長い夢を見た。オビトとリンが生きていて、自分と一緒に歳を重ねていく夢。あの頃よりも大人びた顔の二人は自分に笑みを向けていて、楽しそうにオレの名を呼ぶ。
二人とも、生きていたんだ。嬉しくなり、笑って手を振り返す。

しかし心の底ではこれは夢だと理解している自分が邪魔をして、直ぐに現実に引き戻す。
ーーそんなことあり得るはずがない、と。

ぽっかり穴が空いた心を埋めるのは虚無感と強い悔恨。
例えばあの時、オレを助けようとしたオビトを払い退けていればオビトが死ぬことはなかったのだろうか。例えばあの時、自分が早くリンの異変に気付いていればリンを殺さずに済んだのか。

例えば、例えば、たとえば、ーーなに?





はっとして目が覚めた。確かにオビトとリンは笑っていて、とても幸せな夢のはずだったのに目が覚めて第一に思ったのは紛れもなく悪夢、だった。
心臓の鼓動が走る。汗を掻きすぎたせいか、喉が渇いた。ゆっくり重い瞼を持ち上げると最初に視界に映り込んだのは見慣れた白い天井だった。しかしなんとなく自室とは違う違和感を覚える。
部屋の微かな匂い。置いてある家具。カーテンの色。
今見える視界の範囲内でぐるりと目を動かして見渡せば、ようやく状況が把握した。
そうだ。オレは任務で怪我を負ったのだ。三代目にその事実を隠そうと我慢して倒れたオレをアパートの廊下で彼女が見つけたのだ。しかも連れてこられたのは彼女の部屋。しかも隣人。

…オレとしたことが。

なんとも言えない気持ちが胸に広がる。

「…あ、起きました?」

柔く透き通る声は変に慣れ親しんだ声で、すっと自分の胸に入り込んだ。彼女は目を覚ましたオレに気付いたのか、ほっとした表情でオレの顔を覗き込んでいる。
横になったまま話すのも申し訳ないと思い、上半身だけでも起こそうと腕に力を入れる。しかし血を流しすぎて疲弊した体では無理だった。
彼女は慌てた様子で、そのままでいいですとオレの肩に手を置き、制した。
彼女の言葉に甘えて再び横になる。まだ塞がれていない傷口が触れて、思わず顔をしかめた。

「二日間も眠り続けていたんですよ」
「え、そんなに?」

何気なく放たれた彼女の言葉に驚いて思わず声が上擦った。参ったなぁ。まだ完全に起きていない頭の中で必死に今後のスケジュールを思い出す。幸いにも貴族の護衛の後にある任務は三日後だ。報告書にも抜け人に襲撃をされたとは記したが、怪我を負ったことは報告していない。
なら、オレがいなくても気に留める奴はいないだろう。あ、でもガイはオレが怪我を負っていることは知ってるんだっけ。面倒な奴に知られてしまったな。はあ、と重く長い溜息を吐いた。

「痛みます?やっぱり病院に行った方が「これくらい平気」

眉を八の字に下げてオレの顔を見つめる彼女に笑みを向けた。それでも彼女はオレの言葉を信じていないのか納得できない表情をしている。笑みを崩さず彼女にもう一度大丈夫と強く言えばようやく諦めたのか小さく頷き、そうですかと呟いた。彼女の返事にほっと安堵の息を吐く。
それにしても今まで声でしか知らなかった隣人の部屋にいるのは変な感覚だ。なんだろう。初めて会ったのに初めてではないようなーー不思議な感覚。
よく耳にした鼻歌から想像した彼女はもっと幼いイメージだったが、実際には大人びた風貌だった。‥歳は、自分と同じ二十代半ばぐらいだろうか。

職業柄すっかり癖になってしまった考察を頭の中で巡らせていると、顔をしかめて何かを捨てている隣人の姿が目に入った。なんだろう。問い掛けずに静かに様子を見ていると、どうやら血に染まったタオルをゴミ袋に放り込んでいるようだ。

よほど嫌なのね。

それは紛れもなく自分が流した血だった。罪悪感に駆られて謝罪の言葉を口にしようと唇を開く。

「あの、「包帯、」
「え?」
「包帯からまた血が滲んでますよ」

彼女からの指摘を受けて、ほら、と指を差された脇腹を確認すると包帯の下から血が滲み出ていた。これでは布団が血で汚れてしまう。しかし自分で包帯を巻くといっても今の自身の体では不可能だった。どうしようか戸惑っているとすっと彼女の手が伸びてオレの胸辺りに触れた。

「巻き直しますね」

言いながら彼女は抱きつくような形でオレの上体を起こした。動いたせいで傷口が痛む。しかし密着された彼女の感覚の方が気になって、痛みなど気にしてられなかった。
今の状況を飲み込むのに精一杯で彼女に有無を口にすることさえ忘れる。徐に彼女の冷たい手が皮膚に触れた。その慣れていない感覚に思わず身震いする。
血で汚れて役目を果たした包帯が解けてゆく。静寂に包まれた部屋には布が擦れる音と二人の呼吸しか聞こえない。…何か話した方が良いだろうか。声を掛けようとするが、彼女の真剣な表情を見て口は紡ぐしかなかった。
包帯が全て解けて上半身だけ裸になる。いよいよ自分でも恥ずかしくなり思わず彼女から目を背けた。

