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16-7



赤ワインでじっくり煮詰められた、ごろりとボリュームのあるお肉の上で濃厚そうなソースがつやを放っている。そのまま何も言わずにナイフとフォークを手にした安室さんを見て、私は、あの日彼が倉庫にいた理由を考えていた。

あの状況で私を助けるには、誘拐犯の男達と同時かすぐ後に倉庫に入らなければならなかったはずだ。奴らは銃を所持していた。イコール、例の組織の回し者に違いないと思っていたのだが……同じ組織の安室さんは、あの日メイちゃんの誘拐が企てられていたことを知っていたのだろうか。だが事前に知っていて、かつ誘拐を阻止したかったのならばあんなに目立つ方法で助けるのは賢いとはいえない。彼の銃は少々特殊だがごく一部の日本の警察でも正式に採用されていた型だし、線条痕を調べれば撃った銃の種類は分かってしまう。彼がわざわざそんな真似をするとは思えない。ということは、誘拐は彼にとってまったくの予想外だったということ。同じ組織に属していながら誘拐の計画を知らなかった、ということか。……ホテルの一件でも仲が良くないんだろうなぁと思ったけど、あの組織の命令系統っていったいどうなっているのだろう。幹部らしき人間が何人かいて、それぞれ独立して動いているのかもしれない。それにしたって最低限の情報共有は必要だと思うのだが……。
では、安室さんはどうやって私の危険を察知したのかということになるが……単純にあの日、私の後をつけていただけ、とか。それが一番あり得そうだ。彼は嶋崎さんの周辺で何かを探っているのだし、私をマークするというのはおかしな話ではない。おかしな話ではないんだけど……も、もしかしてここ最近の私の動向ぜんぶ、知ってたり……?

私は怖くなって目の前の男を見つめた。
何が恐ろしいって、尾行を無意識に撒き、意識すれば事前に察知することもできるようになった私が、それらしき気配を一切感じていなかったのである。

「……どうしました?」
「いえ……」

どんなに見つめても動揺することがない、むしろ微笑んでこっちを辱めてくるタイプの安室さんはやはり小さく笑った。私はパッと視線をメインディッシュに向けて、ナイフとフォークを握る。もしこの人の正体を公安の警察官だと知らなければ、私は全力で逃げていただろうな……今更ながらそんなことを思った。それくらい、この人、ほんとうに怖い。思考と同時に息んで牛頬肉のかたまりにナイフを入れる。が、もとから長時間煮込んでいてフォークだけでも十分に崩せるそれは、力を入れすぎてわりとめちゃくちゃになった。崩れたお肉をフォークですくって口に運ぶ。頬肉の繊維にじっくり煮込まれた濃厚でまろやかな赤ワインと野菜の旨味がたっぷり詰まっていて、よく噛まずともすぐに溶けるようになくなった。
考えてもみてほしい。私が知っているだけでも彼は、会社の金を裏社会に流すような男をハッキングで得た情報で脅迫、銃で追い詰めたあと仲間を使って拉致監禁し、その後男は行方不明。老若男女が乗車するイベント列車を不正入手した軍用爆薬で吹っ飛ばし、多数の器物損壊。鈴木財閥の会長と娘を誘拐する手引きをし、その裏で資産家の男に接触するため一般人(強調)の女をホテルの部屋に連れ込んで脅迫、銃で弄んだ挙句手篭めにしようとしたり、昼間から堂々と銃刀法違反と誘拐未遂を犯すような集団を急襲・銃撃したり。やばい以外の言葉で表せない。分類しようとするならば県警では手に負えない、警察庁の指定特別指名手配クラスのヤバいやつである。自分が警察庁なのが本当におもしろいけど。
ふぅ……と息を吐いて、添えられたじゃがいもをフォークで刺して一口で食べた。香草バターが効いていておいしい。そんな私の様子を見ていた安室さんが尋ねてくる。

「お口に合いませんか?」
「いえ、すっごく美味しいです。でも……安室さんが悪い人すぎてお腹いっぱいになってきました……」
「……えっ?」

あまりに突然の言いがかりである。安室さんはびっくりしたように声を上げてフォークを止めた。まあその正体は日本の安寧を脅かす悪を絶対に許さない、警察組織の中でもエリート集団である公安のお兄さんなのだから、悪などと言われて良い気分にはならないだろう。ならないだろうと思ったのに、お兄さんはフフッと笑って悪どい顔を私に見せてきた。

「確かに、僕は悪い人間ですよ……」
「いやそこは乗ってこなくて大丈夫です」

安室透さんでいてください。困るから。
しかしやめるつもりはないのか、はたまたそっちにスイッチが入ってしまったのか、彼はじいっと私を観察するように見てから首を傾げる。

「さっき僕にありがとうと言いましたね……これはお礼を貰わないといけませんね」
「え、いきなり何……」

助けてもらってそのままなのもすっきりしないのでありがとうとは言ったけど、返事をしてくれなかったので完全にスルーされたのだと思っていた。若いのに記憶喪失だっていうし。

「ナナシさんは知ってるんですよね、僕が悪いことをしてるって」
「え、ええと……詳細には存じ上げませんけど……?」
「そういった世界の人間にはきちんと借りを返しておいた方がいいですよ……後で何をされるか分かりませんから」
「それ、自分で言う?」

確かに、"そっちの人"に借りを作ってはいけないというのは万国共通の認識である。一度手を借りれば最後、骨の髄まで貪り尽くされボロボロにされる……というのは少し古いかもしれないが。弧を描く形の良い唇に、一気に雲行きが怪しくなってきた。例の組織の人を前にしたような緊張感だ……悪い人発言は取り消すのでどうか元の人に戻ってほしい。というか組織の人は仮の姿であって本当は警察官なのだから、その脅し方はどうかと思う。カチャリとフォークを置いた男は、さっきまでと変わらないトーンでこともなげにこう言ってきた。

「というわけで……このあと僕に付き合っていただけますか」
「……このあとって……どういう意味ですか……?」
「はっきり言って欲しいですか?」

スッと目を細めた男に、私は無言でぶんぶんと頭を左右に振った。

「……そう?」

ふ、と小さく息を漏らした男が再びナイフとフォークを手にする。瞼を伏せ、微かな笑みを刷くその表情を見つめて、背筋がぞくりとした。
これから人と会うって言ってるのに、被せてきた。これ冗談ぽく言ってるけど実は今すぐ逃げた方が良いのでは?というか……このままだと事案発生じゃないのか??

「ちょっと失礼します……」

私は平静を装ってお手洗いに立った。




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