地悪な質問をしてしまった。実際エンギはそれを聞いて身を縮ませる。
分からないのだ。恋愛なんて。誰かが恋をしている時、見ていればすぐ分かる。応援したくなるし相談も受けてあげたい。でも私はそういった感情を持ったことがなかった。確かにフッチーは私の大切なフレンド。ずっと一緒にいたいし離してあげないとも思う。でもそれは、きっと家族に対する気持ちと同じだ。…なんて、家族の記憶なんてないけど。
「わたしだって同じだよ。みんな好きで大切。そりゃわたしフチドリのこと好きだし、こ…恋をしたいなって思うけど、ケイがフチドリと結ばれても後悔しないと思う」
「そもそも私とフチドリが好き合ってる前提なのが疑問だわ」
「いやいやいやケイは気付いてないかもだけどフチドリ凄くケイのこと大切にしてるからね!? 外から見れば普通に勘違いするよ!」
エンギが勢いよく首を振る。
困ったわ。なかなか納得してくれない。私はとにかく、その気はないから安心してほしいって言いたいのに。
「わたし、嫌なんだよ。ケイがもし本当の気持ちに気付いてないだけで、抜け駆けみたいになっちゃうかもしれないの。フチドリがわたしの気持ちに応えてくれるなんて保証はないけど、でも、もし恋人同士になったら、フチドリの隣がケイの居場所じゃなくなるんだよ…?」
「…それは困るわ」
「でしょ!? だったら」
「エンギはどうしたいの?」
エンギの言葉を遮った。エンギはえ、と言葉を詰まらせる。
「あなたの気持ちは分かった。優しいのね。でもそれはわたしの気持ちで、わたしが決めることだわ。あなたがそこまで思い悩むことじゃない。…いいえ、違うわね。優しいけれど、そう見せ掛けてわたしからお墨付きをもらいたい、想いが実ると確信を得たい。そう見えるわ」
エンギは黙った。黙って俯いた。無理もない。私は今、とても酷いことを言ったと思うから。
でも、エンギの今の言葉にはブレが多すぎる。なにがしたいのかが分からない。それが今のエンギを表しているなら、その迷いを消してあげたい、と思った。
エンギはなにも話さない。その様子に小さく笑みをこぼして、私はエンギの肩に手を添えた。
「確かにフッチーの隣が居場所でなくなるのは嫌だけど、フレンドじゃなくなるわけじゃないのよ。だからエンギの気持ちを大切にして。…後悔してからじゃ遅いのよ」
エンギは顔を上げた。それでもまだその瞳は不安げに揺れていて。きっと私の、最後の言葉を聞いてなにかを察したのだろう。私も何故だか分からないけど、最後の方は少し声が震えてしまった。これではエンギの背中を押すなんて到底無理ね。私はやっぱりフチドリみたいに誰かを元気にさせるなんてこと、苦手だ。だったら、私らしく伝えるのみ。そう思った。
「じゃあこうしましょう。もし私が恋愛感情というものを自覚した時は容赦しないから、その時になって後から好きになったくせにとか言い訳しないよう、覚悟しなさい」
「宣戦布告!?」
「だって今ない感情のことであれこれ悩んでも仕方ないもの。それにあなたのことだからそんなすぐには進展しなさそうだし」
「うっ、ぐうのなんとかも出ない…」
エンギは項垂れた。しかしすぐに体勢を整えると、照れたように真っ直ぐ私を見て、びしっと指さした。
「…分かった。じゃあケイが私だって好きだったのにって言い訳しないよう、私頑張るね。負けないんだから。ふっふっふまってろー未来のケイ!」
「ええ、その意気よ」
「な、なんかちがーう! …まぁ、いいか。ごめんね? 変にしつこくしちゃって」
顔の前に手を合わせると、エンギは小さく首を傾げる。なんだか可愛くて、小さく笑ってしまった。
「いいのよ。気になっちゃうのは仕方のないことだし、恋バナってはじめてだったから楽しかったわ」
「恋バナにしては凄く不穏すぎるよぉ…。そうだ! この前いい感じのお店見つけたんだ。また今度行こうよ。そこでちゃんと恋バナしてみよ! これが恋バナじゃ寂しすぎるよ」
「そうなの? 楽しみにしてるわ」
約束、と私達はゆびきりをした。お互い、笑顔で。そこにはもう先程のとげとげしい雰囲気は全くなかった。
ゆびきりげんまん、なんて歌がどこかにあるらしいけど、私達インクリングは歌が歌えない。真似事で歌おうとしても、やり方が分からず声が出ないのだ。だからこそ生まれつき歌えるインクリングは珍しく、大切にされ、みんなの気を引く。注目の的になる。現にハイカラシティで活躍してるアーティストが絞られているのを見る限り、生まれ持った才能の産物だと言える。
そろそろ帰ろうか。そうエンギが言うと私は手を離した。それから腕を伸ばして体を楽にする。
エンギが立ち上がるのを見上げて私も立ち上がる。

