■ プロローグ

オードリー・フォーサイスは怒っていた。

古い知り合いを頼り、念願である「自らの力」を使うことのできる職業へ従事するため持ったこともない思い荷物を引きずって生まれ育ったイギリスからアメリカを飛び立つ決心をした彼女が空港で見たのは崩落するニューヨークのニュースだった。





血踊術と呼ばれる蹴りを中心とした武闘術をフォーサイス家は脈々と受け継いでいっている。

オードリーの曽祖父以前の当主たちは、その技を使った裏稼業で家を知る人ぞ知る名家として守り続けてきた。豪傑でかなりの大男だったという曽祖父は、変わりゆく時代を見つめ、晩年も近いというのに貿易商という新たな事業を始めた。人間とのやりとりは異界のものと戦って命をすり減らすような危険はなくとも、金と物を絡めたひりひりするようなそれはその性にあったらしい。一気に会社を急成長させ、ある程度まで軌道に乗ったところで息子、つまりオードリーの祖父へ社長の椅子を譲ったのだ。祖父は祖父で、血踊術の修業は積んだが裏稼業をやっていくには随分気の弱い人だった。しかし、商売に才覚はあったらしい。フォーサイス家を人知れない名家から表でも名の知れたセレブへと変革させていった。貿易業を中心に、家は生計を立てていたが、裏稼業としてのフォーサイス家が途絶えたわけではなかった。子孫はその技を継ぎ、いつ何があってもいいように備える。オードリーもそれは例外ではなく、幼いころからピアノよりダンスより一般教養よりこれを習う時間が好きだったし、将来自分は裏稼業の方で家の名を継いで行こうと思っていた。

だからこそ、父が持ち込んできた見合い話は思いがけないことだった。
父にその意こそ伝えたことはなかったが、社交の場でより路地裏でドレスを翻す娘がそんなことに応じると思ったのだろうか。いや、そんな娘だからこそこういう話を持ち込んだのかもしれない。末娘であるオードリーに父は甘く、オードリー自身も父を嫌いではない。反抗のひとつもしたことのない彼女の初めてだった。父も、そんな娘に来た遅すぎる反抗期に面食い、あくまで冷静に話し合おうということで数時間にわたって会議を行った。
結果、オードリーは家を出た。あくまで穏便に、父が納得するまで話した結果だった。これからオードリーが世話になる予定のラインヘルツへ話を通してくれたのも父であったし、一応応援はしてくれているらしい。まだ未知の世界へ飛び込む不安と期待を胸に飛行機に飛び乗った、ところまではよかった。





「なんなのよこれ」

歩き回る異界の者たちを見て、オードリーはぽつりとつぶやいた。
崩落の映像を空港で見た後、止める家族の声を無視してアメリカへと飛び立ち、そのまま真っ直ぐニューヨークへ向かったオードリーが目にしたのは、再構築されたそこだった。訪れたことは今までなかったが、明らかに今までのこことは違うということだけはわかった。濃い霧と、人類と共に歩き回る異形たち。人が食われたり食われなかったりする様を見つめながらとにかく何か大きなことがここで起こってしまったんだろうということだけ理解できる。引きずっていたスーツケースを傍らに置き、椅子代わりにして座り込んでぼんやりと町を眺めていた。

「家に帰れるかも怪しくなってきたわ…」

無事到着したものの、もしこのままとんぼ返りとなったとき外に出れるかも危うい。ニュースがかろうじて街頭の大きなモニタでも確認できるが、どうやらここに入ろうとする者は謎の蛸脚によって排除されている。映画でしか見たことのない戦闘機が蚊のように叩き落とされる映像が先日からぐるぐる流れている。ちなみにオードリーは真っ直ぐ関門を抜けてきた。
昨晩はホテルに泊まったが、ニューヨークに入ってからの宛は特にない。深い霧で時間の変化はわかりにくいが、そろそろ夜になる。落ち合うべき相手、父が話を通してくれたラインヘルツの者と連絡を取りたいが携帯は呼び出しはするものの繋がる気配は一向にない。すでにここにいるから訪ねてきたがもしかしたら崩落に巻き込まれて…などということもあり得る。ネガティブなイメージが頭を覆ってきたのを吐き出すように大きく溜息をついた。

「ミス?」

頭の上から声が聞こえた。
こんな街でぼんやりするなどまずいことだったな、と慌てて顔をあげる。予想外に、視線は上へ上へと向かう。もし曽祖父が生きていたらこんな感じだったろうかと思うほどに背が高く、たくましい男がいた。

「先ほどからここに座っているようだったが、どこか具合でも…」
「ああ、大丈夫よごめんなさい。ちょっと…」

立ち上がってしっかり男の顔を確認すると、ぼんやりと見覚えがある。

「ミスタ・クラウス…?」
「ミス・フォーサイスか?」

それは、探していたラインヘルツの三男坊その人だった。







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