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16-15




入口から侵入して、どのくらい歩いただろう。暗いので失念していたが、ここは3階まで吹き抜けになっているのだった。見上げても天井部分には深い闇が広がるばかりだが、2階と3階にあるテナントは明るめの色なおかげかぼんやりと輪郭が判別できる。星のない夜空が真上にぽっかりと漆黒の口を開けているようだ。こう暗くては相手に会ってもゆっくり話しをするどころではない。上の階からこちらを見ている可能性もあるなと考えていると、不意に前方にふたつ、小さな光が見えた。懐中電灯の明かりだ。同時に安室さんがぴたりと足を止め、手を真横に出して私を制止する。

「おい、そこの!何をしてる!」

声を発しながら姿を見せたのは2人組の男だった。どちらも青い服を着て、見回りの警備員のような出で立ちをしている。何も答えずに一歩前に出た安室さんに、男の1人がずかずかと近付いてきた。

「駄目じゃないか、勝手に入ったら!」

男の腕が安室さんの肩を掴もうと伸びる。と同時に、その後ろにいたもうひとりの男が、安室さんを避けて何故か私にいきなりダッシュしてきた。唐突なダイレクトアタックをかまされそうな勢いに瞬きをしたところで、安室さんが動く。そこまでは普通にぼんやりしていても目視できていたのだが、そこからの展開はあっという間だった。

「……ッ!?」

息を飲んだのは安室さんを掴もうとしていた男だ。伸ばした手は空を切り、逆に姿勢を低くした彼の肩の上でがっちりと腕を掴まれて固定され、動きを封じられる。一度捕まってしまえば重心を崩された男に勝ち目はない。腹に一撃入れられたのだろうか、鈍い音がして、すぐに男はその場に崩れ落ちた。カラン、と懐中電灯が転がって、光が四方に散らばる。
男が腕を掴まれて床に倒されるまで3秒とかからない。私に向かって走り出していた別の男が、横からの殺気に気付いた時には遅かった。え、と顔だけを安室さんに向けたその男に、勢いよく長い腕が伸びる。咄嗟に手を出して身を庇おうとした男は、中段からの拳にがら空きの脇腹を狙われて斜め後ろにたたらを踏んだ。迅速に身を引いた安室さんが両の拳を握り、折り曲げた腕を体と平行にして眼前に構える。長身のボクサーなどがよくやる、腰を落とさない戦闘スタイルだ。そのまま右足を一歩下げ、そこを軸に体を半回転させた状態から踏み込むと、真っ直ぐに右ストレートを突き出して相手を吹っ飛ばした。ガッ!といい音を立てて床に転がる男。何か武器を所持しているようだ。いや、所持していたようだ、か。……まあ送り込まれてきた偽物の警備員なのだろうが、一応悪い奴かどうかの確認は必要なかったのだろうか。その、形だけでも。

「動くな!」

と思った瞬間に、私の懸念をぶち壊す叫び声が別の方角から聞こえた。逃げの体勢に移ろうとしたものの、目の前の状況が目まぐるしすぎてうっかり心の中で実況していた私は、そこで初めて男達に反応したように悲鳴を上げてしゃがみ込む。ちょうど転がっている男がいたので、ススッと移動して盾にすることにした。足手まといに見せかけたフェードアウト作戦である。2人ぶんの足音が止まっているエスカレーターの上から降りてきて、片方の男が右手に持った黒いモノを安室さんに向ける。どうやら2人1組で行動しているようだ。

