バーボン(草食系)と逆襲の降谷さん3




ぼすり、ふかふかのベッドに倒れたのは身長180センチ超えの大男である。そこそこの衝撃でもってスプリングが軋むのを足の下に感じた。なぜ私も揺れを感じているのかというと、上に乗っているからだ。男の。
シーツの上で擦られた短い金色の髪がくしゃっとなって僅かに散らばっている。のしりと男の腹に跨った私は、その綺麗な顔をじいっと観察した。

「…………えっと?」

さすがに倒されるとは思わなかったのだろう。目を丸くしてきょとんとする表情はやけに幼く見えた。男が屈んだ中途半端な姿勢だったことと、目の前にいた私を潰さないように体をずらしたのを逆手にとって引き倒したのだ。受け身を取るために咄嗟にうつ伏せを避けた男の上に乗れば、はい完成である。組織内で力を持つネームドの幹部にこんな真似、普通なら絶対にできない。けれど今、私はそんなことはどうでも良くなるくらい腹を立てていた。少し垂れ気味で甘やかさのある目、薄くて形の良い唇、通った鼻筋。どのパーツも完璧な男を組み敷いて。そりゃこんなにいい男だから、いい女なんて見慣れているんだろうけど。私なんて抱きたくないんだろうけど。ぷるぷると肩が震える。

「私の覚悟を踏みにじるなんて、許せない……」
「……え?」
「どんな鬼畜でサイテーなことをされるかと思って、昨日は眠れなかったのに……」

バーボンは数回瞬きをして私を見上げた。上に乗る体を退かそうとしたのか、その指先が私の脚に一瞬だけ触れてすぐにパッと離れる。触れるのを戸惑っているような、そんな態度だ。

「人聞きの悪いことを言わないでください。なぜ僕がそんなことを?」
「そういう噂だもの。バーボンは教育と称して女を無理矢理手篭めにして性奴隷にした挙句、ハニートラップ要員として敵に送り込むって!」
「性奴隷って……読書のしすぎでは?」
「引き受けておいてできないなんてひどい。私だって好きでこんなことしてるわけじゃないのに……少しでもバーボンが油断すればしめたものだと思ってエッチな下着つけてきたのに!」

ジジ、と、着ていたブルーのドレスのファスナーを自分で下ろす。バーボンがこの女まさかという顔で見てきたけど手は止まらない。肩紐を指先に引っ掛けて、するりと肩からずらす。元からゆったりとしたその衣装は、胸の膨らみを通り過ぎた後はストン、と腰まであっけなく落ちた。ドレスを着るためにオフショルダーのブラだが、胸を覆う白い布の面積は少なく、際どく透け感があり、けれど控え目なフリルで清楚さも演出するなかなかにいやらしい下着だ。ぎょっとして目を見開いたバーボンはしばらく私の胸を凝視して、やがて我に返ったかのようにバッと思い切り顔をそらした。

「……バーボン」
「いやいやいや、ちょっと落ち着いて、」
「まさか何もしないなんて言わないでしょうね?女がここまでしてるのに、手を出さないなんてそんなこと!」

頑なに顔をそむける男のうえで、上半身下着姿になって太ももで挟むように硬い腹筋をふみふみする。うっ、と呻いた男は再びその腕を伸ばしてきたが、やはり触れるか触れないかのところで離れていってしまった。

「何よ、触るのも嫌ってこと!?」
「いえ、そうではなく……僕の話を……」

切羽詰まったように息を詰めた男の顔が正面を向いた。私はすかさずベッドに手を突いて身を屈め、がぶっと噛みつくようにキスをする。「!?」状態のバーボンの唇は柔らかくて、あったかくて、思わずちゅううっと吸い付いてしまったのだが、後から考えたら完全に痴女だった。いい匂いがする。いつでも振り払えるはずなのにバーボンは抵抗せず、ただピタッと動きを止めている。構わずに、その唇をゆっくりと堪能した。

「……そんな態度取ったって、騙されないんだから」

ほんの少し唇を離すと、本当に困ったような青い瞳と至近距離でぶつかる。なんて綺麗な人なんだろう。赤い口紅が男の唇にうっすらと付着していて、浅黒い肌に妙に映えていた。蝶ネクタイをしゅるりと解いて、きっちりと着込んだシャツを割り開くのは何だか興奮する。服の上からでもはっきりとわかる、逞しい肉体に指を這わせて、でこぼこと盛り上がる硬い筋肉をうっとりと撫でていると、眉をぴくりと動かした男の視線が私の胸に吸い寄せられてゆらゆらと揺れた。……よし。滑らせる手をジャケットの下に差し入れて、指に引っ掛かるサスペンダーをぐいっと引っ張る。

