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12-5




翌朝、早朝の6時。
1階に降りると、薄暗い中で安室さんが昨日とまったく同じ体勢のままソファにいた。……まさか1回も起きていないのだろうか。い、生きてるよね?私が寝ている間に家を探られる覚悟はしていたのだが、これでは逆に心配になってしまう。起こさないように細心の注意を払いつつテーブルの上を片付け、洗濯機を回しに洗面所に向かった。鏡に映った自分は昨日より幾分かマシな顔色をしている。私もかなり図太い方だと思うが、さすがにここ数日は予想外のことばかりで精神的に疲れていたらしい。
一通りやるべきことを済ませてから朝食の準備に取り掛かる。フライパンを出しながら、そういえば安室さんの好物って何だろうと考えた。
まあ朝は普通に和食でいいだろう。このところお魚を食べていない。いつもは時間をかけないのだが、人様に出す食事ということで少しだけ手間をかける。自分のためにちゃんとした和食を作ることはなかなかないので新鮮な感じだ。
ところで私の出社は9時なので8時20分には家を出るが、安室さんは何時にどこへ出発するんだろう。昨夜のうちに聞いておけばよかった。そろそろ7時になる。
私はお味噌汁の火を止めてリビングに移動すると、ソファにそっと近付いた。いや、起きてもらわないといけないのでそっとの意味はないんだけど。目を閉じている安室さんにおそるおそる声を掛ける。

「……安室さん」
「……っ!?」

そう大きくもない声に反応して、安室さんは一瞬で目を覚ました。しかし私に気付いていないのか、こちらを見もしない彼の視界に首を傾げて入り込む。

「朝ですよ。寝ぼけてるんですか?」
「…………いえ」

茫然と私の姿を認めたその目が微かに見開かれた。やがて瞬きをして、ゆっくりと体を起こす。身を起こしながら彼は片手で自分の顔を覆った。まだ眠いのだろうか。

「朝ご飯ありますけど、食べます?」
「いただきます」

顔を隠したままの安室さんが頷くのを確認して、私はひとまずキッチンに戻ることにする。

「熟睡……」

声が聞こえて振り向くと、項垂れてソファに崩れ落ちる安室さんがいて思わず笑ってしまった。




「昨日はすみませんでした。いつの間にか寝ていたみたいで」
「いえ、私も電話が長引いちゃったので、ごめんなさい。それにしてもよく寝てましたね」
「こんなに寝たのは久しぶりです」

自宅で安室さんと向かい合って朝食をとっている事実に若干びびりながら、グリルできつね色に焼き色のついた鯖に箸を入れる。予備で買っておいたお箸があってよかった。思い返せば今まで、誰かと付き合ったとしても自宅に招き入れることはなかったのだ。それなのにいきなり恋人でもない男が押しかけてくるのは想定外すぎた。この人の場合、付き合うとかそういう概念があるのかも疑問ではあるが。

「ナナシさんは食べてる印象が強かったですけど、料理も得意だったんですね」
「……そうですよね、安室さんの前でいつも何か食べてますもんね私……」

ふと、女としてそれはどうなんだろうと思ったが、これからもポアロに通い続ける私の印象はずっと何か食べてる奴のままだろうな。別にいいけど。しかし私が作ったご飯を安室さんが食べてるのって本当に不思議な感じだ。綺麗にお魚を食べるところに新たなイケメンポイントを見つけてしまった。卵焼きをかじりつつ、彼が丁寧に白い身を解すのをぼんやり見ていると、ふいにその箸が止まる。視線を上げると、安室さんが辺りを見回して思い出したように呟いた。

