Novel


≫新連載 ≫短編 ≫大人 ≫Top

11-2



「えっと……赤井さん?」
「ああ」

テーブルを挟んだ向かいのソファでコーヒーを飲む男は、赤井と名乗った。服も髪も帽子も、全体的に黒い。近くで見ると瞳の色は暗めのグリーンアッシュで、目の下に隈があることに気付く。そこまで彫りが深いわけじゃないんだけど、どことなく純日本人ではないのかな、と感じさせる風貌だ。

テーブルの上には1枚の写真。

30分ほど前、男に写真を見せられて「さあ、聞かせてもらおうか。この男と君の関係を」と改まった様子で言われた時には正直、そこに写っているのは別の人物だと予想したのだが。
動揺を隠しながら覗き込んだその写真には、私と、なんと専務の姿が写っていた。……いや、まあそうか。そもそもここに連れてこられた理由が専務なのだし。なぜ別の人が浮かんだんだろう。
写真の私はパーティードレス、専務はスーツ姿である。前にも言ったように専務は会社に来ない人物で、挨拶くらいしかしたことがない。写真は、どう見ても会社で撮られたものではなかった。どこかのパーティー会場だ。企業のエラい人ともなれば立場上色々なパーティーに参加するだろうから不思議はない。で、例のアレで私もそういった機会が多い。なぜ一緒に写っているかというと、周りにたくさんの人がいる状況で、偶然そんな風に写ってしまっただけに見える。確かに連れと誤解されても仕方がない写り方だが。
ちなみに専務は妻子持ち。つまり私は、専務の愛人だと思われて行方を追われていたらしい。正直、そ、そんなことになってたの?という感想だ。写真を見た一瞬で色々な可能性が頭をよぎり、まさか私は酔って専務と一夜の過ち的な何かをやってしまった挙句にきれいさっぱり忘れてしまったのか?とも思ったが、見るかぎり素面である。何も起きていない。よかった。

「では君がこの場所にいたのは偶然で、この男とは無関係ということか」
「はい……同じ会社の偉い人っていう感じです」
「他に知っていることは?」
「特にはありません」

平気で嘘を吐いたが、それは致し方ない。
男は自分のことをFBIの捜査官だと名乗った。
Federal Bureau of Investigation……アメリカ合衆国連邦捜査局。有名すぎるので説明も意味がないかもしれないが、FBIとはアメリカの警察組織の一つである。アメリカは州ごとに法律、憲法が異なり、州独自の軍隊も持っている。いわば州の一つ一つが国なのだ。そのようなアメリカにおいて、州を跨いだ事件……たとえば犯人が2つの州で連続殺人を起こした場合、州警察は自分の州の捜査しかすることができない。他の州での活動権限がないためだ。そこで出番となるのが広域犯罪を取り締まる権限を持つFBIということになる。
それが何故、日本へ?捜査関係者だとあの大きめの男が言った時、FBIだとは想像もしなかった。FBIと一口に言っても犯罪捜査から諜報、保安部と様々な部署に分かれているのだが、まず、彼らは日本で活動することはできない。極秘で別の国に行って調査、とかも私が知らないだけでひょっとしたらあるのかもしれないが、正直言って専務が彼らを呼び寄せるような人物には思えなかった。本当にFBIなのか?という疑いもある。

「FBIって簡単に言いましたけど……そんな秘密、私に話して大丈夫ですか?」
「どの道、君にはバレてしまうだろう?仲間が君を尾行しても撒かれてしまったそうだからな」
「まさか!尾行なんて一度もありませんでした」

慌てて頭を左右に振る。本当に尾行された気配なんてなかった。この男、カマをかけているつもりか、と思って灰色がかった深緑の目を見つめたが、何の変化も見られない。さっきからずっとそうだ。眉を動かしたり、小さく笑ったり、そういうことを普通にしているのに、何も読み取れない。いつもにこやか、かつ何も読み取れない安室さんとはまた違ったパターンだ。

「君のことは調べさせてもらったよ。どこにでもいる普通の一般市民だ」
「ええ」
「だが只者じゃあない」
「……そう思ってるなら、余計に私に色々話さない方がいいと思いますけど……」

私も無意識に色々とやらかしてしまったので、白々しく否定するつもりはなかった。ただ、気持ちはいつでも一般市民だ。こういうのは本人の心の問題なのだ。
男は空になったカップを置いて、小さく笑う。

「ボウヤが君は敵ではないと言ったからな」
「ボウヤ?」
「ああ」

えっと、この人が沖矢さんで間違いないなら、ボウヤっていうのはコナン君のことかな。言葉の足りない男だ。というかコナン君、自称FBIと知り合いの小学生って本当に何者だよ。

