Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

14-3




ほんの少し軋むドアを押すと、聞き慣れたドアベルの音が響いた。柔らかく光差す店内に、朝の澄んだ空気が流れ込む。いらっしゃいませ、明るい女の人の声に迎えられて、私はいつものように案内された席に腰を下ろした。モーニングを注文してからカウンターに目を向ける。そこにいるはずの見慣れた背中が今日は見えない。

「え、安室さんいないんですか?」
「そうなの。シフト入ってたんだけど、急に体調が悪くなったとかで……」

てっきりお店の裏で何かしているのかと思って梓さんに聞いてみたら、予想外の答えが返ってきた。私は運ばれてきたモーニングセットのサラダを口に運びつつ、向かいの椅子に置いた紙袋を見つめる。今日シフトだということを事前に確認し、上着を返しに来たのだが……まさかの不在。おそらく別の仕事で急に呼び出されたのだろうという想像はつく。最初こそ、ポアロにそっと置いてきてしまおうと思っていたのだが、よく考えたら私はそんな繊細な人間じゃないということに気付いたので普通に返すことにしたのだ。安室さんも安室さんで、シフトがいつかメールで聞いたらすぐに返信をくれたし。いや、あなたはもう少し気にしてもいいと思いますけどね。一言でも、こう……何かあるでしょ?ちなみに、あの美人さんの助言によりキスマークは綺麗に消えた。そういうことに慣れてるんだろうな。かっこいい。
さて、どうするか。返却は別の日に改めてでも良いのだが、事件のあと、家に帰ってよく見たらものすごく高そうな上着だったので、ひょっとして無いと困るものかもしれない。私は少し悩んで、梓さんにお願いすることにした。

「梓さん、これ、悪いんですけど安室さんに渡しておいていただけませんか?」
「いいけど、直接じゃなくて大丈夫?」
「うん、連絡はしてあるから」
「じゃあ、お預かりしますね」
「ありがとうございます」

紙袋を手渡してほっとする。これでよし。モーニングに集中しよう。

「……あの。ちょっといいですか?」

と思ったのも束の間、私がトーストを一口かじったところで、隣のテーブルに座っていた知らない女性が声をかけてきた。

「へ?」

はしたなくも仕方なく口をもぐもぐさせて、女の人に目を向ける。私の後から来た人だ。私も朝早い時間はたまにしか来ないので断言できないけど、見ない顔である。もともと私に近い側に座っていたその女の人は、椅子を動かして更にこちらに寄ってきた。……ん?トーストを飲み込んで食べかけのそれをお皿に戻し、瞬きをしていると、彼女は辺りを見回してから小声で尋ねてくる。

「安室さんとどういうご関係か聞いてもいいですか?」
「……えっ?」

思ってもみない質問にぽかんとしてしまった。女は至って真剣な様子だ。私が梓さんに服を預けたので気になったのだろうか。でも、中身は口に出していないし、普通はそれだけで仲を疑ったりしない。これはひょっとしてあれではないだろうか?私の〇〇君に手を出さないでよ的な、現実世界では滅多にお目にかかれないがドラマや少女漫画でよくある、あの展開では?私は少しだけドキドキしながら女を観察する。年齢は20代半ばで、肩に付かないくらいの黒髪。目鼻立ちがはっきりしていて、可愛いというよりも美人系だ。モスグリーンのブラウスに黒のスキニーパンツとハイヒール。仕事ができそうなイメージである。……好きになると一途なタイプだな。たぶん。余計な部分まで観察して、私は逆に女に問い掛ける。

「……あなたは?」
「も、申し遅れました。私は星村と申します」
「ご丁寧にどうも……ミョウジと申します」

あ、どうも、とお互いに頭を下げる。なんか思ってたのと違う。どう見ても私の〇〇君を奪い合う雰囲気じゃなかった。

「星村さん?……は、安室さんとお知り合いなんですか?あまりここではお見かけしないような……」

さりげなくポアロの常連であることをアピールしつつ聞いてみると、星村と名乗った女は一瞬言葉に詰まって視線を泳がせる。

「えっと……えーと……安室さんとはお付き合いさせていただいてます」
「今思いきり考えてませんでしたか?」
「そ、そんなことはありません」
「…………」

これは怪しい。安室さんと付き合っているということの真偽は置いといて、だ。尾行の件といい、女の不自然な接触といい、何かある。私が誰かに探られることに関して身に覚えがあるのは、1つは嶋崎さんと親しくしていること、2つ目にこの前のホテル事件で公安にまだ監視されているかもしれないことくらいだが……2つ目が理由なら女が安室さんとの関係を聞こうとするのは妙である。なら、嶋崎さん絡みで何者かが私を探っているのだろうか。でも、やはりなぜ安室さんとの関係を?ということになる。
もしくは私ではなく、実は安室さんを調べている可能性もあるな。安室さんもおそらく尾行は完璧に撒くのだろうから、彼を調べようと思ったら周りから探っていかなければならない。目の前の女は素人にしか見えないけど、わざとそういう人間を使う場合もあるし。そうなってしまうと私では相手に見当が付かない。彼が裏でどんなことをして誰に疑われているか知らないからだ。

……いや、待てよ。私と安室さん、2人同時に探られている、ということはないだろうか?ホテル事件のあと、思い出したことがある。ベルモットは嶋崎さんのところにいたキャシーという外国人の秘書で間違いない。キャシーはあのあとすぐに辞めてしまったと嶋崎さんに聞いた。組織が嶋崎さんとどういう関わりを持っているか、何をしようとしているかは分からないが、おそらくメイちゃんの写真を手に入れて安室さんに渡したのは彼女だ。あの時、ベルモットは電話で可愛いKittenが……と言っていた。あれが私のことなら、私と安室さんが顔見知りであることは知っていたのだろう。それが何らかの疑いの種になってもおかしくはない。……まあ、あの男なら普通に誤魔化しそうではあるけど……。

考え込んだ私を、女が不安げに覗き込む。私ははっとして、誤魔化すように笑った。

「あ、安室さんですね?彼には以前、会社で起きた事件を解決していただいたことがあるんです」
「では……依頼人だったということですか?」
「私が依頼したわけじゃないですけど、まあ似たようなものですね。それ以上の関係はありません」
「そうだったんですね……」

女は明らかにほっとした顔になって息を吐いた。これは演技ではなさそうだ。……あれ?やっぱり私のあむぴに手ェ出すなよクソアマ・パターンか?ちなみに、あむぴというのは女子高生の間で親しまれている安室さんの呼び名だそうだ。面白そうなので今度呼んでみようと思う。
安心した様子でお礼を言った女は、椅子の位置を直して自分の席に戻った。運ばれてきたアイスコーヒーを飲んで、何だかすっきりした顔をしている。その横顔を見て、私は冷めてしまったトーストをかじった。
仮にこの人の接触がまったく悪意のないもので、安室さんと付き合っている云々が本当のことだったとしたら、彼と妙な関係である私は完全に邪魔な女になるんだろうなぁ。どちらにせよ、今は安室さんと距離を置いた方が良いかもしれない。相手の目的が私か、安室さんか、そのどちらもなのか見極めるまでは。

そしておそらく、安室さんも同じような理由で私と距離を置こうとしているのだということを、彼がいないカウンターを眺めながら悟った。





Modoru Main Susumu