「悪く思うなよ……男は始末しろって言われてるんでな!」
「へえ……誰に言われたのか詳しく聞きましょうか」

自分の台詞が終わるか、終わらないかのタイミングでエスカレーターの方に走った安室さんに、男の反応が遅れる。

「……な、っ……!」

全力で向かってくる相手に発砲するというのは、たとえ銃の扱いに慣れていてもなかなか難しいものだ。それにこの暗闇では、スコープでもない限り狙いは付けにくい。退くか、撃つかで迷う僅かな時間に、エスカレーターを駆け上がった俊敏な肢体が肉薄する。安室さんは下から突き上げるように拳を叩き込み、戸惑いなく、一撃で男を沈めた。……つ、強い。というか、一切の容赦がない。それじゃ詳しく聞けないじゃん……と唖然とする私をよそに、もう1人の男も「それは食らったら終わるやつ」みたいなパンチでなぎ倒した。もう実況がいい加減になってきているが、察してほしい。とにかく一方的すぎてコールドゲームだ。細身で力がない分をスピードでカバーするタイプかと思いきや、実は打撃が重くてスピードもある詐欺みたいなやつだな。間違ってもそういう場で出会いたくない。暗いと多少音に頼るので、余計に相手をボコボコにしているのが伝わってくる。正直、怖くなった。いくら訓練で鍛えていても、実戦でここまで一方的に相手を殴れるようにはならないだろう、普通は。こんな目立つ外見だから、若い頃に絡まれまくって一対複数に慣れているのだろうか……?打たれ強そうな雰囲気はあるが、口先で戦闘を回避するような狡猾なイメージを勝手に抱いていただけに驚きが大きい。会話の前に全員殴り倒すって、あんた。せめて1人くらい生かしておけなかったのだろうか。
しかし安室さんが頑張っている中、私といえば、邪魔にならないように適当に騒ぎながら隠れていただけである。あれ、今の私って物語のヒロインっぽくない?安室さんが警備員もどきを打ち倒し、さらには彼らの上着をごそごそしているのをチラ見しつつそんなことを考える。

1階にいた2人と、たぶん2階から降りてきた2人。3階にあと1組はいそうだ。暗がりに累々と倒れ伏す警備服姿の屍を眺め、私はあることに気付いて愕然とする。こ、これって……。

「…………っ……」

言葉が出なくなった私に気付いて、安室さんが側にやってきた。隣にしゃがんで、俯く私の肩にそっと手を乗せてくる。

「ナナシさん、大丈夫ですか?とりあえず落ち着ける場所に……」
「……ゾンビ映画みたい……」
「……はい?」

私はすごい発見をしたと思ってパッと顔を上げた。危険な目に遭うことは多々あったが、これは未だかつて経験したことのない状況だ。一戦終えたばかりなのにまったく動じてなさそうな安室さんが、心配げな表情からきょとんとした顔に変わる。

「よくあるじゃないですか、建物に閉じ込められて、人がいたと思ったらゾンビ化した制服姿の社員が次々と襲ってくるの。それみたい……ゾンビを素手で倒すのは新しいですけど」
「……その様子だと大丈夫そうですね」

力説する私を見てどう思っただろうか、安室さんの肩から力が抜ける。どうやら慰めようとしてくれていたらしく、彼の反対の手が伸ばした途中の状態で行き場を失っている。結局その手は優しく私の頭を撫でてくれた。……そんなことをするからモテるんだぞ。今度言って聞かせなければ。

「安室さん、これからどうしますか?」
「……相手が銃を所持している以上は広い場所には出られません……僕がひと通り見てきますので、ナナシさんはここに隠れていてください」
「ひ、ひとりで行くつもりですか?」
「こう見えて鍛えてるんです。あなたは僕が守りますから、心配しないでくださいね」

そんなことを言われたら、あっはい、と返事をするしかなかった。……さらっとすごいことを言われてしまった。たぶん普通に生きてたら、こんな言葉を聞くのはプロポーズくらいではないだろうか?……怖い……何だろう、この自信に満ち溢れたイケメンは。もはやキュンとするを通り越して戦慄し始めた私に背を向けて、男はスーツの上着を脱ぐ。そうして近くにあった売り場の黒いジャケットを取ると、シャツの上に羽織った。

「僕が行ったら、ナナシさんも黒っぽい服に着替えてください。相手は銃を所持していますので、標的にならないように」
「は、はい」

まあ僕の方が面積が大きいので当たる確率は大きいですけどね、などと言いながら、男は颯爽と闇に消えてしまった。面積って……た、確かに。ちょっと殺してきますね、みたいなノリで行ってしまったのだが、アレ、組織の人になってないか?というか安室さん、私が普通の女だということを忘れていないだろうか。離れたくないって言ったんだから、置いて行かないでほしい。まあ、邪魔なんだろうけど。

男が消え、静寂と暗闇の空間を見つめながら私は、ああいう人と結婚したら本当に苦労するんだろうな……などという場違いもいいところな感想を胸に抱いていた。




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