■ 攻防と

夜更けに首領を訪ねると、いつも通りの不敵な笑みで迎えてくれた。
進行中の作戦の経過報告、ポートマフィア縄張りの現状、本日掃討した組織の詳細、その末路。ほとんどはこちらにだけ益のある結果になっており、それを指示したのは首領だ。分かりきったことに耳を傾ける彼は眠たそうにあくびをひとつ浮かべた。

「―――以上です」
「うん、ああ、ありがとう月子くん」

上の空の様にも思えて、こちらも眠気を押してきているのにということが頭の中をよぎるが、仮にも自分の所属する組織の長にそのようなことを言う度胸はない。これで失礼致します、と頭を下げ、自室に帰って眠ることだけを考えながら踵を返した。


「そういえばね、月子くん」


ああ、嫌な予感。背中を向けた首領からの一声からは、びしばしと嫌な予感が伝わってきた。しかしそれに逆らえるわけではないのでもう一度首領の方へ体を向け、何でしょうか、と精一杯の愛想笑いを浮かべる。
昔はこういうときのこういう笑いが上手く出来なくて、首領からは不機嫌が目に見えると馬鹿にされたものだった。今となってはそんなこともなくなって、なくなったぶんつまらないとよく零される、

「倉庫の近くにある、うちが所有するコンテナがあるだろう。最近そこを悪い子たちが薬の取引に使っているようでね」
「それはどういった連中ですの?」
「いや、なんてことはないよ。ただ、うちに入って名前を手にしたせいで勘違いしてしまった子たちみたいでね。うちの名前で、うちの所有地で、悪いことをしてしまっている、それだけだよ」

下っ端にいる、少しでも組織の名前を汚す行為に手を染めたことのある人間であれば、少し血の気が引く発言になっただろう。そういう、彼らの上長である私たちでさえ目の届かないようなところに、いつの間にか視線を向け、手を伸ばし、からめとろうとしている。
この人は、そういう人間だ。

「…で、私からお灸を据えてやればいいと」
「そこまで甘くしなくていいよ。躾もいらないから放り出していい」

鶴の一声。首領のその言葉は、可哀そうなことに死刑宣告だ。どんな理由で、どんな経緯でここに入りそんなことをしでかしたのかは知らないが、ひたすらに気の毒に思った。







子鼠たちの処理は、あっという間に終わった。
夜でも動けそうな部下に何人か声をかけ、先ほどの件を振り、すぐにコンテナへ突入してその場にいた者たちを片づけた。後始末は専門のものたちへ任せ、その場をあとにする。
直接自分が手にかけたわけではないし、組織に利のないものたちだとしてもやはり殺しは気分が悪い。錆びた鉄の匂いなのか血の匂いなのかもわからない室内と違って、外に出ると風が夜と潮のにおいを運んできた。ひとつ溜息をついて、扉へ背中を預ける。



織田作が死んだあの日から、殺しの仕事がめっきり減った。
武闘派たちの長から降りたことが要因かとも思っていたが、違った。

中也が、私にそれをさせないようにしていたのだ。

私を部下とし、私の上司になった中也の采配はいつも変わることがない。事務的な書類仕事、交渉、情報の収集、部下たちへの指示。幹部たる彼と、彼の部下たちとを繋ぐ太いパイプ役をさせた。もちろん他にもこの役目を担う者たちはいたが、誰よりも頑強に、より中也に近い存在に仕立て上げられたのは私だけだ。

だから今日のこれは、首領のただの「ちょっかい」である。
私に殺しをさせたいのだ、彼は。


「月子様」
「…なぁに」
「現場の処理、終了致しました」
「そう。遅くまで付き合わせてごめんなさい」
「いえ、首領の命ですから。月子様も、この様な細事にご足労を」
「いいのよ。他の幹部付きと違って、私は暇そうに見えるんでしょう」

そのようなことは、と報告にやって来たそのひとは口ごもる。先ほども言ったように、中也は私に殺しをさせない。中也が出てくるべきでないところを自ら出て行き、何もかもをぺしゃんこにしては帰っていく。その姿を見ては部下たちは彼の異能に恐れ戦き、そして同時に尊敬していく。

(なら私は?)

