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13-16




それは突然だった。

「……あら、仲が良いのね。妬けるわ」

悠然とした声が廊下から聞こえて、私とコナン君は驚いて顔を向けた。コツリと知らしめるようにヒールの音を鳴らして、その女は姿を見せる。漆黒で覆われた夜の空間、途切れた雲の合間から顔を覗かせた白銀の月のように、気配も何もなかった。言葉とは裏腹な楽しげな声と女への違和感に眉を寄せると、私の指を握っていた小さな手が離れて行く。

「っ……!」

コナン君の手によって勢い良く向けられた懐中電灯の光に照らされ、女の相貌が浮かび上がった。暗がりで銀色にも見えるプラチナブロンドの長い髪は緩くウェーブがかかっており、目鼻立ちのはっきりした顔は一目で異国の人だということが分かる。口紅が笑みを形作ってはいるが、受ける印象は氷のようだ。不気味なほどに妖艶な、ぞっとする美貌だった。
ベルモット、と、おそらくは私に聞こえないように紡いだであろう鋭い声が女の名前らしきものを呼ぶ。ベルモット?これが?私は言葉もなく女を見つめ続ける。何故だか不思議な……そこにいるのに気配が希薄なような、中身が空虚のような、何とも言い表せない感じがした。だが、これが組織の人間だというのは納得である。黒い服に身を包んだその女はどう見ても一般の人間には見えない。そう言えば、今は活動していないアメリカの女優に似ているな。その母親は1年程前に亡くなった、映画や舞台で活躍していたアメリカの有名女優だ。

「てっきりもう全員逃げたかと思ってたけど……こんなところで何してるの?」

ゆっくりと近付いてきたベルモットがコナン君を見下ろして、それから私にも目を向けた。そこで細められた目にどういった意味があるのか、女はまじまじと私を見つめている。美人だ。

「あなたね?偽物さんは。おかげで段取りが狂ったじゃない」
「お前、何が目的だ!?」

私とベルモットの間に入るようにして、コナン君が女を問い詰める。子供が大人の女性に詰め寄り、女性もまた対等であるかのようにその子供に接する、そんな光景ははたから見れば不自然だ。先ほど感じたコナン君に対する疑念は、本当に私の思っている通りなのだろうか、しかし……と、思考が巡る。もし想像通りだとしたら、このベルモットは"それ"を知っているような態度に思える。なら、女と同じ組織である安室さんは。一緒に行動することもある赤井さんは……?それはあまりにも現実離れしていて、目の前でやり取りされる会話がどこか遠い。

「ベルツリー急行のことで、ちょっとね……会長を呼び出して脅しを掛けるつもりだったんだけど、それをやる予定だった男が問題児で……今日あたり裏切る予感はしてたのよ。私の勘は当たるみたい」
「それで、殺したのか……」
「私が仕事を引き継いでも良かったんだけど、予想外に邪魔が入ったから……もう帰ろうと思って」

女はそう言うと、艶然として自らの美しい髪に指を通す仕草をした。その手がするりと滑り、女の上着の内ポケットに差し入れられるのを見て、その場に緊張が走る。が、長くて白い指が取り出したのは拳銃ではなく、黒い端末だった。指でスライドさせたそれを耳に押し当てる様子を、コナン君が注意深く観察している。ハイ、と軽い感じで電話を受けた女は、なぜか一瞬意味ありげに私に視線を向けた。

「……ああ、あなたに知らせなかったのは悪かったけど、私にも事情があるのよ。ええ……私が仕掛けたの……拳銃自殺の上に痕跡を残さないように爆弾で自爆した、っていうストーリーだったのだけど……そう、どこかの誰かが解除したってわけね……ならそれはもういいわ。で、後始末は任せていいのかしら?」

