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12-7




「私だって、本当は巻き込まれたくないんですよ?なのに次から次へと色々なことが起きて。ひどいと思いませんか?」

愚痴である。
面食らった安室さんは瞬きをして私の様子を見つめている。私からここまで安室さんに接近することもなかったのでそりゃ驚くだろう。しかし忍耐強い私にも限界というものがある。暗闇で追いかけられたり、監禁されたり、脅されたり。いつも私ばかりがそんな目に遭うのはおかしいではないか。正直いえばそんなことをされても痛くもかゆくもないのが本音だが、今そんなことはどうでも良い。私はただ美味しいご飯を食べて、適当に面白おかしく暮らしたいだけなのに。

「安室さんはなんか気軽に騙そうとしてくるし……顔がいいからって」
「……いえ、僕は」
「ちょっと黙っててください」
「はい」

聞き分けが良い。相変わらず女を騙すネタを引っ張っているが、彼がいくら否定してもその疑いは晴れそうにない。現に私がうっかり騙されそうになっているし、ちょっと騙されてもいいかな、などと思ってしまうのは私じゃなくて安室さんが悪いと思う。人のせいにした。それにしても近くで見れば見るほどいい男である。ま、今それは置いておくとして。
確かに、最初に専務の件でデータを盗み見たのは自分だ。けれどあれがなくてもその後の事件は起きていただろうし、むしろあれで状況を事前に把握していたからこそ被害が少なくて済んだと思う。何が言いたいかというと、私は悪くない。FBIに拉致されたのだって、あっちが勝手に私を愛人だと勘違いしたせいだ。たとえその写真が撮られたパーティーで、エッグタルトを食べるのに夢中になりすぎて撮影されたことにも専務の存在にも気付けなかったとしてもだ。うん、悪くないぞ。私は完全に開き直った。

「おとなしくあなたのことを喋るなら今日までのことは許してあげないこともないです」
「…………」
「あ、もう喋っていいです」

自分に降りかかった理不尽への不満を全部まとめて安室さんにぶつけるという暴挙に出た。初めは構図的に愚痴を聞いてくれる恋人だったのが、めんどくさい客に絡まれる可哀想なホストみたいになりつつある。ちなみに彼は飲んでいるが私はまだ一滴も飲んでいない。……なんか納得いかない。
安室さんはというと、しばらくじっと私を見てから、何故か肩を震わせて笑い始めた。おい。胸倉を掴んでいるせいで振動が伝わってくる。

「なに笑ってるんですか……」
「僕のこと、知りたいですか?」

楽しそうにしている様子がますます気に食わなくて、私はむっとして眉を寄せた。こっちは真剣に迫っているというのに、やはり普通の女であるこの姿では迫力に欠けるらしい。……むしろこのシチュエーションって男にとって美味しいのでは?というのは、気付かなくても良かったのに元男なので残念ながら気付いてしまった。だがここまで来て引き返せない。一方的に安室さんのことは知っているつもりだが、やはり大切な秘密は喋らせてこそ楽しいというものだし、私ばかりが問い詰められるのも不公平だ。今日はなにかひとつ秘密っぽいことを喋るまでここからどかない!というアバウトかつ強い決意でじろりと彼を見る。イケメンだからって許さない。

「嘘ついたらお仕置きですよ。朝よりもすごく痛いやつ」
「……一回やってもらってもいいですか?興味があるので」
「安室さんはそんなこと言わない。やり直し」

冷たく言い放つと、するりと腰に腕が回された。ふ、と彼が笑って、トーンを落とした声が囁く。

「言う時は言いますよ」
「安室さんはもっと優しくてノーマルな感じのお兄さんなので、言わないです」
「……買い被りすぎじゃないですか?」
「そんなことないです」
「それに、男が優しいのは下心があるからですよ」

胸倉を掴んでいた両手が、彼の片手で纏めて外された。指を絡め取られてきゅっと握られる。お風呂上がりで体温の高い私よりも、その指は温かい。それを容赦なくぺいっと振り払って、私を観察している双眸を見つめ返した。

「安室さんは誰にでも優しいので、そんなんじゃありません」
「……ナナシさんは安室透がお気に入りなんですね」

ふう、と小さく息を吐いて、目の前の男は首を傾げた。口は笑っている。安室さんを褒める私とそれを否定する本人っぽい人の不思議なやりとりである。先ほど振り払った手が再び伸びてきて、今度は私の前髪にそっと触れた。