異能持ちであり、元は暗殺を主として生きていたのに今はこうだ。何も事情を知らない連中は囁き合う。

男に縋って楽をしている女が私なのだと。

思わず、溜息が出る。そりゃあ物静かで品があって、花でも活けていれば中也はその人をいい女だだと思うだろうけど、男に頼って生きるような女に彼が現をぬかすとも思わない。私のような女が好きなのだとふんぞり返るような傲慢さを持っているつもりはないが、もし自分がそんな女だったとしたら彼は好きになってはくれなかっただろう。
今日何度目になるかもわからない溜息をまたついて、部下たちに再び指示を出す。彼らはあまり多くを語らないし、言われたことには素直に従うから私に不満があったとしても何を言うこともない。そもそも彼らは私ではなく中也についているのだから、当然かもしれない。

ふと、部下たちが外へ出るために開け放った倉庫の扉の向こうに目をやる。
倉庫の中は月明かりだけが射し、先ほどまでは死体が転がっていたが、今はそれもない。ただの荷物ばかりが積み重なる普通の倉庫だ。薄く眼を細め、何が気になったのかを探すが、怪しいものは見当たらない。月子様?と、後ろから声をかけられる。なんでもない、と言おうと振り向いた瞬間。

鋭い殺気が、全身を襲った。









倉庫に響いた革靴の音を聞いて、ああ怒られるんだろうな、と頭の隅でなんとなく思った。部下たちは怯えるようにさっとその場からいなくなるし、先ほどから人が歩くだけではたちそうもない音も聞こえてくる。コンクリートが割れる音だとか、金属がひしゃげる音だとか。現実逃避代わりに、ナイフを手の中で遊ばせる。出来るだけ目を逸らしておこうと倉庫の奥の方に視線をやっておく。視界の端にうつる死体だけをぼんやり見ながら、次のアクションがやってくるのを待った。

「…報告を」

かつ、と足音が止まった。月明かりを遮るように立っているのか、私に先ほどまであたっていたそれが影に変わる。きちんと向き合わねばと体の向きを変える。しかし、傍らに立っているその人の表情は、逆光で読みとれなかった。

「首領の命で、ここを根城にしていた連中の掃討に。一通り完了したあと、情報になかった異能者と遭遇。あそこに転がっているのが、それ」
「…で?」
「私が、向かってきたそれを殺した」

ごり、と何かが砕けるような音がして、足元を見ると床に歪なひびが入っていた。ああ、怒っている。中也が、怒っている。

「なんで俺に話が来てない」
「首領が自分で伝えると」

素直にそう口にすれば、ち、と軽い舌打ちの音が聞こえた。がしがしと何度か髪の毛をかきまわした後、怪我は、と小さく呟く声がする。自分のことを聞かれたのだと思わず、一瞬反応が遅れた。

「私?」
「お前以外に誰がいンだよ」
「この通り無傷よ」

中也の手が伸びてきて、拭うように頬に親指を這わせた。近づいて首を切ったから、返り血がついていたのだろう。









かつて磨かれた暗殺者としての腕は錆びてはいなかったらしい。

真っ直ぐに飛び込んできたそれは鋭い爪を持っていた。ちょうど、探偵社の虎の子のような様相だったがそうではなかった。恐らく異能の一種であろうその爪で、私の体を引き裂こうと向かってきた。不意打ちは成功したかと思われたが、寸でのところで仕込んでいたナイフでそれを受け止める。力比べになってはさすがに勝てないため、それをすぐに振り払った。
部下たちは慌ててこちらへ銃を向けたが、手をあげてそれを止める。さすがに自分に当たらないという保証もない。

一歩、足を進める。

かつん、とヒールが音を立て、それが地面に伝わるかのように波紋を描いて夜の闇に消えていく。水は、今ここにはない。

「『ポッカリ月が出ましたら、 舟を浮べて出掛けませう。』」

口を開くと、異能者は攻撃がくるのかと身構える。しかし、それは外れだ。目の前から『私』が消えると、異能者は驚いてあたりを見回す。
私の異能力「湖上」はいわば瞬間移動の能力である。回数に制限はなく、目の届く範囲であればあっという間に移動が可能。便利な能力ではあるが、あまりに遠くなると安定しない。

だからこうして、人の背後をとることは容易い。

ざくりと、久しく感じていなかった感触がナイフから伝わる。日ごろから手入れを欠かさないでよかった。首筋に一線、それで決着が着く。ひゅうひゅうと息を漏らしながら、獣のような異能者が地面へ倒れこんだ。
茫然と見つめていた部下たちは何があったのかわからなかったようで、一拍置いてからいつも通りの手早さで死体の片づけを始める。
そして、誰が連絡を入れたのか知らないがそれが終わった頃に中也がやってきて、今に至るというわけだった。









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