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16-20



あ……このお店の向かい側って前に安室さんと一緒に入ったパンケーキのお店だなぁ。吊るされたスーツの隙間から見えるのは見覚えのある景色だった。あの日もかっこよすぎる安室さんに抗えずに、差し出された手を渋々とったらすごく笑われたっけ。このひと、絶対に自分のことかっこいいって分かってるやつなんだけど……それで私が翻弄されたり、拒んでも結局屈したりするのを笑うかと思いきや、今みたいに完全に拒絶しても笑うし、一体なんなんだ。SなのかMなのかはっきりしてほしい。そういえば組織の悪い人に拳銃を突き付けた時も、ちょっと嬉しそうだったな……。
ちょうど私の胸の前辺りにある、うなだれた彼の頭。手を乗せている金色の髪が指先をくすぐらなくなったことに気付いて、私は安室さんを覗き込んだ。

「……笑い終わりました?」
「ええ……何とか」

え?そんなに面白いの?よしよし、みたいなノリで無心に撫でていた柔らかな髪から手を離すと、安室さんが顔を上げる。いや、彼が笑っている間することがなかったんだってば。普段と何ら変わらない空気に、現役は落ち着き方が違うなと感心してしまう。

「相手は銃を持ってるのに、緊張感ないですよね……」
「慌てすぎるのはよくありませんよ……焦りこそ最大のトラップ、ですから」

ふう、と一息ついて安室さんが言った。それはそうなのだが、分かっていて落ち着ける人間は少ない。自分ひとりなら身軽でも、私という一般人がくっ付いていてはやりにくいことこの上ないだろう。
しかし、降谷さんの正体は分かっても、これから会うであろう刑事さんのことがいまいち分からない。降谷さんを見つけたというのは、今なら完全な嘘だったと断言できる。目の前の男が降谷さんなら、潜入中であるその名は警察組織のどんなリストからも抹消されているに違いないからだ。
警察庁の中でも、おそらくとてもアブない枠に入るであろう彼がわざわざ引っ張ってきた八坂という男。それを殺せるのは手練れだろう。犯人は組織の人間なのだろうが、そこと刑事さんがどう繋がるのか分からない。もしや刑事さんは仮の姿で、警察組織に潜入している組織の人間とか?けど、安室さんは刑事さんのことを既に調べたような口振りだった。スパイだったなら、その時点で気付きそうなものだ。それに刑事さんが組織の人間なら、安室さんとは顔見知りなのでは。

「ところで、あの刑事にはもう近付かないでください」

私の考えていることを読んだかのようなタイミングで安室さんがそう言ってくる。刑事さんと顔を合わせても敵意のようなものは一切感じなかったというか、むしろその逆だったんだけど、危険な人物だということは間違いない。もう関わらない方が良いだろう。しかし、だ。私は今回、取り返しのつかないことをしてしまった。この不始末だけは、私自身が、カタをつけなければならない。うっかり返事をしないでいたら、私を見下ろす目が薄暗い中でスッと細められる。だからそれ、怖いって。

「……何か企んでいますね?」
「え!?そんなことは……」
「僕の見えないところで危険なことはしないでください」
「…………でも、」
「僕の気持ちを知っていながら、あなたはそういうことばかりする」
「そ……そういうことって何ですか。ていうか、私が関わる事件のほとんどに安室さんが絡んでますから」

むしろ、私が危ない目にあってるのってわりと安室さんのせいでは?そりゃ安室さんが直接の原因とは言わないけど、ほぼ絡んでいるのでは?

「…………」
「…………」
「とにかく、ここを出ないことには始まりません。出たら……ゆっくり話しましょう」

無言で見つめ合うことしばし、否定も肯定もしなかった安室さんは最終的にそう言って店の外を見た。その横顔を見つめて、私は騒めきを落ち着かせるように手のひらを左胸に押し当てる。

「……フラグみたいで嫌ですね」
「フラグ?」

不思議そうに聞き返してきながら、安室さんがジャケットの内側から銃を取り出す。私はかぶっていたキャスケットを脱いで、髪が散らばらないようにひとつにまとめた。脱いだキャスケットはそのまま安室さんにすぽりとかぶせ、目立つ金色の髪を覆い隠す。職業公安のくせにちっとも隠密向きじゃないんだよな、この人。男女兼用でよかった。

「よくあるじゃないですか、この戦争が終わったら国で待ってる恋人と結婚するんだ……とか言ったがために死んじゃうやつ」
「……共感性のあるエピソードを事件の直前に加えることで読み手に感情移入させ、その後の死をよりドラマティックなものとするための演出ですね。もとは処理の判定や条件通過のために用いるプログラミング用語です」
「冷静に分析しないでください」
「……自分の帰りを待つ人がいる人間は強いと言いますが、そうじゃない人間の方が強いと思いませんか、ナナシさん」
「……誰も待ってないので、安心して死ねますね」
「ええ……僕は、今までずっとそう思っていました」
「一生結婚できないパターンですね」
「………………」

ふたりで同じ方向を見つめながら言葉を交わす。そっと立ち上がって店の入り口まで移動したが、どうやら辺りに人の気配はないようだ。




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