「……この家、何か仕掛けがあったりします?」
「仕掛けってカラクリ屋敷じゃあるまいし……」

昔の家ならピアノ線くらいは張ってたけど。しかし聞きたいのはそういうことではなかったらしい。

「昨日も言いましたが、妙に落ち着くんですよね……既視感があるというか」
「ああ、そういう……どこかの部屋に似てるんですか?」
「…………僕の部屋、ですね……」

安室さんは少し考えて、得心がいったように頷いた。あ、そう。

「安室さんの部屋ってこんなつまんない部屋なんですか?」
「ええまあ……」
「…………」

互いに自らの部屋をディスると同時に相手にも喧嘩を売ったが、事実なので仕方がない。安室さんは何となくインテリアにも拘りそうな雰囲気があったので意外だ。あ、そうか、住んでるのは"安室さん"じゃないのか……。いちいちめんどくさい境遇である。住まないにしても、きっといくつも拠点を持っているんだろう。まあ、自分もそうだったのだが、だんだんと何が何だかわからなくなっていくものだ。
気を取りなおすように、それにしても、と彼が呟いた。

「寝坊しても起こしてくれる人がいるというのはいいですねえ」
「あはは、そうですね。私も寝坊するとお母さんに起こしてもらってた頃が懐かしくなります」

笑いながら、ふと、安室さんのご両親のことが気になった。それはタブーと言うべきか、私から聞くことは一生ないのだろうけど。




朝食を済ませると、家の中は少し慌しくなった。
安室さんは私より早く8時前に出勤するのだそうだ。起こしてよかった。遅刻する安室さんもちょっと見てみたい気もするけど。どこへ行くのかは聞かなかったが、聞いてうっかり言ってくれたら面白い。まあでも、うっかりへまをやらかすとか、詰めが甘くてミスするとか絶対になさそう。

まだ時間に余裕のある私は、終わった洗濯物を移動させたり、明日出す資源ごみをまとめたり。そうして玄関先で靴を履く彼の近くを通り過ぎるたび、視線を感じる。

「安室さん?」

不思議に思って声を掛けると、私のやることをさっきからじーっと見ていた安室さんはにこにこしながら言った。

「奥さんみたいですね、僕の」
「…………」

僕の、を強調して言ってきたので、そう簡単に照れてやるかと大股で歩み寄る。
靴を履くために座っていた彼に手を伸ばして、綺麗に整った耳の上あたりの金髪をわしりと掴んだ。

「大変、寝癖がついてますよ?」
「痛い!」

柔らかくて手触りの良いその髪を、ぎゅう、と握り込む。痛がる彼を見てすっきりしたので、10秒くらいで離してあげた。ナナシさん、と呼ばれて返事をすると、わりと真剣な安室さんの視線とぶつかる。

「男の髪は将来を考えるとそこそこ大事ですから、次は別の場所にしてください」
「分かりました」
「いや、今じゃなくていいです」

すかさず手を出してしまった私に対し、間髪入れずに突っ込みが入った。安室さんのほっぺた、よく伸びるな。摘んでいた頬からパッと手を離すと、彼は何事もなかったかのように立ち上がる。むしろちょっと楽しそうだ。……安室さんが不機嫌になることってあるんだろうか。こういう、優しくて動じない人物を演じている人を見るとどこまでヤらせてくれるのか気になってしまう。今度試してみるか。私のやや危ない思考に気付くことなく、安室さんは玄関のドアを少し開けてからこちらを振り向く。

「では行ってきます。あとで連絡を入れますね」
「い、行ってらっしゃい」

あまりにも自然にここは自分の家です感を出してきたので、思わずどもってしまった。開けたドアから朝の眩しい光が差し込んで、彼のシルエットが浮かび上がる。なんかもう輝くばかりのイケメンである。うちの玄関に立ってることって実は奇跡なのでは?これ以上うちの玄関を貶めないでほしい。
安室さんは一歩外に出ると、ドアを閉める前にこちらに向き直った。さっき私が無造作に握ったせいで乱れた髪を、指先で掻き上げる。

「僕、こんなに女性に乱暴されたのは初めてです」

そして意味深すぎる台詞を玄関先で吐いて出て行った。

オッケー、お前は今日締め出しだ。
一連のやりとりがご近所に聞こえていないことを祈るばかりである。




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