あむぴヤンデレ選手権2



「うう……」

ゆらゆらと揺れるような不思議な気分だった。うっすらと目を開いた先に、何かが見える。なんだろう、揺れている……。波打ち際にいるみたいに、押し寄せて、引いていく何かを体全部で感じている。青くて綺麗なものが見えて、もしかしたら海かもしれないと思った。歩けないので、今の私は横になって寝ているのかもしれない。真昼の砂浜のように真っ白なところに、急に現れた褐色の指が埋まって、いたずらにぎゅうっと握る指の間から白が零れるのを見つめる。そんなに乱暴に、何をしているんだろう。そうやってわけもわからずに景色を眺めていると、いつの間にか私の体は真っ青な海の上に立っていて、なぜか足がびしょびしょに濡れていた。下を見れば透明度の高い水の奥まで容易に見通せて、その底がないかのような深度に恐怖すら感じる。足元がすっと冷えるような、ぞくりとするような感覚。けど、そうして恐怖を感じているのに、私の心はというとふわふわと落ち着かない。もうすぐ、そこに。どうしてなのか気持ちがよくなってきて、膝が震えて立っていられなくなってきた。必死に濡れた足に力を込めていると、後ろから聞き覚えのある声に呼ばれる。……トン。振り向きざまに誰かの腕に押されて、私の体は真っ逆さまに水の中に落ちて行った。



「……っ!?」

文字通り飛び上がるように起きたのは生まれて初めてだったかもしれない。高級そうなふかふかのベッドで目を覚ました私の目に飛び込んできたのは、引き締まった健康的な色の肉体。裸だった。未だかつて「目を覚ましたら知らない男が裸で隣に寝ていた」などという経験をしたことがなかった私は、それはもう混乱して飛び起きた状態のまま固まってしまった。

「…………え、私、もしかして、」

ギギギ、とどうにか視線を動かして周囲に向ける。作り的にホテルなのは間違いないだろうが、この部屋には今自分が乗っているキングサイズのベッドしかない。見える範囲にあるはずのテーブルや椅子、テレビ、ポット、洗面所っぽいドアとかそういうのがない。なんか小洒落た小窓の向こうに別の部屋らしきものが見える。普通のホテルのシングルやツインルームは見える範囲にほぼ全部が収まるはずなのだが……つまり、ここってホテルのスイートなのではないだろうか。いや、まだ個人の邸宅という可能性もあるけど。
唖然と口を開けた私は再び横で寝ている男に視線を戻した。知らない男、というのは少し違う。昨夜、酔っ払っておかしな道に入り込み、危なそうな男達に絡まれたところを助けてくれた人。そこまでは覚えている。この黒い肌に金色の髪、間違いない。目を閉じていてもものすごい整った顔をしていて、下がり気味の眉があどけなさを醸し出している。まさか、私はこんなイケメンと一夜を共にしてしまったのだろうか。服は一応着ているし、下着もつけている。記憶をなくすほど飲んではいなかったはずだが、それでも何も覚えていない。いくら酔っていて記憶がなかったのだとしてもとんだ過ちである。この場合誤ったのは相手の方かもしれないけど。
先に起きたはいいもののどうすれば良いかわからず、とにかくベッドからは降りようとシーツに手を突く。すると、ふっかふかのそれが沈んだ振動で目が覚めたのか、金髪のイケメンが腕をのばして大きく伸びをしたあと、ぱちりと目を開けた。

「……おはようございます」
「ひっ……おはようございます……」

寝起きの声は昨夜聞いた時よりも低く感じる。またも固まった私の隣で、お兄さんも体を起こす。裸なのは上だけで、下は履いているようだ。

「あ、あ、あの」
「……ん?」

乱れた金色の髪を掻き上げて、どこか気怠そうに返事をするお兄さん。なだらかに盛り上がった褐色の筋肉の曲線が美しい。色気が半端じゃなくて、私は卒倒したくなった。どうしよう。こんなイケメンと寝てしまうなんて、絶対に私が迫ったに違いない。たぶんこの人は酔っていなかったし、それ以外に考えられない。助けられたのに気絶して大迷惑をかけた挙句、同衾(古い)を迫るとか、もうどんなことをしてお詫びすればいいんだろう。真っ青になった私はサッと膝を揃えて座り、両手をベッドに突いて、二日酔いで少しだけ痛む頭を思い切りシーツに押し付けた。柔らかい。

「申し訳ありませんでした!」
「……え?」
「助けていただいたばかりか酔っ払いの介抱までさせてしまって、さらには、あの、こんな……っ」

もう土下座しかない。誠意だ。誠意を見せるのだ。今思えばベッドから降りて土下座するべきだった。今からでも降りようかと迷っていると、お兄さんが頭上でくすりと笑う。

「何か誤解されているようですが、昨夜は何もありませんでしたよ」
「…………へっ?」

私の腕を掴んで顔を上げさせると、お兄さんは困ったように笑ってみせた。本当に見れば見るほどカッコいい男の人だ。思わずぼーっと見惚れてしまう。お兄さんは脇に放ってあったシャツを手に取るとそれを着て、まだ動揺している私に昨夜あったことを丁寧に教えてくれた。

「喫茶店の店員さん……?」
「ええ」

お兄さんは安室透さんというらしい。私も名乗ろうとしたらもう知っていると言われてしまった。名前だけじゃなく、働いている会社や大まかな住所まで、昨夜私がペラペラと喋ったのだという。なんてことだ……覚えてない。いくら稀に見るイケメンでテンションが上がっていたのだとしても、この情報化社会にすべてを曝け出しすぎだろう。
でも、そうだよね。こんなにカッコよくて優しそうな人ならもう彼女とかいそうだし、わざわざ道端で面倒掛けられた酔っ払い女に手を出したりしないよね。それにしても隣で寝て変な気分に一切ならないとか、よほど普段から事足りているのか私に女としての魅力がないのか……。前者であってほしい。どうか。

「本当に申し訳ありませんでした……このお詫びは必ず」

また土下座しそうな勢いの私を苦笑しながら制して、安室さんは「気にしないで」と言った。内面もイケメンとか、この人の弱点を教えてほしい。

「お詫びより、もしよければお店に来ていただけませんか?」
「……え?お店に?」
「ポアロっていう喫茶店です。あ、本業は探偵なんですけど……名刺を渡しておきますね」
「は、はい……次の土曜日にでも伺わせていただきます」

安室さんは私の返事を聞くとフッと笑って、名刺ケースから一枚の紙を取り出し、くるりと手首を返してそれを渡してくれた。お兄さんは探偵さんでもあった。どうしてなのか、その手首を返す動作と褐色の長い指がなんだかすごく色っぽく見えて、私はずっとドキドキしていた。

「……待ってますね、ナナシさん」

どこかで見た海のような青色が、私をじっと見ていた。




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