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16-9



徐々に減速したエレベーターがやがて静止する。閉じた視界が揺れて、鳴り響いた機械的な音が私を現実へと引き戻した。さっきよりも辺りが暗くなったのを感じとって、ゆっくりと瞼を上げる。当たり前だが目の前に安室さんの顔があったので、はっとして離れた。地下に入ったことで窓の外は黒い壁になっており、既に外の景色は見えなくなっている。夜景を楽しめるようにそうしてあるのだろう、エレベーター内部の明かりだけだと照明としてはやや頼りない。
……地下まで下りてきてしまった。階数表示をちらりと確認すると、安室さんの手が伸びてきてするりと手を掴まれる。あっ詰んだ。スマートに詰んでしまった。食事中に握られた時よりも温かい、気がする。ドアが開き、手を引かれてエレベーターから降りると、入れ違いでひと組の男女が乗り込んできた。ぎょっとしたような彼らの視線は安室さんを見て、それから私を見る。ドアが閉まる瞬間、ひそひそと話す声が聞こえた。やばい、と。……何がやばかったのか定かではないが、私も心底そう思います。

明るくライトアップされた地下駐車場は数台の車が停められているのみで、出入りもなく静かなものだった。無情にも行ってしまわれたエレベーターの音を背中で聞きながら、私は頭を悩ませる。立ち止まった私を無理に引っ張ることはせず、安室さんが振り向いてこちらを覗き込むように首を傾げた。

「どうしました?待ち合わせ場所まで送りますよ」
「近いので大丈夫です……」
「近くても、夜中に女性をひとりで歩かせるわけにはいきません」

安室さんは当たり前だと言わんばかりだった。これはとても折れそうにない。普段の彼でも同じことを言うのだろうから、この場合おかしいのはむしろ私の方、なんだろうけど。

「僕が送って行くと不都合でもあるんですか?」
「…………」

あります。心の中では即答である。これから会う相手のことをあそこまで気にしていた安室さんだ。私を送り届けた後でこっそり付いてくるつもりだろう。下手をすれば"八坂"から託された伝言が組織に渡ってしまう可能性もある。この人が組織の中でどんな役割を持ち嶋崎家を探っているのか、私は知らない。そして不都合というか、もう一つ心配なことがあった。後をつけられるだけなら厄介だがまだどうにかなる。……この人、そもそも本当に送ってくれる気があるのだろうか?そこが掴めないから余計に困っている。

「約束に遅れてしまいますよ?どうしても会いたい……そう言ってましたよね」

安室さんが私の手を引いた。どうしても会いたいって、そういうニュアンスでは言ってない。もう完全によそに男を作ってると思われていそうだが、別に目の前の男とは恋人でもなんでもないからびっくりである。ここまでしておいて、安室さんはふとした時に私が恋人じゃないことに気付いてびっくりしないのだろうか。普通すると思う。逆に言えば恋人でもない女にそれはダメでしょう、人のことは言えないけど。
仕方なくとぼとぼと歩き始める私の歩幅に合わせて、安室さんもゆっくり歩いてくれる。いちいち優しいのが腹立つな。八つ当たりを込めて男の顔を斜め下から凝視するが、どの角度から見ても顔がいいことを再確認しただけに終わった。エレベーターからそう距離もなかったので、あえなく白い車の前に到着してしまう。
安室さんは助手席のドアを開けたあと、繋いでいた私の手を離した。

「安室さん……」
「乗って」

促す声は優しげなのに有無を言わせない口調だった。
もうこの人をここで張り倒す以外で約束の場所にひとりで行く方法が思い当たらない。だがそれは果てしなく無理ゲーである。というかできたとしても女として色々なものを犠牲にしすぎるだろう、それは。そこまでして降谷さんに会いたいか?もう刑事さんに伝言とか頼めばよくない?だがちょっと待て、ここでやっぱり行かないことにしましたー、って言ったらどうなる。さっきこの人、お礼を貰うとかなんとか言ってなかっただろうか。あれが冗談でした、で済む確率ははたして何パーセントあるんだ。私は悩みすぎて混乱した。
ドアを開けたまま、さっきから近くでジッと私のことを見つめている安室さんをじろりと睨み上げる。

「う、うそつき」
「……何が?」

試しに呟いてみた言葉に、ほんの少しだけ低くなった声が返ってきた。それで私は確信する。……これはあれだ。行き先を告げても別の場所に連れて行かれるパターンだ。いつものように優しい態度の安室さんだが、実は声音に表れるくらいは機嫌が悪いようである。どちらにせよはっきりしていることは、車に乗ったらヤバイ。それを顔に出したつもりはなかったが、男の長い腕が伸びてきて肩を掴まれた。力が込められるのを感じて焦りが増す。

「ま、待ってください。私……本当に今日は……」
「……あの刑事に会うんですよね?確か名前は有川とかいう」

隠しても無駄だぞ、と、男の目が語っていた。刑事だということはやはり知っていたようだ。というかレストランで否定したのに、まだ刑事さんに会うと思われていたのか。ここ最近の私を尾行していたなら遊園地で一緒にいたのも見られているのだろうから、まあそう思うのも分からなくはないけど。私が言った、どうしても今日じゃないとだめというのも嘘だと思われてるんだろう、この調子だと。嘘をついてまで男と会うことが気にくわないのは理解できるが、だから、別に安室さんとは恋人じゃない。

「そうじゃなくて……」
「…………」

とにかく、これから会う相手は刑事さんじゃないし男女の関係とかそういうのじゃない。そういうのじゃないけど、安室さんには話せないような相手で。それを伝えようと思って、どう言葉にすればいいか困り果てる。このままでは無理矢理助手席に押し込まれそうな雰囲気に、私はとにかく慌てていた。乗せられたら最後、話を聞いてもらえなくなる。ちょっと待って、だから、会うのはあの人じゃない。有川さんじゃない。そればかり考えていて、その名前を口にした自覚がなかった。

「わたし、降谷さんに……会わないと……」
「………………は?」

安室さんは長い間のあと、ものすごく怪訝な顔をした。彼のそんな表情は初めて見たかもしれない。刑事さんじゃなくて驚いたのだろうか。でもなんか見たことのない顔だなと思っていると、強い力で両肩を掴まれる。加減を忘れたかのようなそれに痛いと声を漏らしても、力が弱まることはなかった。すぐ背後は車体の低い彼の車で、安室さんが顔を近付けて詰め寄ってきたので挟まれる状態になる。綺麗な形の眉を吊り上げて、私を射抜く鋭い視線は険をはらんでいた。いつもの安室さんじゃない。

「……僕を捨てて"降谷"に会いに行くって?」
「す、捨てるって……なに言ってるんですか……」

ちょっと待って、もの凄く怒っている。未だかつてないほど、それこそ赤井さんの時よりも怒っている。それは見たら分かるのだが、理由がさっぱり分からない。眼前に迫る男のあまりの迫力に、私は考えることを放棄した。何も言えずに彼を見上げて、次の言葉を待つことしかできない。

「いつ?」
「……え?」
「いつ、どこでそんな男と知り合った?」

大きな手で掴まれた肩が痛い。身じろぎもすることができないほどに強い力だった。
だから、男かどうか知らないってば。
……そんな台詞を口走れるような状況ではなかった。




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