「僕のことなら、昨日話したじゃないですか」
「昨日……?」

追い詰められたりキスされたりした覚えしかありませんが?疑問符を浮かべていると、大きな手が私の額を覆うようにして前髪を持ち上げた。ふわりと、お風呂上がりの匂いが濃くなる。自分から香ってるとあまり気付かないけど、うちのボディソープっていい匂いだな。なんて考えた。ぼんやりしている間に、柔らかな感触が額に触れる。それはすぐに離れていった。キスされたのだと気付いて、パッと自分の額を手で押さえる。おでこにキスとか、初めてされたかもしれない。

「……おかげでよく眠れました」

そう呟く彼の顔をぽかんとして見る。自分の額を押さえながら、彼は今、きのう私がしたことを真似したのだと気付いて息を飲んだ。あれ、だってあの時。確かに目は開いてたけど、ほとんど意識がなかったんじゃ……?

「……起きてた……?」
「さあ」

彼は瞼を伏せて微かに笑った。
え、じゃあ、あの時この唇が紡いだ言葉は?
驚いて声も出ない私に、至近距離で薄い唇が動く。

「僕が教えられることなんて、他には何もないんです」

何も持っていないので、と。擦り寄る動物みたいにして、ふたりの額が触れあった。

「あなたなら分かってくれますよね」
「……うわ、ずるい男が言いそうな台詞って感じ」
「いつも言ってると思われたら心外なので先に言っておきますが、初めて言いました」

私の中の彼のイメージでは確かに色んな女に言ってそうだ。先回りしてきたということはやはり自覚があるんだな、と思っていると、そんな私の思考を読んだのか彼は少し不満げな表情になる。
吐息がかかるほどの至近距離。どちらからともなく、唇を触れ合わせた。ほんの数秒、軽く触れ合わせるだけの口付けをして、見つめ合う。

「付き合ってもない女と簡単にキスするから誤解されるんですよ」
「その言葉、そっくりお返しします」

そんな短い応酬のあと、もう一度唇を合わせた。
それが合図だったかのように、腰に回された腕に力が篭もる。ぐるりと視界が回って、咄嗟に彼の首に腕を回した。背中で黒皮の軋む音がする。あっという間に形勢逆転して体勢が入れ替わり、ソファに押し付けられて、あ、と声を漏らすと同時に唇が降ってきた。ちょっとこの体勢はまずい。逃げられない感がすごい。顔を斜めに傾けた彼の金色の髪がさらりと指をくすぐる。触れるだけのキスの合間に小さく息を漏らすと、ちゅと下唇を吸われて、薄い皮膚をなぞるように、唇の形を確かめるように左から右端に舌が這わされた。

「んっ」

擽ったさにぴくりと体が跳ねる。首に回した腕を解いて彼の肩を押し返すも、今度は深く口付けられて思わず動きを止めてしまった。一瞬の隙を逃さず、ぬるりとした舌が侵入してくる。

「……っ……んッ……」

口内を探るように緩慢に動く舌が、私の舌先に触れるたびに痺れるような感覚に襲われる。それは抗いがたい衝動だった。そろりと突き出した舌はすぐに絡め取られて、ちゅくりと粘膜の擦れ合う淫靡な音が響く。緩く擦り付けあうように求めて、弾む吐息が混じり合った。キスが長い。というか本当にだめだ、気持ちよくなってきた。焦りで彷徨わせる指先が、いつの間にかしがみついていた彼の広い背中を泳いで皺をつくる。その行為はもっととねだっているように受け取られたらしく、より口付けは深くなった。

「や、……っ……」

違う。そうじゃなくて、やめて欲しいのに。早く何とかしなきゃ……。
私がもぞもぞとし始めたのを察知して、彼がようやく唇を離す。同時に、ぺろりと自分の唇を舐めた。色気がやばい。ちょっと、このひと出禁でお願いします。今にもまたキスしそうな距離で、彼が不思議そうに問うてきた。

「……さっきから何してるんですか?」
「や、あの、安室さんに……切り替わるスイッチは、どこにあるのかなぁって……」
「見つかるといいですね」

こともなげに言って、口付けは再開される。
今度は強引に唇を割り開いて入ってきた舌に、私はただ彼に縋り付いて、されるがままに翻弄されるしかなかった。

「……あるわけないだろ、そんなもの」

キスの合間、低い声が独り言のようにそう呟いて、唇に噛み付いてきた。




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