…ところで、
「ところで、さっきからそこにいるのは誰なのかしら」

え、とエンギがこちらを見るのが分かる。でも私は気配のする方から目を離さなかった。私が目を向けるその先。その物陰から出てきたのは、スイレンさんだった。
「…」
大人しく出てくるけど、俯いたまま、なにも言わない。
エンギは驚いて一歩後ずさった。それもそのはず。エンギはスイレンさんに酷いことを言われてそう時間は経ってないのだ。怖がるのも無理はない。私はエンギを守るように彼女を背にやった。また、あの時の延長戦かもしれない。それだけは避けたかった。
「…あんたさんは」
ぽつりとスイレンさんが呟いた。
静かな声。はっきりとしないけれど、その声は離れた距離でも聞き取ることが出来た。
「あんたさんは、そうやって、だから、自分のことだって…っ!」
暗闇の中で、黒い目が光る。その目は確かに憎しみに満ちて私を見ていた。
どういうこと、と聞くよりも前にスイレンさんは走り去っていく。どうしたんだろう、というエンギの問いに、私は首を傾げることしか出来なかった。



鍵を開けて中に入り、玄関を抜けてリビングの電気を点ける。荷物を自室に置いてくると、キッチンに戻り冷蔵庫にある作り置きのものを出していい加減に皿に盛り付けていく。電子レンジ、は前に壊れてそのままになっている。買ってまた壊れても困るしね。ガスが使えるのが唯一の救いだ。温めた方が美味しいけど、帰ってきて料理をするのが億劫という日もあるし、そのままでも食べられる料理のレシピを中心に作り置いている。
盛り付け完了。それらをトレーに乗せて再度リビングへ。テーブルに置き、いただきますと小さく手を合わせると、料理を口の中に運んだ。冷たいけれど、美味しい。さすが私ね。小さく微笑んだ。
…フチドリはもっと大切にしてる、か。
エンギに言われた言葉を思い出す。
本当、愚問過ぎる質問だった。
私はエンギやカザカミが過去なにをしていたか詳しくは知らない。ただチームの壊し屋と呼ばれていたこと、世界の真実を知って閉じ籠っていたこと。きっと辛かっただろうな、なんて他人事みたいに同情出来る程度のことしか知らないのだ。でも二人ともフッチーのお陰で心を開けるようになったと思う。そんな二人なら分かるでしょう?
私はハイカラシティで生まれて…ううん、ここの生まれじゃないのよね。きっと。私はここに来て、バトルをして、一度も勝てたことがなかった。味方なんて一人もいなかった。誰もかれも回線落ちや放置。味方になったみんなはまさか回線落ちが私のせいだなんて思いもしないから、幸いエンギのように通り名を付けられることはなかった。でも自分一人の状況が続き、故にリザルトも悪い私を良く思うインクリングなんていなかった。リッターを持ったって同じ。これから先もずっとこうなのかと考えると気が狂いそうだった。ほとんど諦めていたのよ。勝つことを。味方に出会えることを。でもその時に出会ったのだ。バレルを持つくせにやたらと前線に行きたがる、フッチーと。心臓が止まるかと思った。はじめての味方に、指が震えてまともに撃てなかったのを覚えてる。バトルが終わっていてもたってもいられなくて、私は彼に声を掛けた。それからは、記憶の通り。
それだけならば、ただのはじめてのフレンドで済むでしょう。でも彼はいつも私のことを考えてくれた。このイカパッチンだって、彼が私のことを思って贈ってくれたもの。大切で、毎日綺麗に磨いている。その時点でもう決まっていたの。彼は私に光をくれる、カミサマに等しい存在なんだって。そんなフッチーを、とても大切にするのは当然のことでしょう?
フッチーがナノと再会して落ち込んでいた時、突然どこかへ行ってしまったと思ったら傷だらけで帰ってきた時。この時私がどんな気持ちでいたか分かるかしら? ただただ怖かった。余裕な態度を装っていたけれど、内心ずっと震えていた。このまま、フッチーがいつかいなくなってしまうのではないかと。私を置いて、どこかに。
フッチーは私がひとりぼっちにならないようにとチームを立ち上げてくれた。エンギ、カザカミといったかけがえのない仲間も出来た。でもフッチーがいなければそんなチーム、作ったって意味がないのよ。
ねぇフッチー。
私にとっての、カミサマ。
もう離してなんてあげない。



2017/09/02



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