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15-2




「わ、わあ……ここが倉庫?なんか思ってたのと違う……」

私は目の前の光景に唖然としていた。大きめの倉庫というから、せいぜいが学校の体育館とかあのくらいのサイズだと思っていたのだ。大きさを分かりやすく表すとしたら、ドームサイズ。天井は果てしなく高く、壁は果てしなく遠い。声を出してもどこぞに吸い込まれているような感覚がする。見回せば倉庫内には様々なものが置かれており、古びたコンテナが積んであったり、プレハブ小屋がいくつも建っていたり。増設された階段の上へとのびる配線の束は剥き出しで、どこか雑然としている。薄ぼんやりとした明かりがついているが、人の気配はないようだ。

「あっちはふわふわがあって、あっちは綺麗な絵があるよ」
「メイちゃんすごいね……どこに何があるか分かるの?」
「ここ、前にお兄ちゃんと隠れんぼしたから!」

タタッと走って行ってしまう子どものあとを慌てて追い掛ける。ここで見失うと探すのには骨が折れそうだ。だからこそ、助けが来るまでのあいだ身を隠すにはもってこいである。ねえねえ、と袖を引っ張られて身を屈めると、彼女はプレハブ小屋の裏を指差した。

「ここ、秘密基地なんだよ!お姉ちゃんもいれてあげる」
「うん、ありがとう」

やや埃っぽいそこは使用済みの電源などが積まれているスペースだった。このプレハブ小屋、窓の内側から色々な紙がこびり付いていて中の様子がまったく見えないけど……何に使ってたのだろうか。この倉庫自体は荷物をただ置くというより、置いた荷物をこういったプレハブで管理する目的だったようだな。

「……ん?」

ふと、プレハブのガラスに中から張り付いている紙に目を奪われる。そこに書かれた文字は日本語ではなかった。

「これはヘブライ語……でも、文章じゃない」
「あ、それ!」

ヘブライ語の意味をなさない文字の羅列と、7203. 512867という数字が書かれている。首を傾げて見ていると、メイちゃんがそのうちの最初の一文字を差して、これは自分が書いた文字だと得意げに言った。確かに、最初のそれだけいびつな形になっている。……なるほど、その一文字は文中にも多用されている。すべて消すと意味の通じる文になりそうだ。でも、なんでそんなことを。何かの暗号か?

「わたし、お兄ちゃんにおまじないの言葉教えてもらったんだよ」
「……お兄ちゃんって、誰のこと?」
「お父さんの新しいお仕事を手伝ってくれる人だよ。でも、いなくなっちゃったんだって」

いなくなった、嶋崎さんの新しい仕事を手伝うお兄ちゃん。倉庫のコンテナ内で見つかった頭部を銃撃された遺体……まさか倉庫って……ここだったりする?思わずぞっとした私の腕をぐいぐいと引いて、メイちゃんがにこにこと笑って言った。

「ナナシお姉ちゃんにだけ教えてあげるね」

しゃがんだ私の耳に告げられたのは、たった3文字のおまじないの言葉。
タナハ。それが意味するものはひとつしかない。旧約聖書か……。私は立ち上がってもう一度窓の紙を見る。中東支部と言っていたからそちらの方面には堪能だったのだろう。これは何かあるな。

「メイちゃん、他にはどんな話をしたの?」
「月と太陽のお話をしてくれたよ!疲れちゃったから、お兄ちゃん、眠るんだって。起きたら指輪を渡したいんだって」
「月と太陽かぁ……」

月と太陽。それだけで特定はできないが……眠る、ということは、そういうことか。しかし、聖書の記述で月と太陽が動きを止めるのはヨシュア記10章の一節で、ここに書かれた数字に関連するような文言はないはずだが。

「いや、待てよ。指輪……」

聖書のこの一節は日食だったとも一部では言われている。指輪は……皆既日食ではなく金環日食。起きたら渡したいということは過去のことではなく、未来の数字か。スマホで調べると、この地点の次回の金環日食は2312年だから……先ほどの数字から2312を消すと70.5867になる。何かのパスコードか。ひょっとしたらもう少し捻って、ただ消すだけではないのかも。文字の羅列の方はというと、邪魔な文字を消していって残ったのは……"解けたなら届けてほしい"と、ただ一言だけ。その下に書いてある最後の一文の意味がよく分からない。



思わず腕組みをして天を仰いだ。懐かしい響きだ。意味が通じないということは、動詞として考えずに日本語にそのまま直して……これはひょっとして名前、だろうか。

「降る……谷……?……こうや……?ふるや?」

漢字がこのままで合っているとしたら聞いたことのない名前だが、この数字をこの人物に届けて欲しいということなんだろう。

「メイちゃん、お兄ちゃんの名前を覚えてる?」
「ヤサカのお兄ちゃんだよ!」

ヤサカ。八坂、かな?随分と慎重で頭の切れる男だったようだ。ここに書かれているのは意味をなさない言葉で、たとえこの言語が読めても、メイちゃんの鍵がなければ解くことはできないようになっている。わざわざ他人が解読できない他言語で暗号をつくり、メイちゃんに鍵を託して、男はなぜ殺されたのだろうか。

ぎゅっと腕に抱きついてきたメイちゃんに笑いかけて、私は倉庫内に積まれたコンテナを見つめた。
私がこの情報を持って行っても"降谷"とやらに歓迎されるとは限らないな。まずそれが何者なのか分からない。だが、最初に彼のメッセージを見つけたであろう人間として、しばし持つのを許してもらうとしよう。
死の間際、これが発見され、届くことを願ったであろう彼女の"お兄ちゃん"のために。




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