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16-10



些細な動きでも、瞬きさえも緊張する。至近距離で見つめられて、私はおそるおそる口を開いた。

「し、知り合いじゃありません……今日、初めて会うので……」
「知り合いじゃない?おかしな事を言いますね……なら、何故その名前を知ったんですか?連絡はどうやって取っているんですか」
「それは……名前を知ったのは偶然で……連絡は、別の人経由です……」

安室さんの剣幕に気圧されつつも何とか返答した私に、彼は表情を変えずに矢継ぎ早に質問してくる。考える暇を与えない問いかけに、私はこれ以上男を刺激しないように怯えた態度で、できるだけゆっくりと言葉を返した。無論、自分が妙なことを喋らないためでもある。……本当に怯えてるだろうとかそういう突っ込みはやめてほしい。

「会う理由は?」
「伝えたいことがあって……」
「それは何?」
「い、言えません」

眉間に刻まれた皺が恐ろしい。じっと私を見つめて何やら考え始めた安室さんの顔から視線を外し、彼の黒いネクタイを見つめる。うっかり口走ってしまった降谷さんという名前に安室さんが反応したのは間違いない。……知り合いだったのだろうか。"八坂"に繋がる人物だということは間違いないので、実は嶋崎さんの周辺では名を知られた存在とか?……ないな。状況からして、そう簡単に伝言を渡せる距離にはいなかったはず。
もしくは、単に降谷さんが警察関係者なので安室さんも名前を知っているとか。だとしたら"八坂"と降谷さんが繋がっていることまでは知らないかもしれないし、下手なことは言えない。どちらにせよ、なぜこんなに怒っているのかは分からない。……仲悪いのか?

もう一度ちらりと見上げた安室さんは、眉根を寄せながらも、ゆっくりと深呼吸をして自身を落ち着かせようとしているようだった。今までも感情を波立たせる様子は見せても、ここまで意識して自分を抑制するような態度というか、弱みともとれる部分は絶対に見せなかったのに。
やがて男は、なるほど、と低く呟いて、私の肩から手を離した。

「…………安室透でもない、自分を殺してやりたいと思う日が来るとは思わなかったな……」
「何言ってるんですか……?」

独り言のような彼の呟きを訝しんでも、答えはなかった。安室さんはスーツのポケットからスマホを取り出すと、私に背を向けて数歩離れる。急なメールでもきたのか、はたまた誰かに連絡を入れているのか。ここで逃げ出す気も到底起きず、私は強く掴まれていた肩をさすりながら男の背を眺めていた。

「……それで、どこですか?待ち合わせ場所は」
「…………」

やがて、くるりと体ごとこちらに向き直った安室さんの顔を見て、私は言葉を失くす。
目が……目が完全に据わってるんですが……?固まる私に、安室さんが再び近付いてくる。車があってこれ以上うしろに下がれないので、仰け反り気味に彼を見上げた。

「ど、どうしてですか?」
「言ったでしょう?送って行きますよ。そいつも早くあなたに会いたいでしょうし……ついでなので僕もご挨拶しようかと思いまして」

そいつ呼ばわりである。やっぱり知り合い、なのだろうか。ご挨拶って、どう見ても単独で敵対組織にカチコミに行く直前の悪いお兄さんにしか見えないんですけど。銃、持ってるよね?内心ビビりまくっている私は素直に場所を言うべきかどうかまたもや悩む。なぜ、私がここまで追い詰められなければならないのか。しかしいつまでもこうしているわけにもいかない。とりあえず一番気になることをそっと聞いてみることにした。

「あの……降谷さんと知り合いなんですか……?」
「…………」

安室さんは無言で私の腕をガシッと掴んできた。え、と思った瞬間に引っ張られて、車から引き剥がされたところで今度は反対の腕が背中に回される。そして抱き寄せられたのだが、彼自身が少し屈んだので勢いよく彼の顎あたりに頭をぶつけそうになった。思わずぎゅっと目を閉じた次の瞬間、体がふわりと浮いた感覚がして両足がコンクリートの地面から離れる。結局ぶつかったのは彼の鎖骨らへんで、衝撃はほとんどない。……あれ?と疑問を持った頃には、私は助手席のシートの上にいた。眼前でドアがバタンと閉められる。唖然と口を開いていると、運転席側に回った男がすぐに乗り込んできた。

「それで、場所は」
「…………」

……なんという早業。人攫いも真っ青の誘拐スキルである。これ、私が素直に待ち合わせ場所を喋ってしまったら大変なことになるのではないだろうか?降谷さんが。会ったこともない相手を守るべきか、だが伝言を伝える前に死なれても目覚め悪いし……などともう自分でも冗談か本気か分からない思考が巡る。安室さんはそんな私を見て渋っているとでも思ったのだろうか、ニコリという効果音が聞こえてきそうなくらい、それは綺麗に笑いかけてきた。

「話せないのなら仕方がありません……今日は僕の家に一緒に帰りましょうか」
「な……何で!?」

この男は一体何を言ってるんだ?愕然と安室さんを見ると、彼は彼で「え、そんなことも分からないの?」という表情を浮かべる。こっちがおかしいような気分にさせてくるのはやめてほしい。

「何でって、僕はあなたのことは何でも知りたいんですよ……それなのに僕の知らない間にそんな男と会う約束なんて。……どういうことなのかゆっくり聞き出さないといけませんから……」

それが至極当然のように滑らかに言葉を紡ぐ男は、冗談を言っているようには見えない。私が凭れる助手席のシートに腕を掛けて、追い打ちのようにこちらに身を乗り出してくる。ただでさえ狭い車内では逃げ場もなく、額どうしがこつんと触れ合った。車の中でスーツ姿のイケメンに迫られるという、普通ならドキッとくるシチュエーションのはずなのに、ぜんぜんときめかない。怖い。ひたすら怖い。口調がひどく優しげなのがまた恐怖を煽ってくる。いや、元から危ないなとは思ってたけど……イケメンじゃなかったら事案だなと思ってはいたけど。
教えて、と至近距離で薄い唇が動いて、男の長い指が私の髪を撫でた。誰か助けてください……。

「……ナナシさん」
「…………近くのショッピングモールです……前にふたりで行った……」

私はあっさりと敗北した。近頃はもう勝てる気もしない。大きな手が私の頭を優しく撫でて、やがて体ごと離れていく。はぁ、と詰めていた息を吐き出してうな垂れた自分の視界に、シートベルト。……い、いつの間に……?下を向いたまま思わず硬直する体に、始動したエンジンの振動が伝わってきた。

おそるおそる隣を見ると、自らもしっかりシートベルトを締めた男がハンドルを握る姿がある。
ふ、と、声を出さずに不敵に笑ったそれが誰の顔なのか、私には分からなかった。

ただ、その笑みが私に向けられたものでないことだけは分かった。




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