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14-1




公園のベンチに腰を下ろして、私はひとり悩んでいた。
ホテルの事件から1週間。あの日のことはニュースにはなっていない。翌日テレビ局のキャスターが神妙な面持ちで読み上げたのは、都内で起きている連続婦女暴行事件の続報と詐欺グループの摘発についてだった。拳銃を使用しての誘拐未遂、更には殺人となれば連日トップニュース扱いでもおかしくはないというのに。鈴木財閥が揉み消したか、それとも「後始末」をあの美女から任された男が手を回したのかは分からない。あるいはそのどちらもか。もちろんあの場所にいた人間には箝口令が敷かれ、きつく口止めをされた。
そして私は当然調書を取られたのだが、おそらくあの調書は闇に葬られるだろう。鈴木財閥の娘さんのふりをして犯人についていったことについては「よく考えて行動してください」と言われ、安室さんに部屋に連れ込まれて襲われかけたことについては「……たとえ知り合いでも男を簡単に信用すべきではない」と諭された。ちなみに安室さんの話をしたのはわざとだ。私の調書を取ったのは風見と名乗る刑事だったが、十中八九公安の人間に違いないと思ってやってやった。あの調書を見た公安のエリートがどんな顔をするのか見られないのは残念だが、あとが怖いのでこの辺にしておこうと思う。

……で、今悩んでいるのは実は事件と関係がない。公園の木の陰にこそこそと隠れる女の子と、それを探してきょろきょろしながら歩き回っている男の子を見つめ、私は腕組みをした。
かくれんぼのように初めから姿が見えなければ、相手はああやって探すしかない。尾行はある意味で緩やかな鬼ごっこだ。尾行できないというのは、そもそも私の姿を目視できていないということなのだろうか。いや、透明人間じゃあるまいしいくらなんでもそんな不思議な状態はあり得ないだろう。私の姿を確認はできても、追うことができない。原因は分からないが、それが私のせいだというのなら、尾行しようとしている人物をこちらが先に見つけるしかない。つまり尾行される前に看破するのだ……ちょっと自分でも意味が分からない。だが尾行を知らない間に防いで疑われるより、気付いていて野放しにするほうが良いに決まっている。途中で撒くのは簡単だからだ。

「うーん……」

私は不審者にならない程度に唸りつつ、ベンチから立ち上がった。そうと決まれば少し訓練が必要である。しかし、こんなことを誰に相談したものか。この情報を最初にくれた赤井さんの顔が浮かぶが、FBIをそんなことで呼びつけるわけにもいかない。
眉間に皺を寄せていたら、不意に視界の端に、妙な気配を感じた。

「…………あれ?」

少し離れた場所にあるベンチで新聞を読んでいる中年の男がいる。そういえば、ずっとあそこにいたかもしれない。シャツにジーパンというごく普通の格好で、遊び回る子供達の保護者のひとりにも見えるし、休みの日に掃除の邪魔だからと家から追い出されたお父さんにも見える。別に不審なところはない。だが、無性に気になった。不思議な現象に内心首を傾げつつ、私は公園から出るべく歩き出す。今日はこのあと友人とランチの予定なのだ。

私が公園の出口に差し掛かったところで、背後にぞわりとした嫌なものを感じた。うっ、と声を出しそうになってどうにか押し留める。……何だ?少し歩いて、公園で遊ぶ子供の大声に反応したように見せかけて振り向いてみる。すると、ベンチに座っていた男が新聞を片手についてきていた。偶然だろうか。嫌な感じは消えない。もう少し歩みを進めて、大通りに出る。私が横断歩道で止まると、男の動きはゆっくりしたものになった。今度は片手でスマホをいじっている。……もしやこれは尾行されているのではないだろうか?このぞわぞわした不快感は正直いただけないが、なるほど、普段の私はこれを無意識に防いでいたようである。だとすれば子供の頃から嫌なものを全力で回避し続けた結果だろう。20年以上の鍛錬の賜物というわけだ。意識したら途端に嫌な気配を察知できるようになったのは我ながら面白い。しかし、この絶妙なタイミングで尾行してくる人間が現れるとは。まさか公安の手の者がホテルの件以来私を監視してるとか……?正体は分からないが、取るべき行動はひとつ。
私はスマホを取り出して画面を見てから、青信号になった横断歩道の途中で走り出した。小走りとかではない、全力ダッシュである。
とりあえず不快なものは不快だし、さよならするに限る。




「じゃあ何なの?その男って」

カラン、と、グラスの中の氷が音を立てた。向かい側に座る友人の呆れたような問いに、私は改めて考えてみる。
出会いは喫茶店で(あっちは店員だけど)、自分の職場で偶然事件が起きて彼が探偵として出入りするようになり、食事に誘われたのが始まりといえば始まり。そのあとは一緒にショッピングモールに行ったり、パーティーで偶然会ったり、自宅に泊まっていったりとか。……うん、明らかに最後のおかしいな。それ以降はまだ記憶に新しい、拳銃突きつけられて脅されたり、襲われたりしたわけなんだけど……何なのと聞かれると、その答えは。

「えっと……遊び……?」
「何でそんなに愕然としてるのよ」
「いや、あんな危ない男と遊んでるという事実に驚愕しかない」

安室さんは恋人ではない。好きと言ったこともなければ言われたこともない。キスはあるけどそれ以上はない……アレは未遂なのでノーカンでお願いします。けれど並々ならぬ執着を感じる。おそらくこれまでの私の言動がそうさせてしまった。引き金はFBIだった気がしないでもないけど。
自分と似ていると感じることは度々あった。彼も、同じように感じていただろう。それは当たり前といえばそうなのだが、彼からすれば私の存在は不思議で仕方がなかったに違いない。それってあんまりフェアじゃない気もするが、そこはそれ、前の世の苦節80年を彼に打ち明けようとは思わないし、打ち明けたところで、彼とどうにかなるわけでもない。
彼は普通の人間ではない。己自身がそうだったように、一般的な幸せである、結婚して、家庭を持って、一緒の墓に入るなどということにはなり得ないと、そう知っているから。たとえそれに近い関係になったとしても、私は、自分がかつて捨てられなかったものを彼に求めることはできない。平穏な生活を望む自分自身のことを考えるなら、深く関わるべきではなかったのだ。

「でもなぁ……」

はぁ、と深い溜息を吐いて、友人が食べているチーズケーキをぼんやりと眺める。もし私が普通の女だったなら、安室透と知り合うことはできても、別の彼を知ることは一生なかった。知らないままだったら、ここまで彼に惹かれただろうか。すれ違った人が振り向くほどに顔がよくて、背も高くて、いつもにこやかで優しい。そんな彼のいる喫茶店で、ドキドキしながら注文を待つ、ひとりの女だったら。……そんな人生も面白かったかもしれない。だが、安室透を演じる彼の中の揺るぎない信念や、目的のためには悪事にも手を染め、手段を選ばない狡猾なやり方で国のために任を遂行する。そんな彼に懐かしさを感じると同時に、可愛いとすら思ってしまう私が、やはり、私なのだ。

そして関わるべきでないと分かっていても、それを手放せるかどうかというのは別の話だった。





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