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12-6




仕事を終え、帰宅したのは18時半だった。昼過ぎに入った安室さんからのメールによれば、彼は19時頃に戻ってくるらしい。自分の家に帰ってくださって結構です。と返信したかったのだが、「戸締りはしてください」「夕飯作りますので少し待っていてくださいね」と言われたら分かりました以外の返事ができなかった。断じて安室さんのご飯に釣られたわけではない。
洗濯物を片付け、お風呂の準備が終わったところで、思いついてリビングに足を向ける。今朝、微妙な気温だったので迷った末に着て行かなかった上着をソファに放ってそのままにしていたことを思い出したのだ。

「……あれ?」

上着を手に取ると、ソファの隙間に挟まるようにして白い紙のようなものが落ちているのが見えた。朝見た時は気付かなかったけど、メモ用紙だろうか。指先で摘んで引っ張り出してみる。それは写真だった。写っている人物を見て、見覚えのあるそれに内心首を傾げる。最後にこの写真を見たのは数ヶ月前になる。その時に落としたのだろうか。それとも、上着のポケットに手帳か何かと一緒にしまってこれだけ落ちたとか。まあ、不思議な場所から物が出てくるのはよくあることだ。
そうこうしているうちに玄関のチャイムが鳴る。時計を見れば19時になっていた。締め出してもピッキングされるだろうから、無駄な抵抗はやめておくとしよう。ひとまず上着はもう一回ソファに置いて、写真をテーブルに伏せてから玄関の鍵を開けに行く。

「ただいま帰りました」
「…………お帰りなさい」

間が空いたのは最大限の抵抗を示した結果だ。ちっとも察してくれない安室さんはにこやかに家の中に入ると鍵を閉め、靴を脱いだ。靴、大きいな……と軽く現実逃避で突っ立っていると、手を引かれてリビングへ連れて行かれる。いや、私の家です。
安室さんは着ていた上着を脱いでシャツになると、私と同じようにソファに放った。あとでハンガーを持ってこよう。結構適当というか男っぽいところもあるんだなと思いつつ、薄手の服になった彼を観察する。……朝と服装が違う。

「今日は何もなかったですか?」
「いつもと同じでしたよ」
「それは良かった」

昼間にメールでも確認されたことをまた聞かれた。またFBIが接触してくるかも、と気にしているのだろうか。今後彼ら、特に赤井さんと接触するのは要注意だ。気をつけよう。

「さて、お待たせしてすみませんでした。夕飯を作りましょうか」

安室さんはそう言って笑みを浮かべた。す、素敵だ。仕事から帰ってきてご飯を作らなくていいなんて。
料理の腕は完璧。ちょっと過保護だけど仕事中もこちらを気遣うメールをくれて、何よりかっこいい。
腕まくりをしながらキッチンに向かう後ろ姿を追い掛けて、こういう人が世に言うスーパーダーリンってやつなんだろうな……と思った。赤井さんでキレるけど。
普通の暮らしを夢見る私が、彼が特殊な職業の人じゃなかったらなぁ、と思ってしまうのもしょうがないことだ。ま、世の中そう上手くは行かないものである。



夕食後、渋る安室さんを強引に先にお風呂に入れて、洗い物を片付けた。
私がお風呂から上がると、リビングのソファに座ってじっと何かを見つめている安室さんの姿。テーブルには昨日の残りのお酒が入ったボトルとグラスが置かれている。
何を見ているんだろう、と思って近付いてみると、その手には一枚の写真があった。夕方、テーブルに置いたまま忘れていたやつだ。

「あ、それ……」
「拾っていただいたみたいですね。ありがとうございます」
「……え、」

こちらを振り向いてそう言ってきた安室さんに、私は驚いて数回瞬きをした。
何で?
だってその写真は。
もしかしたら私が置いたものとは別の写真なのかと思い、覗き込もうと彼の側に寄ると。