「さあ、早く脱いで!」
「やめ……」





結論から言えば、寝た。いくらその気がなくとも相手は健康的な肉体の若い男だ。柔らかな女の体をフルに使った誘惑に抗えるはずがないのだ。あれ、私って今ハニートラップをバーボンに仕掛けてる?と思ったが、よく考えてみればトラップでも何でもない。ただ単に恋人でもない男に堂々とセックスをねだっているただの痴女だった。渋々応じたにしてはいやに情熱的でこいつ私のこと好きなのかなって勘違いしそうになる情交であったが、あれが性奴隷を繋ぎとめておく秘訣なのかもしれない。
翌朝、私が起きるのをベッドに腰掛けて待っていたバーボンの背中は心なしかしゅんとしていて、その後ろ姿を見た私は心にちょっとだけ傷を負った。

それでも男は最後に「いいですか?くれぐれもハニートラップの相手に体を許さないように!それでは!!」と念押しして若干乱れた髪で部屋から出て行った。何でも、これから直接任務に行くのだとか。そんなに忙しいのに私に構うなんて意味の分からない男だ。ハニトラにかける情熱というやつなのだろうか。ま、本人的には親切でベルモットの頼みを引き受けたのに、女に襲われるなんてそれ以上に意味が分からなかったと思うけど。

バーボンのハニトラ講座が役立ったかどうか定かではないが、ジンに命令された件は体を使うことなく無事に終了することができた。初めて顔を合わせた幹部に対して怒りを爆発させ、襲ってしまうというなかなかに危ないコトをした私だったが、刺激的な毎日の中で、その記憶は次第に奥へと仕舞い込まれ、いつしか思い出すこともなくなっていた。





「色々ありましたけど、お互いあの時のことは口にしない方が良さそうですね。そう、忘れましょう」

さて、あれから数年後である。夜景の綺麗なホテルの一室で私は大混乱に陥っていた。
サスペンスドラマでこれから愛人に刺される役みたいな台詞を言う私を、じいっと男が見下ろしている。

「俺は覚えてるよ」
「……な、なに?」
「こんな場所で男とふたりきりになるなんて、無用心だな」

そりゃ、一般的にはそうだ。私をベッドに押し倒している男、名を降谷零という。金色の髪、褐色の肌、晴れた日の空の色をした瞳。この条件が揃う人間は彼以外にない。どこからどう見ても、バーボン。彼が自分と同じ潜入捜査官……さらには警察庁警備局警備企画課の人間だったと知った時は大層驚いたものだが、この数ヶ月、上司と部下として上手くやってきたつもりだった。

私が組織を抜けたのは昨年の秋のことだ。組織内のスパイが問題になり、他の公的機関から潜り込んでいた諜報員が次々と粛清されたことを受けて、私を派遣していたお偉いさんが帰還命令を出した。爆発に巻き込まれたフリをして死亡を偽装し、そうして無事に戻った私を引き抜いたのがこの男。会うのは数年ぶりであった。

いくら職場の上司であっても、異性とホテルにふたりきりでは何が起きてもおかしくない。でも、相手はあのバーボンなのだ。どうせそんなことにはならないとはなから決めつけていた私は、言われるがまま指定された部屋にやってきて。
昔話をしよう、男が囁いた。

「あの日からずっと夢見てたんだ……あなたをこうして屈服させる瞬間を」

通った鼻筋、綺麗に整った眉、薄くて形の良い唇。ギラギラとした目だけが、あの時と違う。
ナナシ、と、呼ばれるはずのなかった名前がその唇から零れた。



遠くから見ているだけで良かった。
ベルモットからハニートラップの訓練について話を聞いた時、他の男にさせるわけにはいかないと思ったから引き受けたが、それがなければそばに行くこともなかった。いくら触れたくとも組織の女に手を出すことはできない。せめて他の男が触れないように、あの日は部屋を用意して形式上「組織の探り屋」の手ほどきを受けたことにし、早々に立ち去ろうとした。……が、その女に襲われた。女が組織の人間ではないらしいと知ったのはそれから少し経ってのことだった。
その結果、仕舞い込んでおく予定だった恋心を拗らせに拗らせ、女の所属機関に裏取り引きを持ち掛けて組織を抜けさせ、さらに身柄を譲り受ける騒動に発展したのだということを、私が降谷零から聞くのはもう少し先の話である。




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