あむぴヤンデレ選手権



嫌な雰囲気。酔った頭でもそう思うのだから、普段の自分なら絶対に近寄らない道だったんだろう。
初めて行ったお店の帰り道。友達とも途中で別れてしまって、ひとりで土地勘のない暗い路地を歩く。大通りから外れていることには気付いていたが、方向的にはこっちで合っているはずだし、すぐに駅に着けるはずという酔っ払いの謎の自信が足をはやめていた。切れかけの電球でぼやりと光る、営業しているのか、していないのか不明な看板の店は、とても入って道を聞けるような雰囲気じゃない。どう見ても隠れ家的なお店とかそういうのではなく、危ない店だ。さらにその少し向こうに数人がたむろしているのを見つけて、私はショルダーの紐をぎゅっと握り締めた。あーあ、という若い男の声と、笑い声が聞こえる。こんな時間に路地裏で何をしているのだろう。

「…………」

即刻踵を返して走り去りたかったが、突然引き返すのは逆によくない。そう思って足早に、いないものとして横を通り過ぎる。私は駅に向かうんだ。
コツコツと一人分だけ響いていた足音に、背後からだるそうに地面を擦って歩く音が混じり始めて焦る。ヒールのせいかすぐに追いつかれてしまった。

「お姉さん、お姉さん!」
「何してんの?」

行く手を阻むように道を塞がれて足を止めざるを得なかった。薄暗くてもわかる、チャラついた茶髪っぽい鼻ピアスと、スキンヘッドで人相のあまりよろしくない二人の男。他にも周りに何人かいて、足元の感じは全員男だ。怖くて俯き加減になりながら、「急いでるので」と告げる。何が面白いのか男達は笑いながら更ににじり寄ってきた。

「これから家で飲もうと思ってるんだけど、一緒に飲まない?」
「遠慮します」
「いいじゃん!もう帰るとこなんでしょ?」
「っ……ち、違います、人と会うので」

失礼します、そう言って目の前の鼻ピアス男を押しのけるようにして前に進もうとすると腕を掴まれた。ニヤついた顔が近付いてきてぞわりと鳥肌が立つ。

「えー、彼氏?」
「行けないって電話してあげるよ」
「やめてください!」

掛けていた鞄の紐に手が伸びてきて、後ろからも肩を掴まれていよいよピンチに陥る。こんな人気のない路地裏で、こんな時間に。大声を出したとしても誰も気付いてくれないだろう。とにかくスマホだけは取られないようにしないと。体の前で抱えるようにしながら鞄を死守して、からかうように覗き込んでくる男から顔を背ける。さ、行こうか、と引っ張られてぎゅっと瞼を閉じた。途端、暗くなった視界がぐらりと傾いて足に力が入らなくなる。どうしよう、こんな時に。このままじゃまずい。不快に巻き付いた男の腕を懸命に振り解こうと身を捩っていると、ふいに少し離れた場所から声が聞こえてきた。

「……そこで何をしているんですか?」

男の声だった。顔を上げたが、回り始めていた視界では姿をとらえることはできなかった。彼らはしばらく何事かを言い合って、一人、また一人と私の周りからいなくなって行く。何が起きているのか分からない。やがて私を捕まえていた最後の一人も姿を消して、支えを失って倒れ込みそうになった私の体を、力強い腕が抱き留めた。

「…………?」

何とか倒れずに済んだ私は目の前にある体にしがみ付いた。さっきまでの男の人じゃない。背はかなり高くて、目線の高さに胸がある。どのくらいそうしていたのか定かではないが、だいぶ落ち着いてきてぱちくりと瞬きを繰り返した。えっと、これはたぶん絡まれていた私を後ろの方からやってきた男の人が助けてくれたのだろう。その証拠に、しがみ付いた男の体からちらりと見える地面に腕が投げ出されているのが見える。か、格闘家か何か?五人くらいいたような気がしたけど……。理解が追いついていない私に、頭上から声が掛かる。

「大丈夫ですか?怪我は?」
「あ……、……はい、大丈夫です……あの、ありがとうございます……」

直接体に響いてくるような低くて穏やかな声。顔を見ようと思ってただ視線をあげても見えないので、胸に押し付けている頬をずらして上を向く。髪の色がかなり明るくて日焼けした肌の、若い男の人だった。綺麗に整った細身の容姿はとても格闘家という雰囲気じゃない。それが心配そうに私を見下ろしている。……ああ、なんだかすごく近い。そうだ、私がしがみついてお兄さんから離れないから。はやく離れなきゃ。お兄さんが困ってる……。
ところが、どう頑張って体を離そうとしてもそれは叶わなかった。お兄さんのシャツの胸あたりをきゅっと握り締めて、腕で突っぱねるようにして距離を取ろうと思うのだが、できない。お兄さんの腕は私の腰に回されているけど、力を入れているようにはとても見えなくて。きっと、酔っていて私の力が入らないんだ。何度かチャレンジする間もお兄さんは黙っていて、いたたまれなくなってとうとう諦めた私は、ちらりと彼を見上げて眉を下げた。

「ご、めんなさい……い、いつもは、こんなに酔ったりは……」
「ああ、大丈夫ですよ。酔いが回ってきたんでしょう。このまま掴まっていてください」
「でも……ご迷惑を……」

こんな道の真ん中で、見知らぬ人に。人はバタバタと倒れてるし。そう思っても体が言うことを聞かなくて、逞しい胸板に顔を押し付けているしかない。細く見えるけどかなり鍛えられているのが分かって、ぽかぽかと温かくて、頭がぼーっとしてきた。だめだ、今度は眠くなってきてしまった。いくらなんでもダメでしょう、それは。ここで寝たら警察を呼ばれてもしょうがない。
知らない人の腕の中で寝落ちそうになっている私に気付いたのか、お兄さんが小さく息を吐いた。

「……こんなに遅くまで飲み歩くのは感心しませんね」
「す、すみません……」
「まあ、今日は男がいなかったようなのでそこは良かったですが」
「…………?」

あれ?いま、お兄さんは何て言ったんだろう。酔っ払っているのは見てわかるだろうけど、その次の言葉は。確かに今日は女友達との飲みだったので男の人は同席していなかった。今日のことを事前に誰かに言った覚えはないけど……もしかして、知り合い?
私はもう一度顔をあげた。暗さに目が慣れてきていて、お兄さんの髪がどうやら金髪らしいことがわかる。明度の低い寂れた空間で、彼の青い瞳は映えるようにとても印象的だった。
何度目を凝らして見ても、それは知らない男の人だった。

「今後は門限を決めないといけませんね……僕もあなたをずっと見ていられるわけではありませんから」

なぜ、そう見えたのだろう。私を包む温かさとは裏腹に底冷えする真冬の海のような、昏い青。男の唇が動いて何事かを呟く。私はその音を追おうと思ったけれど、また酔いがぶり返してきて、急速に意識が遠のいていった。




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