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16-19




触れ合っていることで体に直接伝わってくる響きが心地良い。ところで今、絶対に悠長にこんなことしてる場面ではないんだけど、こういう時に妙に落ち着いてしまうのはこの手の職業に就く人間の性質なのか。むしろこれから大変なことになるのが分かっているからこその本能的な何かかもしれない。彼を見ようとしてどうにか体と体の間に隙間を作り、顔を上げる。じっとこちらを見下ろす瞳とぶつかって、私が声を発する前に、その薄い唇が開いた。

「ナナシさん……後でお礼をさせてください」
「お礼……?」
「……潜入中、八坂はあなたには接触していなかった。……情報を共有するような協力者を作る場合は上への報告義務があるので……つまり伝言を預かったというのは、八坂が死んだ後ですね?」

安室さんの口からその名を聞くのは初めてなのに、何故かしっくりくるのは、彼が降谷さんだと知ったからなんだろうか。八坂って、安室さんもそう呼んでいたのかな。こんな時と場合じゃなかったら聞いてみたい、などと思うのは、以前の私からは考えられない。遺言ともいえるものをこの胸の内に預かって共に過ごしていれば、彼を……八坂を己の内側に入れるなというのも無理な話だ。頭の中に声が聞こえてしまうほどには同調してしまっているのだろう。ましてや過去の自分と似たような職にあった男だと分かった。私は上司に憧れというほどの感情を抱いたことはなかったのだが、現に目の前の男がとてもかっこよく見えて……いや、この男はいつもかっこいいんだった。
安室さんの問いに瞬きをひとつして、私は頷く。

「そうです……あの倉庫で暗号を見つけました。これが解けたら届けてほしいって……降谷さんに」
「……あの場所は何度か捜査が行われましたが、成果は何もありませんでした。プロの捜査員より、あなたのほうがよっぽど優秀だったようですね?」
「……じ、尋問?」
「とんでもありません。……見つけてくれたのがあなたで良かった」

男はほんの僅かな瞬間、眉尻を下げたように見えた。どうやって暗号を解いたのか聞かれたら、少し困ったことになる。この人のことだからきっと細かく聞いてくるだろう。その辺はちょっと考えないといけないな。それはそれとして、降谷さんに会うことに躍起になっていたせいで伝言の中身の影が薄くなっていた。不思議な数字の羅列。彼が公安の人間だったのなら、上司である降谷さんに伝えたいこととは、今生の証。命と引き換えに手に入れた情報に他ならない。これ、やっぱり私が握っていていいものではないようだ……怖いのでさっさと渡してしまおう。さすがに今ここでは無理だけど。改めて丁寧に礼を述べてくる彼に、私は両手でその胸を押して体を離す。

「……っていうか」
「はい?」
「これから会う降谷さんが偽物っていうことくらいは教えてくれてもよかったと思います。安室さん怖いし、無駄に寿命が縮みました」

……まあ、散々気にしていた私の夜のデート(誤解)の相手の名前が降谷だったのだから、少しは怒ってもいいと思う。けれどあれはちょっと行き過ぎというか、本当に普通の女だったら裸足で逃げ出すぞ。……でも女に逃げられる安室さんとかちょっと見てみたい。などと考えながら彼をじっと見上げていると、安室さんは少し考えるように斜め上を見て、それから再びこちらを見下ろしてきた。

「あなたを誑かしたその男をすぐにでも殺……顔を見たいと思ったので……それに、あそこで僕が何か言ったところで信用しましたか?」

お巡りさん、今とても職業的に言ってはいけない言葉を言いかけなかっただろうか。なんか後半被せて誤魔化してきたけど、半分聞こえているので逆に冗談として言い切ってくれたほうがよかった。前々からちょっとダークサイド的な一面があるなとは思っていたけれど、それって別に組織の悪い男を演じているからたまにポロリと表に出る、というわけではなく、元からそういう気質が少しあるんだろう。好戦的で、わりと短気な男の影が見える。
安室さんの言葉に、私は駐車場での会話を思い出す。口を滑らせて降谷という名を口にしてしまった、あのやり取りだ。

……降谷さんに会わないと。それは僕です?……急に何言い出すの?嘘に決まってる。
……降谷さんに会わないと。それは偽物です?……ほんとかよ。

うん、ダメだった。
少しだけ遠い目をした私を、男が見ている。視界を塞いでしまいたい……私は諦めたように息を吐いた。

「…………それは……安室さんだし……」
「僕だし?」
「ぜんぜん信用できない……」
「…………」

私のその答えを聞いて、安室さんは黙って顔を寄せてきた。……ん?寄せてきた?なぜ?一気に近付く唇に、触れ合う寸前で慌てて手のひらで彼の口を塞ぐ。勢いがついてしまってぺちりと音がしたが、わりと意志が強固だったらしく強めにきたので、負けじと押し返した。

「ちょっ!……いまそういう雰囲気でした!?違いますよね!」

片手だけでは心許ないので、押し返す右手に左手も被せて力を込める。ぐい、と顔ごと遠ざけることに成功したが、腕に振動が伝わってきたので思わずパッと手を離した。彼の肩が震えている。私は驚愕して目の前の男を見つめた。

「なんで笑ってるの……!?」
「い、いえ、こんなに思いきり拒まれたのが初めてなので、面白くて……」
「面白くないわ!」
「……っ……」

力いっぱい突っ込んでしまったからなのか、余計に笑いのツボに入る安室さんと、引き気味の私である。安室さんが分からない……前々から変なところで笑うなって、そう思ってたけど。
確かにこんなにいい男に迫られて拒む女もいないんだろう。だが、世の中そう上手くは行かないのだということを教えてやらねば。肩を震わせる安室さんと、それをじとりと眺める私は、やはりこの状況にまったく似つかわしくなかった。




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