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16-1



どこからやってきたのか。そう問えば男はずっと北の土地からやってきたのだと答えた。何もない穏やかなところだったと。父の跡を継いで小さな貿易会社を経営していたが、ある日引き抜かれてここで働くことになった。仕事でなかなか思うようにいかず、やりがいを見出せなくなっていた自分の能力を高く買ってくれて、手を貸してほしいと言ってくれた人の気持ちに応えたかった。社長が引き抜かれてどうするんだ、周囲が呆れると男は、「ずっと憧れの人だったのだ」と言って嬉しそうに笑った。男は元々そちらの方面の流通事情に明るかったこともあり、すぐに頭角を現してあっという間にチームのリーダーになった。怒っているところを誰も見たことがないくらい、穏やかな男だった。
周囲はいつしか彼のことを彼の出身地である八坂と呼ぶようになった。それはあだ名のようなものだったのだが、不思議なことに、その後誰に聞いても、彼の本名を覚えている人間はいなかった。

ベンチに並んで座りながら、子供達のはしゃぎ回る声を聞く。土曜日の昼ともなれば遊園地は家族連れやカップルで賑わう。カタン、コトン、と視界の端でレールをゆっくり登っていった車体が頂上まで到達すると、やがて勢い良く急降下して大勢の賑やかな悲鳴が通り過ぎていった。

「ま、そういうわけで……調べれば調べるほどよく分からない事件でさ。何度も調べたコンテナから、ある日突然死後数ヶ月たった死体が出てきたっていうんだよ」
「それって、誰かが遺体を移動させたってことですか?」
「そうなるのかな……勝手に歩いたんじゃなければね」

手にしたアイスコーヒーをじっと見つめながら、隣に座っている刑事さんが言った。6日前の誘拐未遂の際に助けてもらったこともあって、嶋崎さんやメイちゃんと知り合いであることを軽く話してある。刑事さんは私が警察で事情を話すときにもついていてくれて、調書を取られるのは初めてではなかったが心強かった。そして八坂という人物について、思いがけず刑事さんから情報を得ることができた。何でも彼の同期がこの事件を捜査していたらしい。

「ひょっとして……倉庫で何か見つけなかった?」
「……」
「この男がちょっと危ない地域に関与してたもんだから、国テロの情報班とかDIHとかとにかく色んな省庁の部署が乗り込んできて……でも結局何も掴めなかったんだよ」

現場は混迷を極め、余所者に引っ掻き回されたと上層部は大激怒だったそうだ。さらに早期に収束させるようにとの圧力が警察庁からもあり、さっさと処理してしまうのが望ましいと、捜査は打ち切りになってしまった。

「じゃあ、捜査はもう……?」
「……表向きは自殺で片付けられることになるかもなぁ」

倉庫で見つかった遺体の頭部には弾痕があった、と嶋崎さんは言っていた。何者かにどこかで殺害され、遺体は放置。数ヶ月後に倉庫に運ばれたということだ。しかし、数ヶ月見つからなかったのだからそのままにしておけば良いようなものを、後からわざわざ見つかる場所に遺棄した、というのは。遺体を保管しておいた場所が何らかの理由で使えなくなったという理由もなくはないだろうが、危険を冒して倉庫のコンテナに出向く理由が分からない。殺しの理由が仕事絡みであると暴露しているようなものだ。遺棄した人物は誰かの反応を窺っていた、と考えられる。
八坂という男は新しい事業の拠点のひとつである中東のデータ管理を任されていた。殺害された原因は不明だが、誰かにとって非常に不利益な情報を掴んでしまったか、見てはならない現場を目撃したか。あのメッセージは生前のものだから、殺されることを予期して準備したんだろう。ならば前者か。数字自体がメッセージとは考えられないので、何かのパスコードか場所を示すものということになるが、あそこまで手の込んだことをする男だ。入手した数字だけで自力で真相を知ろうとしても徒労に終わる可能性が高い。やはり降谷という人物を探すしかないか……。
捜査には色々な部署が関係したという。もしかすると、降谷という人物はそのどこかの部署に属していて、八坂の残したメッセージを探しに来ていたのでは。ならば八坂とその部署は繋がりがあったということで、協力者のような存在だった?しかし、一般人である私が片っ端から関係各所に聞いて回るわけにも行かない。警察で調書を取られた時に言うかどうか一瞬迷って言わなかったのは、あのメッセージは本当に限定的な人間にしか解けないようになっていた。八坂にとって、最低限の人間にしか知られたくなかったのだ。それはおそらく、遺体を遺棄した犯人がどこかで様子を窺っているから。……そして、その犯人と例の組織は関連があるに違いない。
私は少し考えて、隣で氷だけになったカップをストローで啜っている刑事さんに尋ねる。