「きゃっ!」

急に伸びてきた手に腕を掴まれて、引き寄せられたせいで女っぽい声が出た。何とか膝をソファに突いたので安室さんにぶつからずに済んだが、見ようによっては私が彼を襲っているような、それに近い格好である。

「な……急に何するんですか!」
「可愛らしい女の子ですよね」

安室さんは手にした写真を私に見えるようにひらりと返した。やはりそれは、さっきソファに挟まっていた写真だった。嶋崎メイ。何度か仕事で会っている、嶋崎さんの一人娘である。さっき安室さんは拾ってくれてありがとうと言った。ならば安室さんが落としたということなのだろうが、なぜ、彼がメイちゃんの写真を所持しているのか。私もまったく同じ写真を持っているので、私が落としたものに間違いないと思ってしまった。この写真は手に入れようと思ってもそう簡単にいくものではない。彼女の名前や通う学校、外見などの情報は嶋崎家によって管理されているからだ。わざとここに落としておいたのは、私の反応を窺うためだろう。目的は、一体。

「あの……その写真は?」
「……ある資産家のご令嬢ですよ。実は依頼を受けて調べてまして」
「依頼……」
「その資産家の男は最近、次世代エネルギー事業に乗り出した新進気鋭の実業家、といったところでしょうか」

安室さんが見つめる写真の女の子は、屋敷の庭で無邪気に笑っている。……そういう空気じゃないので突っ込まなかったけど、この体勢どうにかならないんだろうか。情報を引き出すためだとしても、いつもこっち方面で動揺させるのはやめてほしい。私が安室さんの顔に弱いのを分かっていてやってるんだろうけど、本当にたちの悪い男だ。

「夫人を亡くしてから再婚はしていませんでしたが……」

写真から視線を移し、私を見上げた安室さんの目が細められる。
あ、なんか嫌な予感が。

「大切にしている女性がいる、と」

私の腕を握る手に力が篭った。やっぱり。
大切な女性、というとちょっと違うと思うのだが、頑なに夫人以外の女性とプライベートで関わろうとしなかった男が急に若い女性を連れてきたのだ。そう思われても無理はない。しかもその若い女は娘にも懐かれている。安室さんの依頼主が誰なのか知らないが、私のことを都合の悪い存在だと認識している輩もいることだろう。逆に利用しようと狙っている人間も。いや、本当にまったく嶋崎さんとどうこうなることはないんだけど。

「その女性はたびたび政財界や起業家のパーティーに現れているそうです。個人が直接コンタクトを取ることはできず、毎回別の男と同伴しているらしい」
「…………」
「そうやって資産家の男のために情報を集めている……とか」
「違います」
「きっぱり言い切りますね」

そういえば、初めて安室さんと食事に行った時、もうひとつの仕事について話す予定だったのに話しそびれていた。その後も特に何も聞いてこなかったことから、彼は私がそういう活動をしていることを知っていたのだろう。前にパーティー会場で偶然安室さんと会ったのも、私を探るためだったか。しかし、実際にパーティー会場での私の様子を見ていたなら答えは簡単だ。何故なら私、ほとんど食べることしかしていないからである。……私って、探る側の立場からすると本当に意味の分からない女だろうな。

「まあそういうことにしておきましょう」

安室さんも自分の中で結論は出ていたのか、あっさりと引き下がった。結局どのような依頼で誰を調べているのかはっきりしないが、聞いても答えてくれることはないだろう。赤井さんのこと以外にも何か目的があるんじゃないかと思っていたが、予想だにしないことだった。写真に気付かなかったのは、私の警戒心が薄れてしまっていたのも原因かもしれない。……なんかやられた感がして気に食わないな。
腕が解放され、自由になる。私は安室さんに跨った状態のまま、両手を伸ばして彼の胸ぐらを掴んだ。そして顔を近付ける。

「昨日から私のことばっかり聞いて、不公平ですよね?」
「……え?」

安室さんは珍しく、目を見開いて驚いた様子で硬直した。




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