ありがと、そう言って親しげにも聞こえるやり取りをして、女はスマホから耳を離す。しかし思い出したようにもう一度それを押し当てると、「あなたの可愛いKittenが巻き込まれなくて良かったわね」と言い、通話を終了させた。
内容からして相手は安室さんだろう。爆弾を解除したどこかの誰か、とはやはり安室さんのことなのだが、上手い具合に「部屋に行ったら爆弾が解除されてた」とかなんとか言ったに違いない。こんな美人を騙すなんて怖い男だ。それにしてもこの女、予想外に爆弾を解除されたのに犯人が誰なのか気にならないのだろうか?裏切り者を抹殺するという目的こそ果たしたものの、当初予定していた鈴木会長を脅す計画が上手くいかなかったというのに、その美しい顔には苛立ちも焦りもない。この若い女の組織での立場は分からないが、相当上の方の役職とか、下世話だが幹部の愛人とか……。
私が頭の中であれこれと考えている間、女はもはや用は済んだとばかりにコナン君と私の側を通り過ぎた。コナン君が鋭く舌打ちをして、腕に付けた時計のフタを持ち上げ、女に向けるような動作をする。と、女は、すれ違いざまに私の腕をグイと引っ張って、体を寄せてきた。外国人だからだろう、体つきが自分のそれとまるで違う。女でも骨格が太く、肉付きが良くて魅惑的な肉体だ。ふわりと、女性特有の甘くていい匂いがした。ふたりが密着したことによってコナン君が怯み、構えて覗き込むようにしていた腕時計から視線を上げる。……それ、何?と聞ける状態でもないので黙って女に掴まれていると、彼女は、ねえ、と至近距離で声を掛けてきた。

「あの時は気付かなかったけど……あなた、ずっと前にどこかで会わなかった……?」
「こんな美人の知り合いはいませんけど?」
「……ふふ、ありがとう」

気のせいね、そう言って、女は私の体を盾に階段まで移動し、そこで私を解放して去っていく。

「それ、温かいシャワーを当てるといいわよ」

ワンピースの上に羽織っていた男物の上着の胸元をするりとなぞり、最後にそんな一言を残して。

「…………」

後に残されたコナン君と私はしばらくベルモットが消えた階段を眺めていたが、やがて同時に溜息を吐いて顔を見合わせた。
あの時、と女は言った。ということは私とベルモットは最近どこかで会っているのだろう。それを調べるのは後にするとして。
官能的で甘い残り香が辺りにまだ漂っている。何だろう。体の内側で、何かがざわざわと煩い……。



その後少ししてから、さらに3階ほど下りたフロアで赤井さんと嶋崎さんと合流することができた。警備隊も一緒だ。きっと乱闘になっているだろうと思っていたのだが、停電でおとなしくなって案外簡単に話を聞いてくれたらしい。
私は電気の復旧したフロアで、赤井さんと何かを真剣に話すコナン君を離れた場所から眺める。

探偵が中にいる、かぁ……。

組織の何らかの事件に巻き込まれ、高校生だった彼があの姿になってしまった。そう考えるとコナン君の小学生とはとても思えない言動や、他に人がいない公園で高校生の彼の声が聞こえたこと、組織を追うFBIと知り合いであること、おそらく沖矢さんの変装時にも同じ手法で声を変えていること、私自身の勘が関わるなと警鐘を鳴らしたこと……色々なことに説明が付く。しかし、ヒトの体を縮めるなんて、そんな真似が本当にできるのだろうか。若返りの秘薬などというものは、過去に巨額の資金を投じて国や資産家が研究を進めた歴史もある。けれど結局、そんな魔法のようなものはありはしなかった。まあコナン君が普通に小学校に通っているのだから、若返りの秘薬を巡って組織に狙われている、とかいう単純な話でもなさそうだ。
組織のことは私が忘れているだけで、大昔に関わったことがあるかもしれない。FBIが彼らを追っているということはアメリカでも活動しているということだからだ。……かつてこの身を捧げていた母体の組織ならば、彼らを探ることは容易であろう。しかし。

「それを行使した時、私もまた"俺"の偽物になる……」

その瞬間に「私」は、過去の"俺"という存在が作り出した偽りの存在に陥れられるのだ。亡者と現世を繋いではならない。一度明け渡してしまえば、私はもうここにいられなくなるだろう。

そして亡霊の行く先は、あの世と決まっているのである。




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