解いた包帯を先ほどのゴミ袋に捨てると彼女は救急箱に常備していた清潔な包帯を手に取り、再びオレに抱きつく姿勢で包帯を巻いてゆく。
時折触れる彼女の細い髪の毛が顔に触れて擽ったい。
背けた顔を彼女に向けて表情を確認すると彼女はオレの胸元から目を逸らしながら包帯を巻いていた。どうやら彼女も恥ずかしく感じているようだ。
頬を赤く染めている彼女の顔を見て、自分と同じ気待ちだと安心する。
緊張感が幾分か解けて来て気持ちに余裕が出てきた時、ふと自身の不甲斐なさに気付き始めた。
そういえば彼女は忍ではなく一般人だ。本来なら守るべき存在なのに助けられるなんて情けない。何が里を守るだ。何が子供たちを守らないといけないだ。たかがあんな抜け忍に怪我を負わされるなんて、やはりオレは未熟者で忍としてまだまだだ。

「…ごめんね」

気付けば声に出していた。包帯を巻いている手が小さくぴくりと動く。唐突なオレの謝罪を聞いて動揺しているのだろう。未だ黙り込む彼女の顔を見る勇気がなくてオレの顔は下を向いて俯き続ける。
包帯を巻き終えたのだろうか、手が止まった彼女はふいにオレの顔を覗き込んだ。必然的に合わさった彼女の目を見て、突かれたように胸が痛む。
彼女の瞳は穢れを知らない、一つの汚れもない綺麗な瞳だ。オレを捕らえて離そうとしないその目から逃げるかのように瞼を伏せた。

「本当だったら一般人を守るべき忍なのに、助けられるなんて、本末転倒だね」

誤魔化すように笑みを張り付けて彼女に言葉を放った。だが彼女はまた返す言葉を探して黙り込んでしまう。慎重に言葉を選ぶ彼女はきっと真面目で責任感の強い性格なのだと思った。じゃなきゃ、こんな得体の知れない男を家になんか上がらせないよね。普通だったら適当にあしらうのに。

「…あの、お腹減っていませんか?」

唐突な問い掛けに思わず驚く。この流れでそれ?突拍子もない彼女の発言に目を見開いていると彼女は少し怖気付いたように微かに聞き取れる声で続く言葉を発した。

「何か食べたいものはありますか?」

どうやらここ二日間、水分ぐらいしか摂取していない自分を心配して腹が減っていないか訊ねたようだ。腹は減っているがこれ以上、彼女に迷惑は掛けられない。
オレは大丈夫だよと答えると彼女は一瞬だけ躊躇った顔を見せたが、直ぐに頷いて部屋を出て行ってしまった。

部屋に残されたオレは再びベッドに横になり天井を見上げる。それにしても部屋の住人が違うだけでこんなにも部屋の雰囲気が変わるのか。必要最低限の家具しか置いていない殺風景な自室と女性らしい淡い色で統一された彼女の部屋を比べて思わず笑みが溢れた。
初めて会ったのにそんな気がしない彼女に妙な安心感が込み上げて、再び睡魔が訪れる。
普段、人の部屋で眠った事などなかったのに。ましてやよく知らない他人の部屋で眠くなるなんて。どうしたものか。考えても答えは出ずにオレはいつの間にか眠りに落ちた。




まだ夜も明かない頃。ふと目を覚ました。久しぶりに熟睡出来て気持ちが良い。カーテン越しから差し込む光はまだないに等しい。暗闇に慣れた目で辺りを見渡すとここは隣人の部屋だと思い出す。ふとベッド脇にあるサイドテーブルに小ぶりの土鍋が乗ったおぼんが置かれているのに気付いた。もしかして彼女が作ってくれた?

ーーそういえば彼女の姿がない。

慌てて部屋を見渡すと自分の足元でベッドにもたれ掛かりながら気持ち良さそうに寝息を立てている彼女が目に入った。その姿を見てほっと息を吐く。起こさないようにベッドから降りるとひんやりとした冷たい床が足裏から伝わった。
彼女の側まで寄ってそっと顔を窺うと、よほど熟睡しているのか目を開ける素振りは一切ない。あまりにも無防備なその寝顔に少しだけ庇護欲を掻き立てた。

起こさないように彼女の体を持ち上げてベッドへと静かに運ぶ。ゆっくり体を横たわらせるとギシリとスプリングが軋む音がした。起きてしまっただろうか。慌てて彼女の顔を覗き込むが、変わらず眠っている。ほっと安堵したと同時に腹がぐぅと鳴る音がした。

そろそろ限界かも。

眠っている彼女に「ありがとうね」と礼を口にすると彼女がテーブルに置いてくれたおぼんを手に取り、床に置いた。

土鍋の蓋を開ければ中には美味しそうな粥が入っていた。まだ冷めていないのか、温かい湯気が立ち上る。いただきます。心の中で呟くと蓮華を手に取り粥を掬って口に運んだ。
久しぶりに固形物が胃に入り込む感覚がする。素朴な味だけど、どことなく懐かしいその味はなんとなく父を思い出した。体調が悪い時によく作ってくれたなぁ。思い出に馳せながら一口ずつ噛み締めるように味わった。
あっという間に平らげて満たされた胃袋は今日を生きる活力を与えてくれた。

こんなに良くしてくれたのにこのまま黙って帰るのも気が引けたオレは何か書くものはないかと部屋を見渡す。サイドテーブルに置かれたメモ用紙とペンを見つけて手に取り、ご馳走様と記した。

これでいいだろう。

そっとメモ書きを土鍋の脇に添えると、オレはゆっくり立ち上がった。傷はやはり痛むが、昨日ほどではない。このぐらいの痛みだったら耐える事はできる。

よし、行くか。

いまだ寝息を立てて眠る彼女の顔を見て、ありがとうと呟くと部屋を後にした。


漂う予感





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