「詳しくは話せないが、FBIは別件でとある組織を追っている。最近その組織とこの男が接触したらしいが、その後行方が分からなくなっていてね」
「……それだけでFBIが動くんですか?怖くなって逃げただけかもしれないですよね」
「正直なところこの男は俺達にとってさして重要じゃない。こいつは元々は本国の別の機関が追っていた男だ。彼らは日本の警察にも協力要請をしたが、男はその後間もなく行方不明になった」
「…………日本の警察」
「日本の警察から行方不明になったと言われては、捜査は打ち止めだ。そこで俺達が非公式に捜査を引き継いだんだ。今の俺達の存在は本国にも見逃されている立場なんでな」

渋々、ってやつだよ。そう言って男は肩を竦めた。
男……赤井さんが追っている組織が安室さんの組織なんだろうなぁというのは、話しの流れからして明らかだ。ただ、組織を追うFBIにとって専務はあまり気にする存在ではないらしい。専務を血眼で探しているのは、赤井さんの言う本国の別の機関。国外での活動が認められているCIAだ。

……と、そこで赤井さんの携帯が鳴った。

「……失礼」

ソファから立ち上がると、赤井さんは電話に出ながら部屋の隅に移動する。

「Hello?……Sorry I missed your call. With regard to the issue, who is going to tell them?……」

残された私はカップを手にとってコーヒーを一口飲んだ。
さっきまでの話で色々と分かったことがある。
この件は日本の警察絡みと見て間違いない。それも公安だ。……なぜなら彼の言う本国の別機関、CIAと、日本の警視庁公安部は仲良し、だからである。それは知っていることに何の価値もないほどに公然の事実だ。

推測するに、こうだ。
始めにCIAが、警視庁公安部に専務の捜査を要請した。おそらく公安部は、会社に誰かを潜り込ませて捜査を進めたことだろう。そのうち捜査員は、専務が例の悪の組織とコンタクトを取っていることに気付く。その情報は公安からCIAへも伝えられたが、それからすぐに専務は行方不明になったわけか……。
その後、諦められないCIAは「組織が関与しているから」と無理に理由を付けて、今まで日本で活動していることを見逃していたFBIに内密の捜査を依頼した。FBIは断れずに、行方不明となった専務の身辺調査を始めた。

事実として私が目撃したことは、こうだ。
安室さんはあの時、自分は組織の人間だと言いながらも専務をわざと逃したように見えた。そのあと、電話で誰かに短い指示を出していた。さらに、組織の人間と思われる誰かに専務の始末を自分に任せてほしいとも話した。
組織側は、専務が始末されたと思っている。安室さんは組織の人間として専務と接触した上で、組織には勘付かれないようにそれをする必要があったのだ。命を救うために。

なら安室さんは、組織に潜入している公安の人間だと考えるのが自然だ。それならば専務はどこかで拘束または保護されているはずだが、なぜそれがCIAには伝わらなかったのだろうか。あの時、安室さんが指示を出した相手は、普通に考えたら公安の仲間だと考えるところだが、「専務は行方不明になった」のだ。ひょっとしてCIAだけでなく、警視庁公安部にすら正しい情報が伝わっていないのかもしれない。それはなぜだろう?会社にはもともと潜り込んでいた公安の人間がいたわけだし、昼間からあんなにアクティブに行動していた安室さんに気付かないわけがない。実は、警視庁公安部の人達は安室さんの顔を知らないのでは。

公安部には確かに特別な人物が存在する。役職があるわけではないが、同じ公安でも「その人が特別であることは知っているが、何をしているか知らない」という人物だ。けど、顔すら知らないというのは当てはまらない。だとすると、安室さんは公安ではあるが警視庁の人間ではない、ということになる。ようやく彼の正体が見えてくるというものだ。指示を出していた相手は公安部の特別な人物か。……しかし、前線に出てくるところが彼らしい。逆に、そんな立場の奴が現場に乗りこんで実働部隊と同じようなことをやっているなんて到底思わないので、余計に彼の正体に気付けなかった。やりおる……いつか感じた妙な敗北感に再び襲われる。

ここまでたどり着くのに結構な時間を要した気がする。主に赤井さんの話のおかげで色々と繋がったんだけど。気になるのが、彼らFBIと安室さんの関係だ。組織とFBI、ということは敵同士なんだろうけど。たとえ安室さんの正体にたどり着いていたとしても、さっきの推測では完全に安室さん側がその他大勢を騙してるわけだから、仲はよろしくないんだろうな。そのどちらとも接触した私って大丈夫だろうか?一般市民的に。

眉間に皺を寄せつつうんうんと悩んでいると、通話を終えた赤井さんが戻ってきた。ソファには戻らずそのまま部屋の入口へと歩いて行く。そうしてドアを開けてこちらに振り向いた。

「君を解放しよう。長々とすまなかったな。何かあれば遠慮なく連絡してほしい」
「……えー……FBIに気軽に連絡なんてできない……」
「別の男にすればいいさ」

フッと笑って、男は言った。
あ、沖矢さんと連絡先交換したんだった。




Modoru Main Susumu