Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

16-12




私は思いついて鞄からスマホを取り出す。そういえば、さっき刑事さんに一方的にメールを打って返事を見ていないことに気付いた。画面には一件の受信の表示がある。見ると刑事さんからで、簡潔に「了解」の二文字。それだけだった。私がメールを送ってからすぐに返信がきていたようだ。
現在の時刻は22時を少し回っているが、その返事以降、何の連絡もない。先方がショッピングモールに先に着いてこの状況を知ったのなら、メールがあっても良さそうだが……。

「……僕が様子を見てきますので、車で待っていてください」

この異様とも言える光景を、安室さんも不審に思っているようだ。モールの駐車場には入れないので、仕方なく車は100メートルほど離れた空き地に停車する。サイドブレーキを引きながらそう言った安室さんは今にも飛び出して行ってしまいそうだった。

「わ、私も行きます」
「無理はいけませんよ。本当に調子が悪そうですし、ここにいてください」

こちらを一瞥した視線はすぐに窓の外に向けられてしまう。私は焦った。知り合いのようだし、私よりも先に安室さんが降谷さんに接触してしまったら困る、というのも勿論あったのだが……それ以上に、今はひとりになりたくなかった。脳裏にちらつく、数日前に遊園地で別れた男の顔がこっちを見ている。降谷という人物について、聞いたことがあると言っていたあの男。例え親しくしている人間に対してでも、常に疑いを持つなんてことは当たり前だったはずなのに、私はそれを怠ってしまったのか。いや……完全に怠っていたわけではない。頭では分かっていても、"今"の私には難しいことも確かにあるのだ。当たり前に出来ていたことが性差によって出来ないことは勿論ある。そうではなく、"私"がこの世界で一番に信頼を置くかつての自分自身……つまり"俺"は、絶対的な支配者でもあった。支配されている状況に"私"は何の疑問も抱かなかった。何故ならば私達はひとつの人間だったからだ。だが、私と過去の自分は別の人間である、と、近頃そう感じるようになった。ひとりだと思っていた人間が分かたれる感覚。コントロール出来ていたものが手を離れるような。それは、演じていた人格がひとり歩きをしてしまうのに似ている。
一時的なものかどうかは分からない。おそらくは様々な要因が重なっているのだろうと思う。そしてこの人も、その要因のひとつなんだろう。この人の前で、私は何になりたいのか……分からない。

シートベルトを外す彼の腕を捕まえる。スーツの袖をぎゅっと掴むと、安室さんは再びこちらを向いて不思議そうに瞬きをした。

「ナナシさん?」
「離れたくないので……連れて行ってください」
「…………え?」

驚いたように目を丸くした安室さんはしばらく黙って私を見つめていたが、結局は一緒に行くことを許可してくれた。よかった。今はちょっと、こんな暗い場所にひとりでいられるような精神状態じゃない。それに、安室さんをひとりで行かせてはいけない気がした。

車から降りて空き地の砂利を踏み締めながら、少し前を歩く安室さんがちらりと私を振り返る。

「ナナシさん……あえて今まで確認はしませんでしたが、他の人間にさっきみたいなの、やってないですよね?」
「さっきみたいなのって?」
「……分かりました。ちょっと後で話があります」
「えっ、何ですか……今言ってくださいよ、怖いじゃないですか」

ショッピングモールの駐車場に差し掛かると、私はタタッと小走りで彼の隣に並んだ。無人の駐車場を突っ切るようにして建物の方へと向かう。街路樹をライトアップする街灯のおかげで歩くにはそれほど困らないが、本当に誰もいない。
隣で男が呆れたように溜息を漏らすのが聞こえた。

「僕はあなたが怖いですよ」
「私だって安室さんのこと、怖いです!」
「そこは対抗するところじゃありませんから」

正面を向いたまま、私達は歩きながらお喋りとも言い合いともつかないやりとりを交わす。困難に直面するとより図太く、強くなってしまう私の法則である。さっきみたいなの、が何のことだか分からないが、安室さんは自分の非常識を棚に上げて私のダメ出しをしてくることがあるから、深く気にしてはいけない。むしろ今後のことを考えれば、私の方こそダメ出しをするべきである。

「言っときますけど 、普通の人だったら恐怖で逃げてますからね?今日みたいに無理矢理なのとか、他にもいろいろ前科が……顔がいいからって」
「ご心配には及びません。僕が逃がしたくない女性は普通ではないようなので。あと、顔は関係ない」
「そ、そういう油断はよくないと思います」
「そうですね。では逃げられないように全力で捕まえておきます」
「…………」
「…………」

ぴたりと、ふたり同時に足を止める。
揃って見上げたショッピングモールは、暗闇と静寂に包まれていた。




Modoru Main Susumu