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11-1



「家に!帰らせてください!」

勢い込んだ拍子に腕がテーブルにぶつかって、カップの中の紅茶が波立った。たった今私の目の前にお菓子を置いたばかりの若い男は、一瞬動きを止めて、すぐに素知らぬふりで退室してしまう。ガチャ。外から鍵を掛ける音が聞こえた。もう何度その音を聞いたか分からない。恨めしくドアを見つめて、溜息をひとつ。
……なにも連れて来られてすぐにここから出せと喚いているわけではない。
ガタイのいい男について来いと言われて不満全開でついていった先は、マンションの一室だった。モノトーンの家具とクッションが置かれた、モデルルームのように綺麗で生活感のない部屋だ。部屋に入って出されたコーヒーを飲みつつ、ではお話を、というまさにその時だった。男のスマホが鳴って、え!?今からですか!?と返答する様子を見てとても嫌な予感はしていたのだが。

なんとあれから2日も経っている。

あり得ないことにあの男、峠がどうのこのと騒ぎながら、急に大慌てで出て行ってしまったのだ。え、なに?誰かのお爺さんかお婆さんが危篤なの?ならちょっとだけ待ってもいいけど。ってそんなわけないだろ!
男が出て行ってしばらくしてからさっきの若い男がやってきて、食事を置いて行ったりお菓子を置いて行ったりしている。ポットだけはテーブルに置いてあって紅茶やコーヒーが置いてあり、なくなるとわりとすぐ補充される。優しいかよ。ちなみにトイレ・バスルーム付きなので外出すること以外は普通の生活ができるのだが、スマホは最初にここに来る前に録音されると困るとか言うので預けてしまい、外への連絡手段がない。窓も天井付近に小さいのがあるだけだし、そこからの脱出は無理そうだ。
あの若い男に何度かこの状況について抗議したのだが、「俺は下っ端なので分かりません」とかとにかくそういうことしか言わないのでまったく使えなかった。無断欠勤になる!と大騒ぎしたら、会社に友人を装って体調不良で休みますと連絡してくれた。何なんだその半端な優しさは。
部屋の中を調べた結果、カメラが設置されている様子もない。ひとりにしてこちらの出方を窺っているのかもと思ったが、本当に予想外の呼び出しだったようだ。そのようなわけで1日目はまだすることがあったのだが、2日目ともなると私は暇を持て余していた。

「はぁ……」

座っていたソファから立ち上がり、床にぺたんと座る。あの天井近くの窓まで登れたらなぁ。よくドラマとかで拉致監禁されて目隠しのうえに手足を縛られ床に転がされてるシーンがあるけど、あれって長時間監禁するなら効率が良くないよなぁ。などと考えながら、床に座ったままソファの背側に頭を預けた。いま、猛烈にポアロのごはんが食べたい。食べられないと分かっていると余計に食べたい。眉間に皺を寄せて、ソファに頭を預けたままぽつりと呟く。

「もう耐えられない……脱獄する」

なんか地味に優しいので気が削がれていたのだが、やりようはいくらでもあるのだ。

「それは困る。君には聞きたいことがあるからな」

気配のないところから、急に声が聞こえた。
誰!?
驚いて振り向くと、ひとりの男が部屋の入口に立ってこちらを見ている。気配が、まるでなかった。ドアを開ける音も聞こえなかった。
ニット帽子みたいなのをかぶった背の高い黒髪の男だ。見えている前髪はくせ毛で、少し距離があるので分かりづらいが目つきは悪い。
あれ?……どこかで見たような雰囲気だ。でもこんな人相が悪人寄りのイケメン、一度見たら忘れない。低くてよく通る声が特徴的だ。
男はドアを後ろ手でパタンと閉めると、部屋の隅にいる私に近付いてきた。一歩、また一歩とこちらに足を踏み出すたびに、私の頭の中に別の人物が浮かび上がる。私はその現象に驚いて、床に座ったまま思わず後退した。

「……どうした?ああ、こんなところに閉じ込めて怖がらせてしまったか」

トン、背中に硬い壁の感触がぶつかる。これ以上距離を取ることができずに、私はただ男を見つめるしかない。だぶるように見えていた頭の中のその人物と、歩いてきた男は、私の目の前まで来る頃には完全に一致していた。
狼のような男だと思った。黒い格好のせいか、一見細身にも見えるがよく見れば相当鍛えられているのが服の上からでもわかる。あなたは誰ですか。そう紡ごうと口を開いたが、出てきたのは別の言葉だった。

「……沖矢さん……」
「……誰だ?その沖矢というのは」

先程からいっさいの表情を変えない男は、沖矢という名前にも大した反応を見せない。私はふるふると頭を左右に振って、男を見上げる。そして、そう口にするに至った原因に視線を向けた。

「ほー……ネイティブアメリカンの知り合いでもいるのかな?」
「…………」

私の視線の意味するところに気付いたらしい男は、そこで初めて表情を変えた。口の端を微かに上げた、面白いものを見たというような顔だ。その口から、否定も肯定もない。正体を見破られたというのに僅かの動揺も隙もない。こいつ、ただ者じゃないな。久々に感じる、恐怖とは別の戦慄が背筋を走る。
男は身を屈め、壁に張り付いたままの私に右手を差し伸べてきた。

「間の悪いことに別件で人が出払ってしまっていてな。待たせてすまなかった。……話をしようか」




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