ーー油断していた。

貴族を届けている最中、抜け忍から襲撃に遭ったオレはクナイで脇腹を刺された。恐らく里を抜け、食料や金に飢えた抜け忍達は盗賊と化し、こうして貴族達から貴金属を狙っているのだろう。三代目はこの事を見据えてオレに任務を与えたのだ。

甘く考えすぎだったか。

貴族の護衛は、ただ単に目的地まで送り届けるわけにはいかなかった。もっと警戒しておくべきだった。後悔しても時すでに遅し。どくどくと血が流れる脇腹を抑えつつもオレはクナイを握り締めて抜け忍に向けて投げ打った。
クナイや手裏剣、金属同士が鳴り合う音がする度、背中で身を潜めている貴族達が悲鳴を上げる。

残るはあと一人。

投げ打たれたクナイを交わし、握り締めていた自身のクナイを相手に投げ打つとグサリと鈍い音を立てて敵は倒れた。

亡骸を確認してほっと安堵の息を吐く。乱れた呼吸を整えてから、いまだ背中で怯えて震える貴族達に振り返って笑みを向けた。

「さあ、先を急ぎましょう」

変わらず脇腹に受けた傷口は痛むが、気にしてなどいられない。こうしている間にもいつ襲撃されるか分からなかった。全神経を張り巡らせ、貴族達を目的地にまで送り届けた。

無事に届けたあと、礼の言葉を聞く間もなく身を翻し、木の葉まで森を抜ける。傷口には一応包帯を巻いてみたが、気休め程度だろう。脇腹から滲み出る血を確認すれば背中に冷や汗が伝う感覚がした。

「おい!カカシ!どうしたんだその傷は!」

無事に木の葉に着き、オレの傷をみるなり声を掛けてきたのは艶のある真っ黒な髪を持つ熱い男、ガイだった。面倒くさい奴に見つかった。あからさまに嫌な顔をガイに向けたが、そんなことで臆するような男ではない。

「ちょっとね」
「ちょっとどころではないぞ!」

声を荒げて言い放つガイを無視して最後の力を振り絞りながら書いた報告書を提出する。受け取った係もオレの血を見て青ざめている。

「よし、オレが病院へと連れて行こうっ」
「…良いよ、もうほっといて」

肩をがっしり掴むガイの手を振り払い、その場を後にした。遠くで何か叫んでいるガイの声が聞こえるが構ってられるほど余裕はなかった。





、血を流し過ぎた

ふらふらと覚束ない足取りでアパートへと向かうが、焦点がなかなか合わない。ドサリ、鉛のように重い足は機能をなくして必然的に倒れた。あともう少しで自室まで着くのに。体を起こそうとするが、力が入らず壁に寄り掛かりながら座るので精一杯だった。ふう、深呼吸して目を閉じる。

チャリン、金属が落ちる音がして目を開くと何かを拾っている人の姿が目に映った。アパートの住人だろうか。顔を窺おうとするが、今の自分の目線の高さでは足元しか見えない。スカートに低いヒールのある靴を履いているとすれば女だろうか。足先はこちらを向けたまま動こうとはしない。
不審に思い、ゆっくり視線を上げて女の顔を確認する。一般人だろうか。白いシャツ姿に髪を一つに束ねた女性は目を見開きながらオレを見ていた。真っ直ぐ射抜くようなその目に思わず心臓が波打つ。
女性はこちらに視線を向けて突っ立ったままオレの様子を窺っている。固い表情で向けている瞳は怯えているのか、微かに揺れていた。
血を見慣れていない一般人がこんな血まみれな姿を目の当たりにしたら驚くのも当然だろう。自分の現状に思わず苦笑して、この場から去ろうと腕に力を込めた。しかし思うように力が入らず、背中は壁に張り付いたままだった。

「…えっと、大丈夫ですか?」

恐る恐るオレに声を掛けてきた女性の顔は強張っている。どこか聞き慣れたような声は気のせいだろうか。返答できずにいると女性は人を呼ぼうと思い立ったのか、その場から去ろうとした。咄嗟に彼女の腕を掴む。

「…人は呼ばないで」

何故、自分がこんな行動を取ったのか分からなかった。彼女は目を丸くさせたあと、窮した表情を見せて口を開く。

「では、病院に行きますか?」
「…病院には行かないし、行けない」

どういうことだろうか。彼女の顔にはその言葉が浮かんでいた。眉を潜め、悩ましげな目をオレに向ける。それもそのはずだ。血まみれの男がこんな場所で倒れていて、しかも病院に行かないと駄々をこねているとすれば誰だって困り果てるだろう。

それでも病院には行きたくなかった。下忍担当の上忍ではない任務をせっかく与えてくれた三代目には自分が怪我を負ったことを知られたくなかった。優しい三代目の事だ、怪我をしたと聞けば心配してしばらく任務を与えてくれなくなるだろう。

「……」

彼女の返答はない。だが、オレに向けている彼女の強張っていた表情が先ほどよりは解けている気がした。
…諦めてくれたかな。少しだけ安堵して、掴んでいる彼女の腕を離そうと力を緩める。しかし離そうした手は彼女により引っ張られ、思わず彼女寄りに体が傾いた。え、この子何がしたいの?驚いて腕を掴む手から彼女に視線を移すと彼女の顔はいたって真剣な表情をしていた。

「…私の部屋に連れて行きます。少しだけ立ち上がれますか?」

言って、彼女はオレの腕をいまだ引っ張り続けている。彼女の言葉に思わず否定したが、聞き入れてくれる様子もなくオレを立ち上がらせようと必死だ。よほど苦労しているのか、彼女の額からはうっすらと汗が滲んでいる。

そんな力じゃ男の体なんか動かせないでしょ。

観念して最後の力を振り絞り、立ち上がった。想像以上の激痛が脇腹に走り、小さく呻いてしまう。ポタリと音を立てて血が床に落ちた。それを見た彼女が怯えたようにビクリと肩を小さく揺らす。

やっぱり怖いよね。

血を流し過ぎて体温が低くなったせいか、肩にまわされた彼女の腕の熱が温かく感じる。
至近距離にある彼女の横顔は変わらず真っ直ぐ前を見据えている。ふわっと柔軟剤のような香りは彼女のものだろうか。
…なんていうか、照れ臭い。そう思ったが、こんな時に自分は何を考えているのかと直ぐさま邪念を払い退けた。

小柄な彼女に全体重を預けないように気を配りながら一歩、二歩と歩く。
あと少し奥へ行けば自室だ。なんなら自分の部屋まで送り届けてもらえればそれでいい。そう声を掛けようとしたが呼吸がうまく出来なくて声にならない。
そんなオレに彼女は気にも止めず自室の手前の部屋の前に止まった。オレの掴む腕を気にかけながら片手で鍵を差し込んでガチャリと音を立てたあと、ドアノブに手を掛けた。
その一連の流れを見て、先ほどまで頭の中で巡らせていた疑問が一瞬にして解けた。

聞き慣れた声。
オレの隣の、部屋。

え、ていうことは、彼女は、

「…え?」

思わず声に出してしまったのか、彼女はどうしました?と心配そうに訊ねた。どうしたもなにも、そうだったのね。驚きで言葉にならなかったオレは黙り込むしかなかった。


待ち侘びた声主





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