「刑事さん……降谷っていう人、知ってますか?」
「……え?その人がどうかした?」
「ちょっと探してて……」

唐突な質問にきょとんとした刑事さんは、数度瞬きをしてこちらを見つめてきた。まずはこの辺りから探るしかない。手掛かりが掴めなかったら他に私が知る警察の人間は公安しかいないわけなんだけど、それは敷居が高いな……下手をすれば一生マークされてしまう。それに、安室さんが組織としてこの件に関わっている以上、彼に尋ねるわけにもいかない。まあ、こういうことを尋ねて情報の精度として一番信頼できるのも安室さんなんだろうけど。
隣で唸っていた刑事さんは、そういえば……と呟いた。

「……どこかで聞いたことあるなぁ、君の言う人と同一人物かは分からないけど」
「本当ですか!?じゃあ、警察の人?」
「うーん……調べるから少し待っててくれる?」
「はい、ありがとうございます」

何で知りたいかは今は聞かないけど、と言いながら震えるスマホを取り出した彼は、画面を見て息を吐く。仕事の連絡だろうか。
これは思ったよりもスムーズに事が運ぶかもしれないと内心ほっとしていると、刑事さんはよいしょ、と立ち上がった。

「あー……呼び出しだ。またデートしてくれる?」
「えっ、はぁ……これデートだったんですか?」
「君ってわりと酷いよね」

オフの日に男女で遊園地にいるのだから、まあデートと言えなくもないのかもしれない。困った顔をして笑った彼は私の目の前にやって来ると、右手を伸ばしてきた。しかしベンチに座っている私の頭に触れる寸前で、その手はぴたりと止まる。

「……?」

不思議に思って見上げていると、手を引っ込めた彼は自分の手のひらと私の顔を交互に見て、驚いた顔をした。お互いに見つめ合うこと数秒、刑事さんが誤魔化すように頭を掻く。ジェットコースターが再び、賑やかな音を立てて頭上を通過していった。

「どうしたんですか?」
「……や、なんか……触っちゃいけないような気がした」

今度は私が驚く番である。いつも軽いくせにこんなことに躊躇したのかと思えば、どうも様子が違う。私は首を傾げつつ目の前の人を見つめた。

「変なこと言いますね……?」
「そうだよね?」

目を丸くした刑事さんのその顔は年相応に見える。……ん?年相応って何だ?私はこの人の年齢をそもそも知らないのに。一瞬奇妙な感覚に襲われるも、再び伸びてきた腕に抱きすくめられてそれどころではなくなった。身を屈めた彼の肩が顔に当たって、見た目よりもずっと鍛えられていることを知る。ぱちりと、まるで静電気みたいに走る小さな刺激が肌に刺さって、自分でもよく分からないが呆然としてしまった。

「ごめんごめん、またね」

いつもの軽い調子に戻った刑事さんは腕をするりと解くと、へらりと笑みを浮かべる。背を向けた男の後ろ姿を、私は凝視した。

何だろう、このなんとも言えない違和感は。
何かが噛み合わない、間違っている、そんな気がする。
まさか……この男……。

私の中のもうひとりの私が、これは警告だ、と、耳元で囁いた。





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