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12-4




「安室さん……本当に泊まるんですか?一人暮らしの女性の家ですよ?」

意訳:そんなことしていいと思ってるの?警察官でしょ?

キッチンにいた安室さんは私の改まった問いに対して、空のグラスをふたつ手に持ってくるりと振り向いた。

「やだな、もしかして僕がナナシさんに酷いことをすると思ってるんですか?」
「今日結構ひどいことしてますからね?自覚を持ってくださいね」
「心配なら、一時的に部屋に鍵でも付けましょうか」
「…………」

私は無言でグラスを受け取るとリビングに引っ込んだ。
あんた瞬時に解錠できるだろうが。と思っても口には出せない。
まあ、実際本当に安室さんが何か起こすとは思っていないが、赤井さんのことを探る他にも目的があるんじゃないかと疑ってしまうのは仕方のないことだ。
もはや手慣れた様子で我が家のキッチンに立つ安室さんは、夕食を作ってくれた上に片付けも全部してくれた。そんなことで私は騙されないが、普通の海老ピラフなのにそこらの店で食べるちょっといいディナーよりよほど美味しかったので、まあリビングのソファとタオルケット1枚くらいなら貸しても良い、とか思わないでもない、そんなことで私は騙されないが。

リビングのテーブルに並ぶボトルの一本を開ける。昼間ふたりで買い物に行った時に購入したものだ。お酒でも飲みましょうか、ということになり、スーパーの隣の酒屋さんで適当に買った。バーボンはアメリカ産のウィスキーで、以前はよく飲んでいた酒のひとつだ。外で誰かと飲む時にはあまり頼まないが、家では遠慮する必要もないのでたまにストレートで飲む。もっとかわいく梅酒とかにするべきだったか。安室さんは私の様子を見てアンノックというスコッチを手にしていたが、彼の場合は何を飲んでいたとしてもかっこいいのでちょっとずるい。

「一緒に飲むのは初めてですね」

戻ってきた安室さんは水をふたつテーブルに置くと、向かいのソファに腰を下ろした。ええ、まさか初めてが自宅とは思いませんでしたけどね。唇を尖らせた私に気付いた安室さんは少し笑ったあと、すみません、と呟いてボトルを開けた。

「安室さんはお酒、よく飲まれるんですか?」
「たまにですね。なかなか飲む機会がなくて」

それはそうだろう。喫茶店と、組織と、探偵と警察。あり得ない仕事密度だ。友達と飲むとか一切ないのでは。自分の例を思い返せば友達がいるかも怪しいけど。彼も平然とストレートで飲んでいることからして酒は嫌いではなさそうだ。

「ナナシさんは好きそうですね、お酒」
「うーん、嫌いではないですけど、私もあんまり飲まないですよ」
「そうなんですか。お店で真っ先にそれを手に取ったので、お好きなのかと思いました」
「よく見てますね……これは昔よく飲んでたお酒なんです。飲むと色々思い出すので、懐かしくてたまに飲むんです」

この年齢で昔というのは微妙だったかと思ったが、安室さんは特に気にしていないようだったので安堵する。それもそうか、今の会話から前世に結びつくのはおそらく同じ境遇の人だけだろう。
その後も取り留めのない会話をしつつ、スコッチを飲ませてもらったりして、少し酔いが回ってきた頃。安室さんが私の隣辺りを指差した。

「ナナシさん、携帯光ってますよ」
「え?ほんとだ、メールかな……あ、電話……」

ソファに放っておいたスマホを見ると着信が1件あった。会社の同僚からだ。もう21時なので仕事で今すぐどうこうということではなさそうだが、休みをとってしまっていたし折り返してみるか。昼間あんなことがあったので「赤井さんじゃないです」と言おうか迷ったが、何となく見た安室さんの目が据わっていたのでやめた。我ながら賢明な判断だ。
私はちょっと電話してきますと断って2階に移動した。


「……うん、だから彼氏とかじゃないからねその人……、うん、明日は出勤するから。ごめんね、わざわざありがとう」

通話を終了して息を吐く。仕事の話だったが、余計な話までしていたら思ったより長引いてしまった。そうだ、戻る前にタオルケットを下に持って行こう。安室さん、体温高そうだし薄いのでいいか。押入れから薄手のタオルケットを引っ張り出し、腕に掛けて1階に移動する。
ところがリビングに入ると、さっきまでいた安室さんの姿がなかった。あれ?お手洗いかな?お風呂はさっき入ったし。と思って自分のソファに戻ろうとしたところで、金色の髪がちらりと見えて足を止める。

「……あ」

思わず、小さく声を上げてしまって自分の口を手で塞いだ。どこかに行ったわけではなかった。そこには、ソファに横たわって目を閉じている安室さんの姿。あれ、お酒強いと思ったんだけどそんなこともなかったのかな。そういえば今日は珍しく疲れた顔をしていたかもしれない。酔いが回ってしまったんだろうか。寝息も立てずに目を閉じている様子は、本当に寝ているか疑わしくも感じる。
私は彼の横たわるソファの前に膝を突いて、その顔を覗き込んだ。起きてたら起きてたでいいや。なかなかこうして寝顔を拝見する機会もないので、ちょっとした興味である。睫長い。目を閉じるとあどけない感じになってかわいい。褐色の肌色は黄色に比べるとパッと見て状態が分かりづらいが、こうも接近して見ると荒れもなく滑らかですべすべしてそうだ。
まじまじと見つめていたせいか、安室さんがぼんやりと目を開いた。あ、やっぱりそう簡単には寝ないか。完全に覚醒しないところを見るに、結構、疲労が限界まできているようだ。大丈夫かこの人。このまま私が近くにいるのは可哀想だな。

「起こしちゃいましたか?」
「…………」

声を掛けてみたが返事がない。半分以上寝ているようだ。……ここで私の中の悪い人が顔を出す。いや、散々いじめられたから少しくらいいいよね。本当は事前に準備が必要なものだし、このレベルならほとんど悪戯だ。

「見てください」

私はぼんやりとする彼の目の前で、人差し指を立てた。虚ろな視線が緩やかに動いて、確かにそれを捕える。導くようにある動作で動かして、ちゃんと彼が付いてきていることを確認すると、意識して低い声で問い掛けた。

「あなたの名前、教えて?」

薄く開いた唇から音が出ることはなかった。形作られた唇が示す、そのふた文字が名前なのか、無意味な単語なのか分からない。日本ではふた文字の名前は種類が少ないし。
やっぱりこんなまがいものは効かないか。前髪をそっと指でかき分けて、彼の額にキスをした。

「Sleep my baby, The bogeyman's coming and he will take you……なんてね」

咄嗟に口にしたのはどこの国の子守唄だったか。眠ってくれたから良しとしよう。実は狸寝入りという可能性もまだ捨てきれないので、これ以上の暴虐はやめておく。再び瞼を閉じた彼にタオルケットを掛けて、私は足音を立てないようにその場を後にした。




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